令和4年10月1日

安倍氏の国葬も終わり、日中国交回復50周年も過ぎ、プーチン教ロシアによるウクライナ侵攻もクリミア侵攻類似で幕引きを試み始め、9月が終わった。

 

プーチン教ロシア世論は欧米寄りの視座からの報道ほど反プーチンシフトなのだろうか?かつて「大東亜共栄圏」をかざしてわが大日本帝国が大陸「侵出」を試みていた時代。大本営発表の「勝ち」報道を信じられる限り、国民の多くは「熱狂」や「支持」をし続けた。一部を除いて、「戦争反対」であるからでも無く、「敗け」を意識し始めたから「反戦」が拡大していったに過ぎない。所詮、多くの人間なんてそんな生き物。国民「世論」なんてそんなものだ。と、思う。

 

大日本帝国は、アメリカの「核兵器」によって大きく譲歩した。

明治国家神道の長は、皇軍に対し、本土決戦を叫ぶ原理主義よりも玉音放送による現実的な事態収拾を選んだ。

大日本帝国は明治以降の拡大帝国領土を連合国軍(実質米軍)の統治下に置かれ、

皇軍は武装解除。GHQによる間接統治の下での新たな日本国憲法の下、憲法9条によってその状況は「理念の装い」を纏って戦後レジームに組み込まれていった。

ただ、憲法9条は、大本営発表や観念的な勇ましさや美辞麗句に酔う「言葉使い」達に共振し「勝ち」を安易に信じて熱狂した世代の、「敗北」に伴う残念さと失ったものの大きさ、戦争の悲惨さの実感、無知への後悔等々・・・「実体験」に基づく様々な実感によって切実な想いを籠めて広汎に強く支持されていた時代背景もあった。

その時代の実体験は世代と共に風化する傾向にあり、反面、異国の為政者によって戦後「敗北」情況への刻印化への利用に、飽くなき反日「恨み」形成カードとして自国民向けに利用され続けている。

 

大日本帝国の戦争はある意味、「核兵器」によって終焉を迎えた。

その「核兵器」による戦後レジームは、「思想」を旗印にした冷戦構造崩壊後も宗教・民族・グローバリズム・ナショナリズムの混沌の中、まだ、そこそこ機能している。

プーチン教ロシアには、大日本帝国のように他国の「核兵器」によっての無条件降伏など無いだろう。「勝ち馬」志向の圧倒的国民の多くは、さほど後悔・反省などしはしまい。

ただ、周辺諸国の経済安全保障の流れは続くだろう。エネルギーと兵器と食料が稼ぎ頭となっている土地だけは広いロシアは、朝鮮同様今後中国の従属国となっていく可能性が高い。

 

日中国交回復50周年。このままでは、経済・安保に関してはかっての力関係は残念ながら反転していく傾向は続く。いや、もう反転している。

 

プーチン教の政権も、習近平大陸中国政権も、金正恩北朝鮮政権も長期独裁故のメリット・デメリットをしたたかに駆使してくる。文在寅にもトランプにも復活の芽はある。

だが、

ワシントンタイムズや国際フォーラム(交流・学習会)人脈といった、日本人信者からの献身的な資金で支えられた旧統一教会のおかげも加えて、国際保守人脈形成にある程度成果を持てたかもしれない(保守系右派のトランプとの関係構築が結構大きいだろう安倍晋三は、戦後三代にわたる捻じれた巡り合わせの「凶弾」に斃れた。

 

プーチン・習近平・文在寅と安倍晋三はほぼ同じ年代。

プーチン・習近平・(文在寅)・トランプ・安倍晋三は強権志向への親和性が強い様だ。

戦後、台湾問題を含めて、微妙な駆け引きも進めていた岸・佐藤・田中・・・(小沢)と続いてきた、対米カードとしての対中国外交を無茶苦茶にしてしまったと思われる歴史的な役割しらずの空騒ぎ民主党政権後の、危険なこの国の外交真空状況を埋めてくれていたのは、色々言われるが、やはり安倍晋三だった。と。残念ながら僕は思わざるを得ない。

丁度、新資本主義の舞台裏チラ見えでもあったリーマンショックと日中関係反転の象徴期、対米一辺倒にならざるを得ない情況にしてしまったのは、民主党政権だ。文在寅政権程のしたたかさも信念もなく、小沢を親米勢力に差し出し・・・

ま。よそう。僕は小沢ファンでは実は無い。政治的な腕力はあのごちゃまぜ政権内では他に皆無だったと思っていただけだ。

 

さて、今年春からの僕の脳内整理。一幕まとめ終わる。

今後、この国はどうなっていくのだろう?

特に環太平洋の東アジアの時空間は。

去り行く世代として少し気懸り。余計なお世話でもあるのだが。

 

やっぱ。

国破れて山河在り。だな。