世のじじいの口から出るのは この三つ しかない・・・
昔ばなし・自慢ばなし・説教 の三つである。
じじいからこれを取ったら、残るのは腑抜けの輩だけだ。
なぜ?この三つしか出てこないのか。
答えは単純だ。
それしか覚えていないのだから。
例えば・・・今日は節分豆まきの日である。
(豆まき か・・・)とアタマが動き出すと、
まず出てくるのは子供のころの豆まきの記憶である。
(ああ 年の数だけ拾って食べたっけな~)
一通りの思い出が過ぎると、次に浮かぶのは
(そういえば・・・成田山で横綱の投げた豆をキャッチしたぞ!)
燦然と輝く貴重な記憶が箱から飛び出してくる。
(今年はロープの外で見物だとか・・・
海老蔵に高安に島津亜矢か、小粒だな)
コロナだというのに密も密。
前へ前へとスマホ片手に押すな押すなである。
(マスクもしないで大声を出しているヤツもいる。
けしからん!なぁ。警備の制服は何やっているんだ!)
ったくもうハナシにならん!!
てな具合である。展開が常に同じ軌道だ。
これ以外に脳みそが回転する術を知らない。
昔の洗濯機のようだ。
スイッチが入るとただただグルグル回るだけ。
それも同じ方向の渦巻き一方通行思考回路である。
そのくせ、しゃべりたがる。
言いたくて仕方がないのだ。
だから面倒なのだ。
だから嫌われるのだ。
老健施設のデイサービスが活況なのもうなづける ではないか。。