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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

動物実験について、日本はさほど規制は厳しくないが、海外はもっと過激らしい。愛護団体の人が実験施設の動物を逃がしたり…なんてこともあるそうだ。

シルバーバーチの霊訓を始め多くのスピリチュアル関係の本は動物実験を批判してる。シュタイナーも動物実験に携わった人は死後に動物に与えた苦痛を自分も感じると言っていたと思う(反対はしていない)。

で、僕は実際に動物実験に関わったことがある人間だが、経験者の観点からすると、動物実験が無くならないのは、人間の思考方法に原因があるのだと思う。アーリマン的な思考方法だ。で、日本の労働観や教育システムは、アーリマン的な思考を前提にしてるので、動物実験は無くなりようがない訳だ。

例えば、人間の病気の原因は霊的なものだから、動物実験では治療法は分からないという意見があるが、肝心の人間の病気の治療にしたって、血液検査や尿検査の「数値」やX線やCTやMRIなどの「画像」による診断が元になってる。毎日贅沢な食事をしてたからだとか、利己的な考えだったからとか、アーリマン的な思考に取り付かれてたからだとか医者が診断することはまあないだろう。病気の原因が霊的なものでも、そんなのが確定診断に使える訳がない。

西洋医学は唯物的な思考が元になってるので、必然的に医療の発展のための動物実験も、唯物的な思考に沿うものになる。動物実験に反対するなら、霊的な原因を確定診断に結びつけられなければならないが、そんなのは不可能である。コンプライアンスに欠ける。訴えられる。よくスピリチュアル関係の本では利己的な思考が原因となって癌になると言ってるが、癌が発覚した所で既に唯物的な思考に取り付かれるので、思考を変えるなんて到底無理な訳だ。で、姑息的に外科手術や抗がん剤や放射線治療で治そうとする訳だ。

医者ってのは霊的にも尊敬される仕事らしいが、その仕事内容の殆どは動物実験から発展してきたものだ。あらゆる医者にはこの自覚が必要だし、医学的な観点から動物実験に反対する人間にも必要だ。

それと、動物実験に反対する医療関係以外の人(要するに部外者)に言っておきたいのは、今の自分の仕事や生活は、誰かの苦しみの上に成り立ってないかどうかを考えて欲しいということだ。例えば、営業職なら、客を騙さなければやっていけないだろうし、建築業なら、自然を破壊しなければやっていけない。モノを作る仕事はそれだけ世界をややこしくする。はたまた教師みたく、何も新しいモノを生み出さないのに金を貰ってる人もいる。専業主婦なら子供が大きくなってたらもうニートだ。高齢者なら年金で若者に苦痛と負担を強いている。

動物実験を批判する人は、果たして誰も苦しめずに生きてるのだろうか?僕はそうは思わない。誰も苦しめずに生きていける人なんてこの世にはいない。その相手が人間であるか動物であるかだけの違いだ。動物だから苦しめていいとは思わないが、人間を苦しめてる自覚のないのはもっとよくない。

自覚による認識、それに伴う思考の変化が、動物実験を正しく考える上で大切なのだろう。シルバーバーチも本当はそれを伝えたかったんじゃないだろうか。