南東風の韓国ブログ

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韓国語入門ブログ時々K-Pop。時々韓国旅行。

韓国語勉強・韓国旅行;時々K-POPペンブログ

久しぶりにソウルに連泊しました。

なんとなく韓国の地方都市や釜山の方が落ち着く気がしてソウルは移動で寄る感じでした。



今回は

「うまいこと日程が合えばささっと?スヨンとTiffanyのミュージカルを見れるかもしれません」と話があって4月ごろ計画。

でも春にはまだ7〜8月のスケジュールが無い。

一方飛行機が段々高くなるとか言われてとりあえず7月末に11日間の飛行機のみ予約した。

yes24とかグローバル系とか前売り券がなんか外国人だとまずは登録が難しい。

前にマンネのマンマミーアやユリのミュージカルも劇場へ行けばなんとかなったし、当日券狙いです。

行ってわかったのは現地の方は前売り券ばかりで当日窓口で引き換える人がいる感じです。当日券はかなり少数派。

ヴェニスの商人は1時間前

ユミの細胞たちは1時間半前

きっちりオープンですが、あるかどうかは聞けるので今後も現地手配となるでしょう。


ただ今回は熱中症で姑さんが入院中でした。

「行っていいよぉ〜」というのできました。

とりあえず前半に見れたし早い目に今日帰ります。

といっても10泊11日から7泊8日に減ったのでまぁまあゆっくりしました。


鐘路に泊まってあちこち徒歩圏内と思ったけどやはり暑い。

ちょうど外国人向けの気候同行カードの7日券を利用したのでちょっと一駅でも地下鉄やバスを乗りました。


今回ネイバーマップにもログインして行きたい場所をお気に入り登録してたので現地利用はかなり使えます。


ちなみにApple純正は使い物ならずです。


Google mapはネイバーマップで出ません!表示の補助で利用したので割と今回はノンストレスで、苦手なソウルも俯瞰で大まかに理解できたかもしれない。


本当は毛糸屋さんを10軒は登録してたけど東大門総合市場位です。

夏バテ気味で、明日に姑さんも無事退院ですが状況がわからないので体力温存で栄養ばかりつけてました。



いつもテンジャンチゲが多いけど、今回スンデチゲ3回


暑いので私でもアイスドリンク飲みました


かなり炭水化物と塩分多めかもしれない。食べ過ぎはあきらめて一生懸命食べました。


このブログですが前回とか書くのも忘れてたんです。

44回〜46回の4トラベルの写真だけリンクしておきます。写真保存SNSです。自分の老後の?楽しみです。










7/25


ドラマ版3話脱落で不安でしたが良かった!

席は奮発して前から4列目。

舞台が近く、出演者の表情まで見えました。細胞たちが舞台の右側から現れたり客席の後ろの階段から降りてきたりする演出もあり。突然、すぐ右手方向から私の前を出演者が現れ、Tiffanyが後ろの階段から降りてきた時には、こちらと目が合ったような気もしました。

人間よりも細胞たちの方が主役?

舞台を観て感じたのは、人間の登場人物が意外と控えめ。

主人公のユミをはじめ、人間たちの演技は比較的おとなしく、その代わりに感情を担当する細胞たちが大きく動き、歌い、物語を進めていました。

細胞たちの役どころは、ドラマ版の特徴をかなり引き継いでいるようです。

私はドラマを途中でやめてしまっていたので、最初は「どうしてこの人間から、こんなに派手な細胞が出てくるのだろう」と、少し不釣り合いに感じていました。

ところが舞台で見ると、その不釣り合いさも含めて面白くなってきます。

人間は平静を装っていても、頭の中では愛の細胞が大騒ぎし、不安の細胞が最悪の想像をし、理性の細胞がどうにか落ち着かせようとしている。

実際の人間も、外から見える姿と頭の中は、あれくらい違うのかもしれません。

舞台を観た後は、脱落したドラマ版も改めて見られそうな気がしてきました。

細胞たちの中で特に印象に残ったのが、ストーリーテラーのような役割をする109細胞です。舞台全体を案内し、物語を動かし、客席と作品の世界をつないでいるような存在でした。私は、この109細胞を見るたびに、映画『はたらく細胞』の佐藤健さんを思い出してしまいました。

