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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

シュタイナーは一方的に捧げるだけの愛を「滑稽な無私」と呼んだ。

ブログ筆者は若くしてシルバーバーチの霊訓に出会ったが、若い頃は世の中を知らなかったので、こうした教えを搾取のために都合よく使う恥知らずな人間が世の中には沢山いるということが全く分からなかった。

ブログ筆者の印象ではシルバーバーチは皮肉屋で、嫌味を言うことが好きなだけの霊という感じで、動物愛護や利他も、別に出来るとは本気で思ってなかったのだろうと思う。ところが、誰とは言わないがこうした「高級霊」の教えを悪用して従業員に「無私の奉仕」を強要する企業や、自分の俗物根性や名誉欲や性欲は棚に上げて他人に禁欲を強制したり、さほど動物のために金も時間も体力も頭も使ってない癖に、動物愛護を気取ったりする連中というのが現れてるのだ。

これは別にシルバーバーチのせいではなく、解釈してる側やその教えを受け継ぐ側の問題でもあるのだろうが、それでもシルバーバーチの教えに「無私の奉仕」つまりは奴隷労働を強制するソラト的な思想があるから生じるものだと言えよう。

筆者自身がそれに騙され今苦しい立場にいるのだが、それは「自分だけは死後に高級な世界に行きたい」というルシファー的な欲望があったからだ。その清算をしてると言える。とはいえ、シルバーバーチの霊訓やモーゼスの霊訓を始めとする霊的真理には、自殺を止めて貰った恩があるので、そのいい所を無理して否定しようとは思わない。

それでも、他者に無私や禁欲を強要するというのは、極めて危険で破壊的な思想ではあるのだ。シルバーバーチ自身は、「理性が否定する考えは遠ざけろ」と言ってるが、その教えを受け継ぐ「著名人」様達は捻じ曲げて自分に都合よく使ってたりする。

ソラトは「すりかえ」を頻繁に行う。幻の桜でいう所の「つけかえ」だ。個人の幸福の追求は、自身の霊的な成長を求める、霊の自然な権利であり、同時に義務でもある。もちろんそれが過剰になると悪とも呼べる利己主義だが、自分が最低限人間らしく生きるためなら、どうしても必要なことなのだ。よしんばそれが、他者や動物を傷つけることであってもだ。そもそも生きるとはそういうことだ。

「風立ちぬ」という映画は鉄の必然を描いた映画だ。主人公が破壊者でなければ、ヒロインは惚れてなかっただろう。確かに主人公は平和でいたかったが、生きるとはああいうものなのだ。「あなた、生きて」とはそういう意味なのだ。

人間にとってまず大事なのは自分が生きることだ。日本の自殺者の多さは、日本が命よりも捧げることを優先する異常な奴隷社会であることを意味している。だから恋愛が蔓延るし、体育会系が優遇されるし、暗記教育であるし、労働時間が長い。

しかしもう我慢の限界に達した魂は沢山いる。ふざけた人間にはそれ相応の結末が帰ってくるだろう。


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