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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

日本人はとにかく無駄なことでもやりたがるし、それが会話や共感のきっかけになると思ってるのだろう。だから労働時間が無駄に長いし会議も長いし、教師はやたらししゃり出て自分のことを話したがる。ブログでやれって感じだ。教師のおしゃべりほどみっともない授業というのはない。教師が余計な、それも自分語りしかしないような授業というのはホントに多い。そんな教師ほど、自己満足にふけるためにマニアックなテストを作って悦に浸るのだ。喋るなと言いたい。

で、タイトルの話だ。こんな日本人だから、病気ですら、医者にとっても患者にとっても、互いの必要とされたい願望を満たすツールになる。だから効果がある治療よりも、効果があるのかないのか分からないやたら手間のかかる、でもドラマチックに仕立てあげることができる治療を望むのだ。癌に対してなら、外科手術抗がん剤放射線。なんか手間がかかればそれっぽいと思ってる。マクガバンレポートとか甲田療法とか中医学とか何それおいしいの状態だ。だってそれっぽくないから。

医学論文だのエビデンスだの有意差だの言う人間もいるだろう。でも論文書いてる連中も恋に狂ってる、必要とされたい願望に狂ってるから仕方ない。薬の投与だってそうだ。薬なら共感が得られるから、作るまでがなんか面倒だから、漢方や食事療法よりも有難がられる。医者も患者も、さほど治す気がないのだろう。でも簡単な仕事をダラダラと長い時間をかけて終わらせるように、ダラダラと無駄なことを沢山やって治療を終わらせたかのように見せる。

別に西洋医学が悪い訳ではない。検査や治療法に客観性や再現性があるという点では、東洋医学より優れている。問題はそれを扱う連中が恋に狂ってるという点だ。だから日本の医療はソラト的なのだ。癌患者数が増えこそすれ減りはしない。恋愛のためなら病気でも増やしましょうという感じだ。人の必要とされたい願望ってのは、それほど恐ろしい滅びの感情だ。本人にとっては楽しいのかも知れないが、周囲にとっては迷惑でしかない。滅びるなら一人でどうぞと言いたい。