坂元さんのドラマと本と | wandering blue

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昨年~今年に読んだ本を書いて雑談ついでにupしようと思っていた。

ところが途中まで下書きしていたら脚本家の坂元さんの作品の話を長く書いてしまったので分けることにした。

 

ということで「坂元さんのドラマと本と」

 

以前にもブログで書いたことがあるが坂元さんが書いた脚本のドラマがスキだ。

不動のMY BESTは「それでも、生きてゆく」で、これは最初にリアタイしてからず~~っと1位だ。

 

じゃあBEST2、3は?と聞かれると、「カルテット」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「スイッチ」「大豆田とわ子と三人の元夫」…絞れない(爆)という感じ(笑)。

 

しかし、昨年の夏に2位か3位か決められないがBEST3には入る!という作品が出た。

 

初恋の悪魔

 

初恋の悪魔

 

表紙(OP映像の画像と公式ポスター)の林遣都君の顔はなぜかハリー・ポッターに似ている。

これをポスターに起用した製作者陣は林君の顔がハリー・ポッターに見えてしまう現象に気づかなかったのか?が気になる。

見えていても使ったのだろうか?(笑)

 

初恋と悪魔よりも前に放送された「大豆田とわ子と三人の元夫」についても1本ブログを書きたかったのだが力尽きた。

ブログ書きが疲れる中年なので、もうさ~更年期障害ってエグいですね(笑)。

 

さて、坂元さんが脚本を書いたドラマの放送が決定すると毎回緊張する。

 

自分が気にいるだろうか?という点で。

 

それは本でも音楽でも同じで「好きな○さんが提供する△」が自分にとって楽しめなかったらという無駄な?心配がよぎる。

好きなアーティストが提供する全ての作品を丸々と好きと言えるほど器が大きくないからだ(爆)。

 

否、好きなアーティストが作品を世に放ってくれることができている、活動できることにはとても感謝している。

ただ、その全てを愛せるか、推せるか?というとそこまで私は多分優しくない。

(それを公共の場で口にすべきかどうかはまた別の問題でもあるが、とりあえず推しの全てを全肯定派ではない・爆)

 

坂元さんの作品の視聴率が悪かろうが世間でつまらないと言われようがそれは気にならない。

私が気に入るかが最大の問題ナンデス!(by.のだめ)

 

↑世間の評価や視聴率は気にならないが、そういう評価が次の活動に繋がってしまう世界なので「評価は高いといいな」とは(一応)思っている。

 

その前の「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021年)がとても良かったので私の中でまた坂元さんへの期待のハードルが上がってしまっていた。

 

初恋の悪魔は放送前の情報が警察の話らしい?刑事モノ?公式発表はミステリアスコメディと言う試みなのでどんなドラマになるのだろうか?このキャスティングで面白くなかったらどうしよう…と思っていた。

 

それに「初恋」とか「悪魔」とかって、ゲーテ?メフィストフェレス?ってかファウスト?に関係してくるの?と頭の中で大量の????が発生。

ゲーテのファウストは読んでいないので連想してる単語に対しての知識がなさすぎた(笑)。

 

しかし、緊張と心配は観始めてからは忘れた(笑)。

 

それどころか、坂元さんの作品で好きなというか忘れられない(感動した)作品になった。

 

今更なんだけど、備忘録的な初恋と悪魔についての感想というか自分の思いを浄化させたいブログ書き(爆)。

 

以下、ドラマを観ていない人にはさっぱり分からないブログ書き(爆)。

 

 

圧巻だったというか私が勝手に号泣した回、第8話。

馬淵悠日の兄・朝陽の回。

 

みぞれさんの回想シーン。

喫茶店のBGMで流れた歌劇ジャンニ・スキッキの「私のお父さん」(プッチーニ)の歌。

 

みぞれさんが病院へ帰っていき部屋で一人になった悠日。

朝陽が真っ暗な夜にスマホのロック「7580」(七転び八起き)を解除する姿を悠日が思い浮かべるシーン。

 

心が痛くなった。

 

朝陽は完全に私の中でモブ扱いしていたので「優秀なありふれた兄像のもういない人」の感覚でずっと観ていた。

 

しかし、ドラマ上には名もなき通行人などのモブは存在していても、本当の意味ではそんな人は一人もいない。

それは先に劇中に示唆して描かれていたを思い出した。

 

