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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

 

 

「勝ったものが正義」という価値観が、人の想いを見えなくした。そこにはスポーツを楽しむという感覚はなく、「競争により生まれる優劣を楽しむ」という優生学的な思想だけが残った。

ブログ「幻の桜」に、スポーツを神格化する社会は、無駄な労働を賛美して、自然を破壊し、資源を無駄遣いするようになるという記述があった。実際、日本人は無駄な仕事をするのが好きで、「勤勉なのではなく、忙しいフリをしてるだけ」と外国に評されるようにまでなった。

就職活動で体育会系が好まれるのは、序列争いのために無駄な仕事をすることに抵抗がないからだ。序列のために活発に働き周り、自然を破壊する。その姿勢は、権威主義的な企業つまり大企業にウケがいい。

ところで、スポーツ選手や体育会系が社会でこれほどまでに神格化されるのに、違和感を感じないだろうか?

彼等は何か作ってるのだろうか?食べ物を作ってる訳でも、生活を便利にするものを作ってる訳でも、漫画やアニメを作ってる訳でもない。ただ打ったり走ったり蹴ったり投げたり、非生産的な運動を派手にアピールしてるだけなのに、何故これほどまでに高い金を貰い、人格者とまで見なされてるのだろう?

困ってる人や動物を助けようと日々頑張ってる人は沢山いるけど、彼等の多くはスポーツ選手よりもずっと安い給料で、過酷な労働環境だ。介護なんか、考えてみれば分かると思う。

スポーツ選手が神格化される社会では、労働もスポーツ化される。つまり、無駄で意味のない、誰も助けない、誰も心から感動させない下らない仕事が量産され、「勝ったものが正義」という価値観が蔓延する。仕事がスポーツ的になると、「仕事ができる」ことの評価が、スポーツ的になる。つまり、ピケティの資本論だ。「最初から金を持ってる人間が偉い」という考え方が蔓延し、スタート地点の異なる競争が行われ、弱者はどんどん淘汰され、搾取される。これは、「劣った遺伝子を持つ人間は淘汰してよい」という優生学の思想だ。

ヘルクリエイターつまりソラトは、序列が生み出す地獄を維持するために、この優生学に固執する。それは、身近な所だとアベノミクスやブラック企業の搾取、スクールカーストなんかに見てとれる。

このソラトの違和感を霊視したい人は、感動する物語やアニメを見た時の自分の気持ちと、興奮するスポーツの試合を観た後の自分の気持ちを比較して欲しいと思う。別にどちらがいいと言う気もないが、違った心象が現れてくる筈だ。

そしてその霊視像は、とても身近な世界に沢山潜んでいるのである。