令和4年8月16日(火)

お盆と終戦記念(祈念)日と戦没者追悼式と靖国神社:脳内整理

 

お盆

☆お盆の起源

・お盆の正式名称である「盂蘭盆会(うらぼんえ)」は、仏教の「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に由来しているとされている。

お釈迦様の教えが「(旧暦)7月15日に供養する」というものだったことから、現在のお盆の風習が始まったらしい。

・住む地域や信仰する宗派によって、お盆の風習は変化。一般的には、盆の入り(盆入り)である13日に迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、盆明けの16日に送り火を焚いてあの世へ再びお送りする。

お盆期間中は、ご先祖様を供養するために過ごす。法要はもちろん、お墓参りでお供え物をすることも、盆踊りで踊りを奉納することも、お盆の正しい過ごし方です。

 

先祖に限らず日常生活の時間の中で「親しかった近親・(ペット)・友人・知人達」への情感を伴った記憶の核が、脳内でシンクロする。「親しかった近親・(ペット)・友人・知人達」も生前同じような想いをもっただろう、あの世というものがあるとするなら「ば」、きっとここで待ち合せたいと想っていてくれる。と。想いたい。(ペット達は、縁あってほぼ拉致監禁させてもらった人間側からの想い入れなんだろう。が・・・想ってくれるといいなあ。だ。な。)

そんな待ち合わせの時空へ。と。いうイベントとして、

生きている側の日本で生まれ育った僕の中にある意外に自然な感情だ。

「靖国神社で会おう」も 当時の時代環境の中で戦友や近親者たちとの素朴な共有感情として、多分戦死した少なからぬ兵士達の脳内や残された人たちの脳内に反映していたのではないかとも推測する。

 

8月15日は、「日本の終戦記念日」:(日本以外では降伏文書に署名した9月3日とされているらしい)戦没者を追悼し平和を祈念する日です。当日は日本武道館で、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われます。 厚生労働省。

8月6日「原爆の日」。広島平和公園で行われる広島市主催の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)

割と僕の中では自然な感情につながる。

 

ただ当日の政治家の「靖国神社参拝」には複雑な感情がまとわりつく。

お盆から平和祈念式典や戦没者追悼式へとつながっていく流れの中で、遺族の気持ち、祖国の為にと戦った兵士達の気持ちへのシンクロの中で、何となく増幅していく夾雑音が脳内整理の過程で大きくなっていく。

それは「孤独な群衆の大衆化」が<真空地帯>を通じて「大衆の国民化」と「国家神道」といった流れにバキュームされていくような感覚。カルト的なものに吸い込まれ「たい?」誘惑

ウクライナからここまでつながってきた様だ。

 

靖国神社(1869招魂社建立1879靖国神社に改称)

官軍として戦って戦死したもの達の慰霊・「顕彰」・を目的として設立。

(従って当初、幕府側で戦って戦死した白虎隊や彰義隊など、多くは東北・北陸の戦士達は、逆賊扱いであるから含まれていない。今でも?)

創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した。

1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により、宗教法人法の単立宗教法人となった。(日清・日露を中心に勝ち戦の顕彰が多かったが太平洋戦争の敗戦で「顕彰」の意味合いがより複雑化:私的メモ)

国家神道の代表的施設である。

終戦の日の8月15日午前には放鳩式が行われる。また、戦没者の遺族らが参拝するほか、歴代内閣総理大臣では三木武夫、福田赳夫、鈴木善幸、中曽根康弘、小泉純一郎がこの日に参拝している。また閣僚、超党派議員連盟のみんなで靖国神社に参拝する国会議員の会等による参拝もなされ、境内では毎年戦没者追悼中央集会が開かれている。