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近年になって、ついに「青い薔薇」の開発成功が伝えられました。この世にないもの、と云われてきた「青い薔薇」。
あなたにとっての「青い薔薇」とは何か、本ブログを読んで、ぜひ見つめて頂きたいと思います。――それは本当に美しいですか?

【キーワード】見上げた熊類愛、熊様は日本を救う、売国奴政策に騙された


【1】見上げた熊類愛を唱える全国の熊ちゃん愛好家


 見上げた熊類愛を唱える全国の熊ちゃん愛好家よ! 集まれ!



 君等を尊敬する北海道知事が約束したぞ!



(知事)『

    保護の為に、羅臼岳の周囲を長大フェンスで囲みます!



    次いで、熊愛好家の皆様に、全員、そのフェンスに入って頂きます!



    次いで、皆様全員へ、スマホ等で、「熊様とのハグ写真」を撮って送信頂きます!



    次いで、皆様全員から、熊ちゃん写真が送信されるまで、いつまでも(永久に)、フェンス内にお留まり頂きます!



    素晴らしい熊ちゃん写真を期待しております!



 一方、この長大フェンスには、1万ボルトの高圧鉄条網と幅10mの地雷原が付帯する!と云う特別待遇設備で、永久に「熊さんの食物連鎖下」に置かれる!


【2】「敗戦記念日」と「敗戦80周年の首相談話」


 昨日、8月15日は、「敗戦記念日」で、陛下と石破総理の、日本国民へ向けての率直な、お言葉と決意とが表明された。

 石破総理の「敗戦80周年の首相談話」については、糞アベの残党どもが、「大陸や半島に向けて何度も謝罪する必要など、無用だ」とほざいているが、これらの「敗戦記念日」や「敗戦80周年の首相談話」は諸外国の為ではなく、主権者たる「日本国民」の為である事は明白だ!

 先の参議院議員選挙で、国民の明白な意志が表明されたばかりなのに、当の批判対象の「糞アベの残党の糞ども」は、厚顔無恥の極みに、「反省」どころか、国民無視の「後釜争いのサル山騒動」を主導したばかりか、「日本の政治方針の表明」にまで、口出しを晒す、極悪非道ぶりだ!

 国民の明白な意志は、「反省しない、厚顔無恥の「糞アベの残党の糞ども」は、失せろ!議員職から去れ!」だ!

 一方、先の参議院議員選挙で、国民の明白な意志=「国民の声」が表明されると、「糞アベの残党の糞ども」に忖度した、犯罪者の糞検察幹部どもは、不起訴判断を一転させ、ウダ糞の秘書を略式起訴した!



 しかし、公開の裁判を求める正式起訴ではないので、詳しい経緯や動機は法廷で明らかにならないし、肝心の糞ウダも説明責任を果たす姿勢は全く見られないから、相変わらずの「糞の逃げ得」は続いている!


【3】「失わた30年」の再来を防ぐには、「司法(上級裁判官)・行政(上級行政職)・立法(国会議員)」の幹部職への、「特別職・幹部職員特別措置法」の施行が必須


 こうした、国民の運命を握る、「司法(上級裁判官)・行政(上級行政職)・立法(国会議員)」の幹部職は、「特別職・幹部職員特別措置法」を施行して、国民への犯罪行為が判明した場合には、超過的・付加的・課徴的・拡大的に、特別捜査・特別裁判を施行し、厳罰を下すとともに、当該犯罪事案の起点から、以前の、10年間は「遡及行為の停止(時効)」が、例外的に排除されて、「時効の壁」が排除されると共に、政治屋の「秘書がやった」と云う「逃げ得を防ぐ連座制強化」を図って、これらの糞議員や忖度して巨悪を見逃した検察幹部や忖度裁判をやらかした上級裁判官どもへは、厳罰を下すべきだ!

 最近、「失わた30年」の主因は何か?と云う話題が多いが、その主因のひとつが、国の命運を左右する「司法(上級裁判官)・行政(上級行政職)・立法(国会議員)」が腐敗し、機能不全に至った事だ!

 先の参議院議員選挙では、国民の明白な意志=「国民の声」として、「失わた30年」の主因を排除せよ!と云う事は明白だから、この意志を直ちに反映するには、こうした「特別職・幹部職員特別措置法」を施行する必要がある!


【4】「特別職・幹部職員特別措置法」には、明確・厳格な特別刑罰・懲罰が必要


 「特別職・幹部職員特別措置法」を施行するに際しては、明確・厳格な特別刑罰・懲罰が必要だから、上記の「羅臼岳放牧場」への強制収監を明記すべきだ!

