五月二十六日夕方。茶夢くん煙と共に旅立つ。
煙とともに、とうとう逝ってしまったね。
10才11か月8日
ずっと幸せな空間で包んでくれて 「ありがとう」しかありません。
ぽっかり空いた チャムくんに繋がった こころの穴は
これまでの幸せだった時間の反作用なんだろうか?
このデジタルタトゥーのサイバー空間にも 君の面影を残しておこう。
獣医さんのオピニオンに少し安堵したせいか、
受診帰りのあの晩に限って、明日からの世話への英気を養おう!
と。
久しぶりに隣室のベッドで寝不足解消の爆睡している間に
逝ってしまうなんて・・・
なんてこったい!!!天に唾でもしてやりたいぜ。
最期の声掛けしてやりたかったな。
最期の声掛けして欲しかったろ?
ま。
只の僕の脳内自己満足でしかないのかもしれないんだが、
その一瞬を逃したくなくて、このところ、
ずっとシュラフで添い寝してたんだぜ。
昔。愛犬が僕の腕枕で逝く時に、
高校生の頃から呑み込めなかった「小乗」から「大乗」への疑問を
やっと少し吞み込めそうな気がした様に。
「僕、死んだらどうなるの?」
<死にゆくおさな子に「空」や「無」が説けるか?>
「天国という所へいくんだよ。ポチも待ってる。
お爺ちゃんおばあちゃんも待ってる。
楽しいところだよ。
パパもママも少ししたらいくからね」
嘘じゃないよ。
(三乗の方便さ・・・)
そんな感じの声掛けしてやりたかったね。
もし、きみもそんな風に僕の声を待っているといけないから。
ま。
どっちみち、僕がそう想っているだけなのかも知れないし、
そういう最期の気持ち同士の空中ブランコみたいなのやりたかった、
きみもやりたかったんじゃないかと想いたい。
だけなのかもしれない。し。な。
「最期」はこんなんになっちまって悔しいけど。
もう、「今」ではないし、「今」にはできない。
「とうちゃんのイビキが聞こえてたさ」とでも
勝手にそんなイメージで脳内にオキシトシンを誘い出そう。
「茶夢くん依存症」による「禁断症状」は脳内麻薬をかなり使わないと。
なかなか抜け出せないだろう。からな。
きみの身体も煙と灰になった。
きみはきみがきみである事ももう忘れて、
僕があの時垣間見た光の中に
ウサギらしく「走」っていっただろう。
きみがきみである事も忘れていくように、
僕も「今」ではなくなった「あの悔しさ」を成仏させよう。
あの光はとても、心地よさそうなところだったぞ。
何故か、僕は
「まだ早い。もっと味わいなさい」と。
引き帰らされてしまったけれど。