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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

唯物主義というのはアーリマンがもたらしたと思われてるが、アーリマンの見せる幻想を強固なものにするのは、ルツィフェルの力だ。科学を宗教のように信奉する人の熱狂は、ルツィフェルがもたらしたものと言える。アーリマンとルツィフェルは共役して、人に唯物主義という幻想を見せているのだ。

つまりは、欲望が強くなければ、アーリマンの幻想にも陥ることはないのだ。逆に言えば、科学万能主義の人や、先例主義の人、集団主義の人って、一見すると冷静だったり人のために生きてたりするように見えて、実は単に欲望が強いだけなのだ。

アーリマンは、「自分が今まで従ってきたもので、これからも同じように幸せになりたい」と思わせる幻想だ。だから、統計学や年功序列の会社組織、体育会系に宿りやすい。体育会系って創造力がないのに、チヤホヤされたい。世間から評価されたい。考えたくない。って考えてる集団だ。物凄く、物凄く欲望が強いのだ。だから、高校球児はいじめなんかの不祥事が絶えないし、プロスポーツは腐敗してる。

スポーツマンシップってのは、欲望を隠すための徹底的な建前を築くための精神ってとこだ。論語みたいなものだ。礼儀ってのは、お互い信用してないことが前提だから必要になる。礼儀が、地獄を生み出したと言っていい。

「霊の存在は科学的ではない」と言ってる人間も、要するに欲望が強いのだ。でも、今の日本経済ってのは論理性や芸術性よりも、欲望の趣向を(客のニーズを)重視してるから、日本の労働システム自体がアーリマン的思考を増長させてるといっていい。エコノミックアニマルというのは、そういう意味だ。

アーリマンの見せる幻想から逃れるのは難しい。何故なら、一見すると、社会的に「いいこと」だからだ。アーリマン的なものって共感を得やすいのだ。だから共感と賞賛の誘惑に駆られた人間は生涯の長きに渡って、アーリマンの誘惑に陥ることになる。アーリマンの誘惑に陥った人間の特徴としては、「直観が鈍い」というものがあるだろう。

的外れな政策ばかりする政治家や企業のトップというのは、欲望が強いのだ。変に地位を得てしまったために、アーリマンの誘惑から逃れられなくなったのだろう。

アーリマンの誘惑から逃れるための第一歩は、「あらゆるものを疑ってみる」ことと、「集団への反逆」だ。これだけで、とても多くの真理が見えてくるようになる。といっても、慌ただしい今の日本では難しいかも知れないが…。