<情況>

5月17日:あんなつまらない用事でおやつタイムを後回しにしていなかったら・・・

5月20日:この頃から柔らかくしたペレットで対応しはじめていたら・・・

5月23日:慌てて時間外診療に連れて行って、長い待ち時間と念の為の導尿なんかでかえって痛い思いやストレスを加えてしまったんじゃないか。獣医さんの言葉に少し安堵して「翌日から」に向けて隣室で爆睡しておく事も無かったんじゃないか。

最期の最期を看取ってやりたかったのに・・・

 

主に、こんな些細な?事が情念的に、ドロドロと纏わりついて来る。

「今」更どうしようもない事であるし、「もし」別の選択肢を選べていたとしてもその先はより一層悔しい思いをする事態に取り込まれていたかもしれない、

と。脳内から自分に言い聞かせてみても。何かをきっかけにフラシュバックしてきてしまう。

<対策>

・昼は、なんやかんや、忙しくする。できれば同じ想いを共感できる人と接する。

(他に夢中になれるものがあるならそれに没頭するのに越したことはないが、そもそも、そうなれない、あるいは「フラシュバック」はそれでも起きる瞬間があるのが問題情況)

 

・動き回れない夜は、飲みなれない酒か安定剤みたいなものを飲んで気分を紛らわす。

 

・これは専ら「自分の側の問題情況」なのであって、「おそらく寿命あるものとして旅立った側の問題情況」なのではない事をしっかり自分の心身に呑み込ませる努力をする。

 

 

退職時期がコロナ騒ぎと重なり、従来からの行動特性も相乗して、引きこもり気味生活。ペットだけと過ごす日常時間がほぼすべてという期間が長く続いていた。          

自分の年齢・生活環境を考慮すると最期にせざるを得ないだろうペットとの同居生活。

「わが子」に先立たれる親の心情と「自意識」を見送る視点のシンクロ感部分からの誘発。

臨死時期で一旦断ち切ったそれまでの人間関係と実子との疎遠。

臨死前後の自分時間の流れ。

様々な流れが錯綜して「整理」を望んでいる。様だ。

 

 

ただ、臨死体験時の「もっと味わいなさい」

と同じ様な空間から「だいじょうぶ」

そう日本語に翻訳したら良い様なイメージが降ってきた時、

何故か少し情念が穏やかになった。

それは、眠りの中の夢ではなく、白日夢の様に突然来た。

映像にすれば、長女役の愛犬が姉の様にその後の三羽の兎たちを連れて来て、

僕に何かを伝えようとしている。そんな映像だった。後ろの方で旅立って間もない末っ子ウサギがおずおずと顔を出している様にも見えた。いや、長女役の愛犬が一瞬そう見えたのかもしれないし全部が一瞬別々の顔に見えた様な心象なのかもしれない。

何が「だいじょうぶ」なのかもよくわからない。愛犬たちが「みんなだいじょうぶだよ」なのか、「とうちゃん、だいじょうぶ!」なのか「とうちゃん、だいじょうぶ?」なのか、全部ひっくるめて「なんかだいじょうぶ」なのか・・・

でも、それは、脳内からきたものでない実感がある。

あるいは、自分の盲目の生を慣性しようとする身体が「惑星ソラリス」の様に、

脳内に送り込んだイメージなのか、もっと得体の知れない部分が送り込むイメージなのか。

そこでは、彼らと過ごした「30年近くの時空間を何故直近1~2週間の時空間で括ろうとするのか、過去から未来に流れていくように見える「時」は脳内で勝手に不可逆的に整理されているだけ。すべての瞬間はすべてモナドの様にある(あった:同値)楽しかった時間も忘れないで」とでも理解する様なメッセージがあると思えた。(いや、想いたい、だけ、なのかもしれない、が)