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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

 

 

 

日本人で仕事にやる気がある人なんて殆どいないと思う。長時間労働だからやる気があると思われるかも知れないが、やる気がないからダラダラ仕事するのである。

長時間労働をするのは、又はさせるのは、仕事を演技と捉えてるからだ。つまらない学校行事と同じで、他人や異性の目を気にした演技の材料として仕事があるのだ。だから、効率が悪いし無駄なことを勿体ぶってやるようになる。

別に演技が好きなのは個人の勝手なのだが、真面目に仕事を「仕事」としてこなす人を搾取する風潮が生まれた。本来なら仕事はその成果や社会への貢献度に応じて評価が成されるべきなのだか、勿体ぶって仰々しく仕事をする「演技」をする人間が、まるでいい仕事をしてるかのように見られる風潮が生じた。

その風潮が生じた時から、コミュニケーション能力なんていうあるのかないのか分からないような能力が重視されるようになった。要するに、真面目に仕事してる人間より、仕事をするフリが得意な人間が評価されるようになったということだ。営業マンが技術屋を搾取するために生まれたのが、コミュニケーション能力重視の風潮である。

日本人の大半は論理的思考なんか持っちゃいない。仕事の出来不出来だって作られたモノの良さや性能ではなく、雰囲気や権威で決定される。営業マンにとっては、モノ作りでさえ演技の手段なのだ。だから、日本の電化製品は世界で評価されなくなったのだろう。もっともそれは、顧客に不便さを押し付けるようになった米国の有名IT企業にも言えることだ。

労働を演技化してしまった社会では、技術職が営業化される。つまり、モノ作りが機械化されると言っていい。これはソラトによる人間の自我の破壊であり、人格の破壊である。

労働を演技化する多くの人間の心理は言わば、よりラクをして儲けたい。よりラクをしてチヤホヤされたいということだ。一生懸命何かを作ったり誰かを助けたりするよりも、今の自分がやってることを特に変えずに同じことだけし続けて、かつ他人から賞賛されて生きていたいという究極に怠惰な願望から生じる。

過去への永遠の執着と言っていい。1998年にもたらされたアーリマンの三つ知恵、優生学、予防医学、律動学とは、永遠に怠惰でいたい人間にとっては、この上ないメフィストフェレスの誘惑となるだろう。

そんな悪魔の誘惑に乗っ取られた人間の暴走に対処するためにも、人智学や古典の勉強は大切である。こらからも続けていこうと思う。