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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

先の記事と似たような内容だが、重要なことなので続ける。

大学教授というと、人生について深く知っており、頭がいいイメージがあるが、本当に頭がよければ、「教授」なんて呼ばれることが嫌な筈だ。

頭がいい人って、常に勉強をし続けたがるものだ。大学教授になっても、他人から学ぶ姿勢を忘れないならずっと賢くなり続けるだろうが、大抵は「教授」と呼ばれる内に気分が良くなって、若い頃に蓄積した輝かしい業績や肩書きを食いつぶして、それを若い学生や世間の人達にひけらかすことを楽しみに生きるようになる。

学ぶことをやめた人間が頭がいいわけがない。問い続けることをしない人間は世の中について何も知らない。だから大学教授に哲学は語れないのだ。

よくテレビで高名な大学教授が人の生き方や心理学や犯罪や社会の様々な問題について、時には「本質を見抜くには」とか「本当の頭の良さは何か」とか色々なんか言ってるが、実名と顔をテレビで出して語りたがってる時点で、彼はピアニスト向きなのだ。

目立つのが好きな人間に、哲学のようにひたすら自分の疑問を追求するようなものは向いてない。威張って目立ちたいというのは、ピアニストタイプの人間にとって悪いことではない。しかし、彼が哲学について語るのはやはり悪なのだ。哲学は、調律師の仕事だ。

日本は無駄な仕事が多く労働時間が長いが、ピアニストタイプにとってはこれは有難いことなのだろう。自分の目立つ場が増えるし、周囲に自分を見て貰える。それはそれで一つの善なのだ。ピアニストがどんな動機で働いてるとはいえ、彼に助けられる人はやはりいるのだ。

しかし無駄な仕事が好きな人間に、哲学は語れない。真理を見抜く過程は、徹底的な無駄の排除された、優れた直観的洞察の積み重ねだ。その点日本社会の無駄な仕事は、哲学にとって敵でしかない。哲学者は無駄な仕事に「苦しめられる」ことで、より自分の力を強め、文芸や芸術(アニメ、漫画など)を通して、自分の善を全うする。

もちろん哲学者タイプが目立ちたいと思って、無駄な仕事をしたり社会でスタイリッシュに活躍したいと思えば、それは悪となる。

善と悪はこのように人の向き不向きによってことなる。ブラック企業による搾取も、こんな所から起こる。ピアニストが自分はピアノの調律師の才能があると思った瞬間に、搾取は生まれ、この世は地獄となるのだ。