日々の雑事の哲学的解釈 -11ページ目

日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

更に続ける。

日本の学校教育が暗記中心なのも、ピアニストタイプが多いからだ。既にある楽譜通りに演奏するように、既に決まった知識を暗記して、それをテストの答案に書いて、自分は勉強をしていると「演じる」。

これも調律師タイプには理解できないことだ。調律師タイプは考えることが好きだ。だから暗記中心の学校教育にはうんざりしてるだろうし、その苦しみが創造的な方向に向かったりして、芸術家になったりする。

で、怖いのは暗記好きな連中が、「頭いい」と見做されてしまうことだ。東大も、ここ数年で重箱の隅をつつくような暗記中心の入試問題にすっかりシフトしたせいで、ピアニストタイプ…つまり創造が苦手なタイプが増えた。この手の人間は、研究活動にしても力技でゴリ押すような効率の悪い、美しくない研究しかしない。この手の連中は、研究に愛がないのだ。ただ自分が目立つために、偉そうにしたいがために「研究」という言葉を使いたがる。研究内容が社会にどう役に立つのか、それは今後の地球にとって、自分の感情にとってどんな意味があるのか、そういったことに極めて鈍感だ。

最近の日本は研究の世界でもモノづくりの世界でも愛が消えてしまったように感じる。それは、ピアニストが自分もピアノの調律師としての才能があるから調律をさせろと主張し始めたことが原因でもある。もっとも、調律師もそれにちゃんと抵抗しなかったのも悪いのだが…。

調律師にも誘惑はある。異性の目だったり、名誉欲だったり、自分のピアニストとしての気持ちを呼び起こさせるものだ。いくら調律師といえど、可愛い女の子の前でかっこよくピアノを弾きたいと妄想してしまうことはあるだろう。それをピアニストに見抜かれると、「じゃあ交代しようか」なんてことになる。そして悲劇は生まれ、この世に地獄が現れるのだ。

勉強が好きでテストでたまたまいい点をとっても、調律師にとってはホントはどうでもいいのだ。しかし性欲や名誉欲の誘発は、彼を襲う。そしてピアニストが嫉妬する。こうして、暗記教育は広まった。

今の日本の教育現場からは学ぶ喜びは去った。あるなは目立ちたがり屋が演じる喜びで、それはいじめや教師の性犯罪といった、醜い悪魔の所業に移り行く。

そろそろ日本経済も限界が近いので、いい加減暗記教育は撤廃して、目立ちたがり屋は目立つのを諦めた方がいいと思う。オリフィエルの時代が来て日本が滅びれば、演技もクソもないのだ。もっとも、彼らはオリフィエルの時代の日本すら、自分が目立つための演技の舞台にしようと思ってるかも知れないが…。