作中では、修行細胞がいろいろな経験を経て、晴れて一人前になるらしいのですが、私には最初から十分一人前に見えました。


一方で、ユミの相手となる男性役には、少し物足りなさを感じました。出演場面がそれほど多くなく、人物としての魅力が十分に伝わってこなかったのです。正直に言えば、「この人を取り合うほどだろうか」と少し思ってしまいました。

限られた上演時間の中で、ユミ本人の心の動きと細胞たちの活躍を描く必要があるため、人間側の人物描写が少なくなったのでしょう。

この作品では、男性本人の魅力よりも、その人に出会ったことでユミの中の細胞たちがどう変化するかが重要なのだと思います。

久しぶりに見たTiffany

今回、出演者の中で私が知っていたのは、Tiffanyだけでした。

久しぶりのTiffanyは、以前より一回り小さく、細くなったように見えました。

舞台の近くで見ると、本当に痩せていて、華奢というより少し心配になるほどでした。

「ちゃんとご飯を食べているの」と、なんだか乳母のような気持ちで聞きたくなります。

舞台では歌も踊りもあり、公演期間中は体力も必要です。本人が元気であればよいのですが、前から4列目という距離では、細さが余計に目立ちました。

ただ、やはり登場した時の華やかさは特別でした。

後方から客席近くを通る場面では、一気に周囲の空気が変わります。テレビや映像ではなく、同じ空間で見られたこと自体が、今回の観劇の大きな目的の一つでした。

愛の細胞が派手で存在感あってこっちの役もあってるのではとも思ったり。

もちろん、主人公ユミは感情を内側に抱える役なので、愛の細胞ほど派手にはできません。それでも、観劇後に一番記憶に残った出演者の一人は、間違いなく愛の細胞でした。

こういう、観る前には名前も知らなかった俳優に驚かされることも、舞台の楽しさだと思います。

舞台演出で特にすごかったのは、ユミが元気を失い、心の中が大きく荒れる場面です。

照明、映像、舞台装置が組み合わさり、客席から見ると本当に海の中にいるように感じられました。

前から4列目という近さなのに、舞台の奥行きが急に広がり、自分まで水の中に沈んでいくようでした。

それでも、光や音、出演者の動きによって、空間全体が別の場所に変わって見えます。

韓国の舞台演出はすごいな、と素直に驚きました。

映像を大量に使えば豪華に見えるというわけではなく、映像と生身の俳優がきちんと一体になっていました。

元気のなくなった人の心を、ただ暗くするのではなく、細胞たちの世界そのものが崩れ、荒れ、沈んでいくように見せる。

この作品の世界観だからこそできる表現でした。

この日、一番驚いたのは、幕が下りた後でした。

カーテンコールになり、舞台の一部が開くと、そこに楽団が現れたのです。

それまで私は、演奏が生だったことに全く気づいていませんでした。

音楽はずっと聞いていたはずなのに、俳優や細胞たちの動き、照明、舞台装置に気を取られ、楽団の存在を考えもしなかったのです。

幕が下りて初めて、「あの音を全部ここで演奏していたのか」と驚きました。

生演奏が舞台になじみすぎていたとも言えます。

楽団が目立つのではなく、舞台の世界を下から支え、最後になって姿を現す。

その瞬間、作品を作っていた人数が急に増えたように感じられました。

ミュージカルを観に来たのだから生演奏でも不思議ではないのですが、気づかなかった自分にも驚きました。

最後は、私が想像していたものとは少し違うハッピーエンドでした。恋愛作品なので、誰かと結ばれて終わるのだろうと思っていましたが、この物語が描いていたのは、それだけではありませんでした。恋をすると眠れなくなり、食欲がなくなり、体調を崩し、泣いたり、落ち込んだりします。若さゆえの激しさもあるのでしょう。