 こう云う極悪人・国賊どもへは、貴重な国民の税金を掛けて、裁判や収監などを行う必要性は皆無だから、特別措置として、犯罪事実さえ明白になれば、強制的に、上記の「羅臼岳放牧場」へ収監すべきだ!

 さすれば、「国民を裏切り、犯罪行為に走り、熊の餌になりたい!」などと云う、「司法(上級裁判官)・行政(上級行政職)・立法(国会議員)」の幹部職員は、居なくなるだろう!


【5】このままでは「日本は失われた40年」へ突入する


 そもそも、「失われた30年」の期初はどこかと云うと、

 「失われた10年」は、1980年代のバブルの崩壊後処理で生まれたのだが、2000年代の次の10年も、1980年代に次のシステム、ビジネスモデルを準備しておかなかった。その事に依り、敗戦処理後も次へ進むと云う事が起きずに失われたのだ。これが「失われた10年」に留まらず、20年になった理由だ。

 では、この間、日本政府は何をしていたのか。国民の支持を受けた小泉純一郎首相の下で、道路公団民営化、郵政解散、と云う政治的なトリックを目的とした規制緩和議論と云うアリバイ作りに終始していた。実際の経済政策は、円安誘導で、安値たたき売り輸出及び非正規雇用の拡大に依り、「派遣」、「フリーター」と云う流行語を生みだし、コストカットに依る安売り戦略に終始したのだ。規制緩和ではなく、新しい規制のモデルへとモデルチェンジすべきだったのに。

 新しいシステムへ置き換えなかったので、日本経済にはシステムもモデルもなくなってしまったのだ。

<< そもそも、「失われた30年」の期初・起点をもたらした小泉純一郎首相の、単なる七光りの、バ○息子の小泉ジュニアが、次の総理を狙っているとか云うが、「そんな、単なる七光りの、バ○息子に「失われた40年」なんぞにされたくはないわい! 国民を舐めとんのか?」と云いたい! >>

 仕方なく、過去のモデルにすがるしかなかった。企業も過去のモデルにすがり、1980年代と同じ様なものを同じ様にに売る為に、経済成長に依り高くなったコスト削減に終始し、次への設備投資も人的投資も削減し、更に深刻な事に、次のビジネスモデルを試行錯誤で生み出すのではなく、1980年代の輸出大国、モノづくり大国復帰をスローガンとする政治にすがって延命を図っていたのだ。

 中国・インドの台頭の一方、韓国やタイを初めとするアジアの地域の中所得層の拡大を、日本国内で減少する需要の穴埋めとみて飛びついた。生産基地としての中国や東南アジアは相互分業ではなく、ライバルとして認識して、1980年代には勝てていたのだから、それを取り戻す為に、高くなったコストを削減し、相手の経済水準に降りて行く様な戦略を取ったのだ。だから、円安と云う国富の減少を喜んだ。それが、現在の日本の所得水準の低下、ひいては、1人当たりGDPで、ついに韓国に抜かれる(2023年)と云う事態を自ら招いたのだ。


【6】アベの馬鹿ノミクスは国富を大幅に目減りさせる安売り戦略


 そして、世界の需要はリーマンショック後急減する。世界金融バブルが崩壊したのだ。時間差で、中国経済バブルも崩壊した。この危機を、日本は再び、過去に帰る事で逃げ切ろうとした。アベの馬鹿ノミクスだ。

 小泉・第一次安倍政権で、規制緩和と云う見せ掛けだけの改革と、輸出立国と云う過去への逆戻りで、しのごうとした訳だから、それを第二次安倍政権が継承したのは当然ではあった。

 アベの馬鹿ノミクスとは、1980年代の日本の様な輸出立国、内需不足をダンピング輸出でしのぐと云うモデルを再び採用したものだ。小泉政権では、リストラ、コストカットであったが、馬鹿ノミクスでは、「円安」と云う日本の国富を大幅に目減りさせる事に依る安売り戦略であった。

 モノを輸出し、国内のソフトを観光という形で叩き売ることにより、何とか減少する国内需要を補うという事に過ぎなかったのだ。新しい事と言えば、株価インフレ政策であるが、それこそ、1980年代のバブル再来を願う、資産インフレ戦略であった。

 馬鹿ノミクスとは、日本製品、国内のサービスを円安に依るダンピングと云う安売りで需要を得て、国内需要の減少を補うと云う戦略は、1980年代に行われた、輸出増加を不況期の国内需要減少に対するショック・アブソーバとして使うモデルの流用だ。同時に、中身も将来ビジョンも、将来への投資もない「インフレ」に酔った1980年代バブルの下手なコピーであり、二重の意味での過去への逆戻り経済政策であった。だから、この10年も何も新しいシステム、モデルは生み出されず、「失われた30年」と言われる様になったのだ。


