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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

簡単なことを一々分かりにくく説明したり、必要以上に難しいテストを作りたがる教師っていなかったろうか?僕は沢山見てきたし、そうじゃない教師の方が珍しかったと思う。

そんな教師にあるのって何だろう?

欲望だ。

欲望は直観を鈍らせる。だから簡潔な説明が出来なくなり、一々難しい理解しにくい説明をしたりテストを作ったりする。

人にモノを教える立場に立ったら分かるが、「教える」って、物凄い傲慢の誘惑がある。特に学校教師なんか、自分は何も創造しないのに、数学や物理の公式を、さも自分が考え出したかのように勿体つけて「授けて」下さるだろう?たまたま自分が生まれた環境の中で成長していって身につけた知識を持ってるだけで、自分が神様にでもなったつもりになるのだ。

第一教師が授業をするのって、おかしなことじゃないだろうか?分かりやすい参考書やネットの教材は沢山あるのに、なんでわざわざ自己顕示欲の強い人間の妄想を聞いて拍手しなければならないのだろうか?教師ってのは、誰にも見向きもされないクソみたいな参考書が勝手に口をきいて、「俺は重要な人間だ。だから俺の話を聞け!」って言ってるようなもんだ。

教わらなければ教えることは出来ない。だから人にモノを教える人間には、常に謙虚さが要求される。その意味で、「教育」とは教える側にとっては常に厳しい試験でなければならない筈だ。そこを、自分が立派だから生徒に話を聞かせる権利があると勘違いしてる妄想教師は多い。霊的真理やシュタイナー教育も知らない人間が教壇に立つのって、けっこう恐ろしいことだ。傲慢さと脅迫により絶えず生徒に恐怖心と不安を与え続け、自分の支配欲や名誉欲を満たしているのだ。

これからの時代、子供達は団塊やアーリマン的な先人が残した破壊の産物と共に、苦しい時代を生きていくことになる。そんな中、教師は反面教師にでもなれれば立派な方なのだろう。だが、立場の弱い子供に不安を与え、自分の支配欲を満たすようなみっともない真似は、いい加減自覚して欲しいものである。