でも、まさに「病は気から」です。心が揺れると、体まで大きく影響を受けます。愛の細胞も、強い細胞も、最初から完成しているわけではありません。

いろいろなことを経験し、失敗し、落ち込み、また立ち上がることで、少しずつ育っていくのでしょう。

舞台を観ながら、細胞とは努力の結果なのかもしれないと思いました。

人間は今では80年、90年と生きます。

その間に体の細胞は何度も入れ替わり心の中にいる細胞たちも、新陳代謝のように変わっていくのかもしれません。

昔の自分なら耐えられなかったことに、今は少し平静でいられる。

反対に、若い頃には何とも思わなかったことに、年齢を重ねて弱くなることもあります。

人間が変わるというより、心の中の細胞の担当者が少しずつ交代している、と考えると面白いです。

客席には、若い女性がかなり多く見えました。

原作のウェブ漫画やドラマのファン、Tiffanyのファン、韓国ミュージカルのファンなど、いくつかの客層が重なっていたのでしょう。

私は作品の世界に入るまで少し時間がかかりましたが、周囲の若い観客は最初から自然に受け入れているように見えました。

細胞たちの派手な衣装や大きな動きにも、違和感なく反応しています。

世代によって、作品への入り口はかなり違うものです。

私は「なぜこの細胞がこうなるのか」と考えてしまいましたが、若い人は先に感情で受け取り、後から意味を考えるのかもしれません。ただ、時間はかかっても、最後には私も十分楽しめました。むしろ、一度世界観を理解した後でもう一度観たら、最初とは違うところに目が行きそうです。もし公演が長く続くのであれば、もう一度観たいと思いました。

べてを残そうとはしないようにしました。

今回の観劇も、写真として残せない場面の方が多くあります。

Tiffanyと目が合った気がしたこと。

愛の細胞の女優さんの勢い。

海の中にいるように見えた舞台。

最後に現れた楽団。

そうしたものは、写真よりも記憶の中に残るものなのでしょう。

日本から行く人は、劇場の寒さに注意


もう一度観たら、違う細胞が見えそう

『ユミの細胞たち』は、私にとって最初から入りやすい作品ではありませんでした。

ドラマ版も途中でやめていましたし、細胞たちの派手な世界にも、少し慣れが必要でした。

それでも舞台で観ると、人間の内側で起きている感情の騒ぎが、とても分かりやすく伝わってきます。

人間の役が控えめだからこそ、細胞たちの喜怒哀楽がより鮮明に見えました。

Tiffanyを見に行ったつもりでしたが、109細胞や愛の細胞、舞台装置、生演奏など、予想していなかったものが印象に残りました。

今度は、人間の顔だけではなく、その人の中で大騒ぎしている細胞たちを想像しながら見られそうです。



久しぶり記事です。

「ヴェニスの商人」を見る予習を含めてchatGPTとの会話まとめを残しておきます。ネタバレ含む




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(chatGPT)了解です。内容をできるだけ残しながら、説明の重複を削り、あらすじと裁判部分は箇条書きにしました。空行も入れず、アメブロへ貼りやすい形です。

ソウルでスヨン出演の演劇『ヴェニスの商人』を観る

※物語の結末を含むネタバレありの観劇記録です。
2026年7月22日、ソウルの国立劇場・ヘオルム劇場で、少女時代のスヨン出演『ヴェニスの商人』15時公演を観ました。
事前にチケットを取れず当日券狙いでしたが、無事に入場できました。劇場はほぼ満席。韓国でシェイクスピア作品がこれほど人気なのかと驚きました。
私は最初、韓国の舞台でスヨンが出演するのでミュージカルだと思っていました。しかし歌はごくわずかで、俳優のセリフと演技を中心に見せる本格的な演劇でした。
『ヴェニスの商人』は、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアが16世紀末ごろに書いた戯曲です。イギリス人が書いた作品ですが、舞台はイタリアの国際商業都市ヴェネツィア。契約、法律、宗教、差別、復讐、慈悲などが描かれています。
舞台装置は奥行きがあり、ヴェネツィアの街並みや運河を思わせる空間が美しく、ゴンドラも登場しました。私は2026年6月に本物のヴェネツィアを歩いたばかりだったので、運河や橋、路地の景色を思い出しながら観ることができました。

