真に理系的な発想をするなら、自ずと優れた直観、即ち超感覚的な認識に至るだろう。直観と論理的思考は相反するものと考える人が現れるかも知れないが、その批判は当てはまらない。
どんな自然科学的な思考も人間の表象に訴えかけてるという点で、現実認識とはほど遠いものとなる。自然科学を現実認識と近づけるのは人間の想像力に他ならず、想像力が現実に限りなく近づいたものを直観と呼ぶ。
だから自然科学はある意味で優れた直観の歴史の集大成であるが、現代の暗記教育は、自然科学から直観を抜き去り、干からびた魂のお絵描き教室のようにしてしまった。
自然科学の方程式や法則を丸暗記し、想像力を軽視すると、霊的な認識を軽視する人間つまりは、「科学的思考なき科学者」を生み出してしまう。中途半端に唯物論に傾倒する人間は殆どがこのタイプで、厳密に唯物論をつきつめると、必ず直観は超感覚的な認識という答えをくれるのだ。
唯物論をつきつめて唯物論に至るとすれば、それはソラトに曇らされた認識と言っていい。ソラトは強力な悪魔なので、その誘惑にあらがうのは難しい。
原子力を「本当に」理解できるなら、その破壊力を人を殺すために、自然を破壊するために用いようとなどは考えない筈だ。技術を殺戮に用いるのは科学的思考なき科学なのだ。唯物論とは、自然科学への謙虚な畏敬の念が失われ、「自然科学が自然を生み出す」という誤った思想に染まった者の心に宿る悪魔なのだ。