第4話。

4人の捜査会議で3人が「犯人」のことばかりで事件への視野が狭まっていた時に鈴之助が「犯罪の主役は犯人だけじゃない。犯人も刑事も被害者もみんな平等に主役でなければならないんだ」と訴えるシーンがあった。

 

ちょっとピントこないセリフだったのだが、朝陽の回を観た時にこれに繋がっているのかと衝撃を受けた。

 

朝陽には朝陽の人生があって、いつも朗らかでみんなに愛されるキャラの悠日と違って人見知りの朝陽はスマホの画像フォルダには青空と昼食の蕎麦の画像ばっかりで、でも刑期を終えて更生している人達や犯罪被害を受けた人達のお店に足を通わせるような繊細で優しい兄だった。

 

朝陽役の毎熊さん、ごめんよ、(ほぼ)モブだと思ってて…

 

なんだかね、このドラマは朝陽のことを考えるだけで泣けてくるんだよね。

主要キャラ4人(悠日、鈴之介、星砂、瑠香、琉夏)がメインになっているエピソードのシーンじゃないのだが初恋の悪魔の感想でこれが一番書きたかったシーンなんだよね。

 

不意を突かれた分、もの凄く感動したからだろうな…

 

オペラは昔昔にマリア・カラスのCDを一応聴いてみたくらいでオペラは趣味じゃないな~って思ってた。

それがドラマで流れた「私のお父さん」が誰のverか気になってしまい、検索してみたが分からなくてスマホのshazamで聴きとらせた(笑)。

 

*オペラ・アリア集のソプラノ編ミリアム・ガウチさんというかたが歌っていると検索結果には表示された。shazamの性能ってどのくらい合っているの??実は声楽家さんの歌う歌の区別が苦手で正解なのか分からない(爆)。普段苦手な歌唱分野なのだがこのミリアム・ガウチさん(らしき歌声)はふわっとした感じの歌い方で強めの表現をしていない歌い方だからか気に入ったのだよねぇ…

 

 

 

カルテットにおけるカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲以上に心に響いた。

 

そんな朝陽は親の勧めで警察官になったが自分を刑事としての生き方を教えてくれた(朝陽曰く)「初恋」のような人、である雪松に殺されてしまうのだ。

 

あの朝陽の喫茶店でのそれを言う表情は忘れられない。

 

 

あとは、仲野君が星砂が残した手紙を読んで号泣するシーンも、そこには今まで放送されていた二人のカットじゃなくて、新たに今まで観ていない二人の恋人同士の日常の映像が回想で流れてきて「それは反則ー!!!」と二人の想い出を覗き見しているような錯覚になった、もう泣いたさ(笑)。

田中裕子扮する小洗先生に優しくハグしてほしいくらいだった(爆)。

 

仲野大賀君はぼんやりと顔は知っていたが名前と顔が完全に一致したのは、「あのコの夢を見たんです。」(山里亮太役で主役)だった。

この人、演技上手いな~セリフを話していない時の「間」のとり方がもの凄くスキだな~面白いな~と思った。

それ以来、ドラマに出ていたらチェックしようかな?と密かに好きな役者さんになりつつあった。(ので、初恋の悪魔で坂元脚本に出る!と知って嬉しかった・笑)

 

林遣都君は認識したのは多分「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」だった。

ヨコ出てたね、懐かしいってか、ヨコ出てなかったら観てない系のドラマ(笑)

サイコパスな医者役だったっけ?なかなか気持ち悪い役だったね(笑)。

そこから、次にがっつり観たのが「おっさんずラブ」だった(笑)。

その後?再放送していた「京都人の密かな愉しみBlue修行中」を観て、演技スキだな~と注目するようになっていた。

 

今回は鈴之介役が本当に良かった。

 

家を譲った椿さんと鈴之介の交流のシーン。

その回の最後に4人でカラオケへ行きCHE・R・ RYのサビを熱唱する鈴之介。

 

鈴之介のセリフはパンチがあってこの辺↓も、鈴之介ならばそういう思考なのだなというキャラクターがしっかりしていて上っ面に「面白い」要素を足そうとしていないので楽しかった。

 

森園の妻に道であって「なるほど、妻ズ、ということでしょうか?」と言い、妻が?となると「ライオンズ、アベンチャーズ、妻ズ」という鈴之介。

その後の去り際に森園妻に「大丈夫」か聞かれて「僕が大丈夫だったことは一度もありません。そういう意味で大丈夫です、失礼します!」と言い放つ鈴之介。

一番、笑った箇所だ。

何て愛おしいキャラクターなんだ鈴之介(爆)!!