簡単なあらすじ

・ヴェネツィアの商人アントーニオは、友人バサーニオを助けるため、金貸しシャイロックからお金を借りる。
・期限までに返済できなければ、アントーニオの体から「肉1ポンドを切り取る」という契約を結ぶ。
・船が戻らず返済できなくなり、シャイロックは金ではなく肉1ポンドを要求する。
・バサーニオの妻ポーシャが男装し、若い男性の法律家として裁判所に現れる。
・ポーシャが契約の言葉を逆手に取り、アントーニオを救う。

スヨンが演じたポーシャ

スヨンが演じたポーシャは、美しいだけでなく、知性と行動力を備えた女性です。
夫の友人アントーニオが危機に陥ったことを知ると、男装して裁判官になりすまします。
観ながら「周りの人は本当にポーシャだと気付かないのだろうか」と思いましたが、これはシェイクスピア劇のお約束。観客だけが正体を知り、舞台上の人物は若い男性の法律家だと信じています。
スヨンは背が高く男装姿もよく似合っていました。恋愛場面の華やかな姿とは雰囲気が変わり、裁判では落ち着いて契約を読み解き、言葉で形勢を逆転させます。
歌手スヨンを見る舞台というより、俳優チェ・スヨンの演技をじっくり見る作品でした。

裁判シーンの見どころ

シャイロックは、借金の何倍もの金額を返すという提案を拒み、契約どおり肉1ポンドを要求します。
ポーシャは最初からシャイロックを負かすのではなく、まず「慈悲」を求めます。
法律上の権利があっても、必ず行使しなければならないわけではない。人を許す慈悲は、許された側だけでなく、許した側にも価値を与える。そのような意味の言葉で説得します。
しかしシャイロックは拒み、「情けではなく、契約と法律を求める」と主張します。
そこでポーシャは契約を厳密に適用します。
・契約書にある肉1ポンドは取ってよい。
・しかし「血を流してよい」とは書かれていない。
・肉は1ポンドより多くても少なくてもいけない。
・アントーニオを死なせてもいけない。
人間の体から血を一滴も流さず、正確に肉だけを1ポンド切り取ることはできません。
シャイロックが契約の言葉にこだわったため、ポーシャも一字一句を厳密に読み、その言葉を逆に利用したのです。
肉を取れないと分かると、シャイロックは「それならお金を受け取る」と言います。しかし、先ほど自分で金銭を拒否し、肉を要求したため、今さら変更することも認められません。
さらにシャイロック自身が、ヴェネツィア市民の命を狙った者として処罰される立場になります。
形式上は、ポーシャが知恵で勝利し、アントーニオが助かる場面です。しかしシャイロックは財産や信仰まで奪われます。
最初に「慈悲」を説いた人々は、勝ったあと本当にシャイロックへ慈悲を与えたのか。そこには疑問も残ります。
シャイロックは残酷な契約に固執しましたが、彼自身も社会から差別や侮辱を受けてきた人物です。単純な悪役として片付けられないところが、この作品の奥深さなのだと思います。

裁判後の「指輪」の意味

終盤で何度も韓国語の「パンジ、パンジ」が聞こえました。반지、つまり指輪です。
指輪が重要なのは分かりましたが、観劇中は「その前に、いつ指輪を取られたのだろう」と理解できませんでした。
裁判後、バサーニオは命を救ってくれた裁判官にお礼をしようとします。
裁判官姿のポーシャはお金を断り、代わりにバサーニオの指輪を求めます。
その指輪は妻ポーシャから贈られ、「絶対に手放さない」と約束したものです。バサーニオは一度断りますが、アントーニオに勧められ、裁判官へ指輪を渡します。
もちろん、その裁判官は男装した妻ポーシャです。
家に戻ったポーシャは何も知らないふりをして、「指輪はどこへやったの」と夫を責めます。
バサーニオは「命を救ってくれた男性の裁判官に渡した」と必死に説明します。
最後にポーシャが同じ指輪を取り出し、自分が裁判官だったと明かします。
それで最後に何度も「パンジ、パンジ」と言っていたのかと、観劇後にようやくつながりました。

