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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

「滑稽な無私」に見切りをつけてしばらく経って、久しぶりにシルバーバーチの霊訓を読んで感じたことがある。

シルバーバーチもシュタイナーも老師もキリストも、言ってることは同じなのだと思う。

ただ、「無私」や「人のため」という言葉の集合意識の意味が汚れてるために、解釈に語弊が生じやすくなってるのだろう。

「人のため」という言葉は…「地球のため、人類のため」みたいに捉えた方がいいだろう。「無私」という言葉は「作為的な意図無しに、自然に」と捉えるべきだろう。

そうでないと、「他人のために自分を犠牲にして、ブラック企業に勤めて一生安い給料で奴隷のようにコキ使われておけ」という意味にしか見えない。

言葉を表面だけで捉えると教条主義的な思想に陥ったり、他人に禁欲的な振る舞いを強制するようになってしまう。

けどこれだけは断言しておく。

文章から読み取れるシルバーバーチの人物像は間違いなく「皮肉屋」だ。

自信満々で嫌味たっぷりに皮肉を言うのが好きな霊だ。そこがシルバーバーチの魅力といえば魅力なのだが、この皮肉屋の意見を、字面通りに捉えるのは本当に本当に危険なことなんだ。

例えば動物愛護の話だ。

シルバーバーチは肉食や動物実験だって、心は痛めていたが、本当になくせるとは全く思っていなかったと思う。というか、それで生計を立ててる人がいると分かってて、無くすべきだと本気で考えるほど馬鹿な霊ではないと思う。

では何故動物愛護の話題をよく出すかというと、それだけ現代人は動物の苦しみに「無関心」だからではないかと思う。

僕は仕事柄普通の人より多少動物のことに詳しい、だから、いかに現代人が、日常生活の中で動物(や、自然)に負ってる所が大きいにも関わらず、それらの大切さに無関心かよく分かるのだ。

だから、普段全く動物と接しない連中相手には、「肉食も動物実験もいくない」と言うくらいで丁度いいと考えたのではないだろうか。

そのシルバーバーチの真意を勘違いする人間が、動物実験を廃止させようとしたり、肉食を廃止させようとするのではないだろうか。そんなことするより先に、やることが沢山あるだろうに。

シルバーバーチの教えの本質もシュタイナーと同じ…つまりはキリスト意識だとすれば、スピリチュアリストの使命とは、堅苦しい教えに従うことではなく、真の意味で「自分に」従うことなのだろう。

それがシルバーバーチの言う所の霊性の開発であり、道具意識だ。