 

最終話のラストで、鈴之介が星砂(ヘビ女の人格のほう)から告白されて手で顔を覆って泣くシーン。

 

泣く、もう泣くしかない…

 

次のカットではきっとお別れまでの残り時間をハイテンションで楽しいことを話しまくろうとする鈴之介だろうな?と思ったら本当にその通りで余計に泣けた。

 

星砂が走り去っていった後、鈴之介の幸せそうな恍惚とした笑顔と(台風が来ていた強風での野外ロケで)風でなびくネクタイの残像の美しさ。

危うく林遣都にホレそうになった(←大袈裟・笑)。

 

悠日と鈴之介の会話も面白かった。

 

鈴之介「友達以上恋人未満の関係か?」

悠日「面白い言葉を覚えましたね」

とか。

悠日「鹿浜さん?そこで寝ないでください、そこは膝です、私の膝です!」のくだりとか(笑)。

 

さて、星砂役の松岡茉優さん。

松岡さんは「問題のあるレストラン」(坂元さん脚本)で何となく顔と名前は覚えたのだったと思う。

演技は好きだったけどその後そんなに出演されている作品を観る機会がなった。

 

今回、星砂は悠日と初めて会話するシーンで私の心を鷲掴みにした(←早い・爆)。

 

家に帰れていなくてお腹が空いてる星砂が悠日に何か食べ物を持ってないか?とねだって、鞄に入っていた(ハトにあげた)ポップコーンの残りを貰ったシーン。

食べながら「鳩か、鳩ね」と言いながら異常なテンションでもぐもぐしながら笑い去っていくシーンがキュートすぎた(笑)。

 

それ以外にも悠日と星砂のシーンは印象深いのが沢山ある…

 

悠日が事件を解決した帰りに川辺(?)でビールとカップ麺を食べるシーン。

兄・朝陽の話をし始めて躊躇した悠日に「その話、初めて人にするんだろ?」と強い口調で促す星砂。

そしてそこから始まる観てる人を泣かせにかかる仲野君の泣き演技(爆)。

 

何か、時系列を無視して書いてしまった。

…時系列通りに書いたら、第1話から全部書き出す羽目になりそうなので編集はしないでおこう(笑)。

 

柄本祐さんの琉夏さんは3人に比べると謎なところが多かったけど、鈴之介とは相性が悪いながらも「今度カラオケ行こうか?」と悠日には鈴之介とカラオケなんか行かないと言ってたけど誘ったり、落ち込む悠日に寄り添ったりと人嫌いに見える割には優しい人だったねえ…。

 

と、長々書いた。

まだ足りない。

でも、まあ気は済んだ(笑)。

 

 

最近のドラマは「余白」がないように思えてならない。

何かと「伏線回収」とか「考察」とか、視聴者を方向性をそっちに持って行き過ぎるというか。

なんだそれ?そんなのドラマじゃなくて「謎解き」じゃん、ドラマって単語の意味分かっているのか?なんて思っている。

 

ドラマというものは、役者さんが物語を演技をしてそこに芸術を観る側が感じるモノだと思う。

 

芸術というと大げさな言葉に聞こえてしまうかもしれないが、まず「想い」ありきで、そこから表現すべき「言葉(with)行動」があり、そのパフォーマンスに対して受け手側が「心」を動かされる様がもっともシンプルで美しい様式だと思う。

 

心を動かさせることは決して「納得」するシナリオとは違うものだ。

 

ドラマを観て考察して伏線回収なりなんなりで視聴者が「納得」で終わるものはドラマとしては好きではない。

最近話題の若者による倍速視聴は一因としてドラマを観て「納得」で終わるような作りだから「そうしても倍速して観れば内容を把握できる」のもあるような気がしている。

 

倍速で私も観ることはあるけど↑(笑)。

 

受けて側が自由に想像する余白や、自由に想いを巡らせることができる余白がどんどんドラマにはなくなっている感じがする。

 

余白が減ったドラマのほうが視聴率が良いからそういうドラマが増えているのでは?と言われたらそれは仕方がないことだろうね。

 

今の時点で、ドラマを観る時は脚本家で観てるところがあるので坂元さんのような脚本でのドラマが減っていけばドラマをますます観ないようになるだけだろうな…。

 

そんなわけで私も彼らと一緒に自宅捜査会議でわいわいしたいと何度も録画を観ていた昨年の夏の想い出(笑)。