韓国のお客さんはよく笑っていた

上演中、客席から何度も笑いが起きました。
私は韓国語を完全には聞き取れないので、「今のどこが面白かったのだろう」と思う場面もありました。
『ヴェニスの商人』は重い問題を扱っていますが、シェイクスピア作品では喜劇に分類されます。
恋愛、変装、勘違い、登場人物の掛け合いや言葉遊びなど、観客が笑える場面も多くあります。
ただし現代の感覚では、差別や改宗などの重い内容もあり、単純に明るい喜劇とは感じられませんでした。

韓国語が全部分からなくても楽しめた

私は韓国語を少し勉強していますが、シェイクスピア劇の長いセリフを理解できるほどではありません。
客席が笑う理由や、裁判後の指輪の細かなやり取りは、その場では十分に分かりませんでした。
それでも、
・大まかなあらすじを予習していたこと
・俳優の表情や動きが見えたこと
・舞台美術が分かりやすかったこと
・客席全体が作品を楽しんでいたこと
などから、演劇として十分に楽しめました。
分からなかった部分をあとで調べることも、海外観劇の楽しみの一つです。

昔の旅とシェイクスピア

ずいぶん昔、イギリス旅行でシェイクスピアの町、ストラトフォード・アポン・エイヴォンへ行ったことがあります。
シェイクスピアの生家などを見学しましたが、その頃は名前を知っている程度で、「有名な人の家だから見ておこう」というくらいでした。
今思えば少しもったいない見方ですが、旅行では、その場ですべてを理解できなくてもよいのかもしれません。
何十年もたってから、別の経験とつながることがあります。
『ロミオとジュリエット』もシェイクスピア作品です。
私の世代では、オリビア・ハッセーがジュリエットを演じた映画の印象が強く残っています。
映画へのミーハーな気持ちで、イタリアのヴェローナにも行きました。ジュリエットの家やバルコニーを見ましたが、町そのものは「思ったより普通の町だった」という記憶です。
今年はヴェネツィアを歩き、その翌月にソウルで『ヴェニスの商人』を観ました。
振り返ると、
・イギリスでシェイクスピアの町を訪れた。
・『ロミオとジュリエット』の舞台ヴェローナへ行った。
・『ヴェニスの商人』の舞台ヴェネツィアを歩いた。
・韓国・ソウルで『ヴェニスの商人』を観た。
という、不思議なつながりになりました。
イギリス人が書いたイタリアの物語を、韓国語の演劇として見る。
しかも実際のヴェネツィアを訪れた直後です。
昔の旅と今年の旅、今回の韓国観劇が一つにつながりました。

また何かの形で観てみたい

韓国の友人とのLINEでは、これから観る人へのネタバレになるため、詳しい内容は書きませんでした。
でも自分の記録としては、裁判や指輪の意味まで残しておきたいと思いました。
今回分からなかった韓国語の笑いどころも、日本語の舞台や映画、別の演出で見れば、また理解が深まるかもしれません。
同じ『ヴェニスの商人』でも、シャイロックをどう描くか、ポーシャの勝利をどう見せるかで印象は変わると思います。
最初はスヨンを見ることが目的でした。
しかし観終わると、スヨンだけでなく、シェイクスピア作品そのものに興味が残りました。
「名前だけ知っているすごそうな人」だったシェイクスピアが、少し身近になった気がします。
何百年も前に書かれた作品が、今も世界中で上演され、観客を笑わせ、考えさせています。
またイギリスへ行く機会があれば、今度はストラトフォード・アポン・エイヴォンをもう一度訪ねてみたいです。
そして、いつか別の形でもう一度『ヴェニスの商人』を観たいと思います。

かなり圧縮しましたが、観劇記録として大切な「スヨン・劇場・舞台美術・裁判・指輪・客席・旅とのつながり」は残しています。