持たざる者にだけ見える世界『ひと』小野寺史宜 | 本と映画と。

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好きな本(日本の小説、英語の小説、韓国の小説)のレビューを書いていく予定です。映画のレビューもときどき。

 ひらがなで、ひと。シンプルかつ大胆なタイトルに惹かれて手にとりましたが、期待を裏切らない小説でした。

 主人公の柏木聖輔は、3年前に父を亡くし、つい最近母まで急病で亡くし、天涯孤独の身になった20歳の青年です。

 大学を中退したあと、近所の商店街の惣菜屋さんで最後のコロッケを老女に譲ったことをきっかけに、その店で働くことになり、さまざまな出会いに力を得て少しずつ前に進み始めます。

 聖輔を見舞った不幸はドラマチックであるものの、惣菜店で働く彼の日常は淡々と過ぎていきます。

 その静かな営みのなかで、聖輔が世間の厳しさを学んだり、人の真心にふれたり、自分の生きる道を考えたりするさまが、丁寧に描かれます。

 なかでも、鳥取での高校時代に同級生だった青葉の元カレで名門大学に通う裕福な家の息子とのやり取りで、人は悪くないが、常に上からものを見てきた人間特有の傲慢さがある、と評するあたりが、貧困を知る人の視点からの、鋭い観察として印象的でした。

 青葉が彼と別れた理由も、持つ者と持たざる者の間に横たわる心理的な溝であり、その溝の深さに彼が気づかないのもまた、リアルな描写だと感じました。

 横断歩道の信号が赤で、向こう側には信号が青になるのを待っている人がいるのに、彼は時間を無駄にしたくないからと、平気で信号無視をして、信号待ちをしている人の真横を通り過ぎる。その行為が、待って立っている人の気持ちを害することは考慮に入れない。

 渡るも渡らないも個人の自由だという考えがあるのは認めつつも、青葉には彼のそういう振る舞いがどうしてもひっかかってしまう。そして、コロッケも道も職も、譲れるものは潔く人に譲ってしまうお人好しの聖輔を愛するようになるのです。

 清貧、という言葉を久しぶりに思い出しました。持っていないからこそ見える世界があり、持っていないからこそできる生き方がある。

 そんな欲とは無縁の聖輔にも、ついにどうしてもあきらめられない、譲れない存在が現れたところで、物語は終わります。いえ、聖輔の本当の物語は、たぶんここから始まるのです。