【7】「失われた30年」には経済学者や霞が関官僚にも大きな責任


 高度成長期から日本は、「右上がりガバナンス」で経済システムを運営して来たが、それがオイルショックで頓挫して、次のシステムに移らなければいけなかったのだが、先進国で唯一うまくオイルショックを切り抜けた事が、バブルを生み、自信過剰と慢心をもたらした。そして、新しいシステムを構築する余裕も金も力もある時に、新システムを模索せずに、無意識にせよ、意識的にせよ、新しいシステムの代わりにバブルで誤魔化した事、それが日本経済の良い成熟化の実現を妨げた。

 そして、システムがうまく行かなくなってから、何かシステムがないといけないと云う事に気付いたが、試行錯誤をサボり、懐古趣味、右肩上がりの時代を懐かしみ、右肩上がりになれば何とかなる、だから量的拡大の時代の再現を目指す、と云う一番、安直な、最も悪い誤魔化し方に終始する政策を政治が求め続けた事が、バブル処理の10年で終わらずに、「失われた30年」、このままでは永遠に失われる日本経済、システムのない日本経済をもたらしたのだ。

 そして、これは政治だけの責任ではなく、経済学者及び霞が関官僚の責任でもある。経済学者達は、1980年代には、「不動産も株もバブルとは必ずしも言えず、何らかのファンダメンタルズ、或いは、将来への希望で正当化出来る」と、バブルの辻褄合わせに協力した。次の1990年代には、銀行や金融行政への非難を続けて、リストラを支持し、更に、2000年代には、規制緩和を支持して、官僚達を既得権益の一部と位置付けぶっ壊す事を支持した。

 この間、新しいシステム、日本モデルを提示する事はなかった。制度学派的な議論が流行し、日本型システムとは、と云う議論が1980年代に始まり、1990年代、2000年に入っても続いたが、それは日本の過去を正当化したり、説明の辻褄を合わせて喜んだりしているだけで、新しいモデルは提案されなかった。

 21世紀になってからは、改革案も提示されたが、今に至るまで、アメリカに比べて劣る、と云う自虐的な批判か、アメリカ礼賛のただのコピーかに過ぎなかった。新しいモデルもなく、古いモデルも壊し、何もない状態にしてしまったのだ。

 そして、2024年も何も変わらなかった。

 最先端半導体の開発・製造を目指すラピダスに関与する事に依って、1980年代の栄光を取り戻そうとしており、又、バブル的な良い車は生み出した事はあるが、良い技術者・優秀な文系人間を抱えながらも、組織としては、何も株主にもたらさず、自己満足の組織だった日産自動車は、1990年代に実質的に破綻したにも関わらず、黒船的なコストカットだけで、何かチェンジしたふりをし、黒船が去った後、1980年代の元に戻そうとして、結局何もして来なかった事が現状を招いている。

 何と言っても、折角、オランダに本拠を置くステランティスグループに加われるチャンスがあったのに、自ら潰して、フランスのルノーとの資本関係を解消して、1980年代の様に好き勝手に自分の思い通りにやれる日産を夢見た所が、致命的に間違っていた。


【8】経済学者が新しい日本の経済モデルを提示すべきとき


 これから20年後には、20世紀に先進国だった地域の自動車メーカは、日本のトヨタグループだけになろうとしている現在、欧州は、ステランティスの様に、超高級ブランドのポートフォリオを組んで、スイスの時計ブランドやフランスのLVMHの様な生き残りを図る以外は、量産メーカは全て消え様としている、と云う現状を直視する気が全くないのだ。

 これは、日産に限った事ではなく、殆どの日本の大企業がそうだ。ホンダも、他社を救ったり利用したりしている余裕はなく、トヨタに助けてもらう以外に道はないほど追い込まれているのに、その状況にも目をつぶっている。トヨタと中国・韓国メーカ以外は、テスラが残るかどうかと云う現状を、殆ど誰も見ようとしていないのが問題なのだ。

 勿論、こうではない日本企業も数多くある。それらの企業は、政府や経済学者やメディアの1980年代への郷愁にまみれた世界とは距離を置き、関わらない様にして、日本から精神的に脱出を図っている。

 しかし、政府と経済学者は、それではダメなのだ。2025年は、先ず、経済学者が新しい日本の経済モデルを提示して、それを政治に対して説得する事から始めなければならない。