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ドラマ版3話脱落で不安でしたが良かった!
席は奮発して前から4列目。
舞台が近く、出演者の表情まで見えました。細胞たちが舞台の右側から現れたり客席の後ろの階段から降りてきたりする演出もあり。突然、すぐ右手方向から私の前を出演者が現れ、Tiffanyが後ろの階段から降りてきた時には、こちらと目が合ったような気もしました。
人間よりも細胞たちの方が主役?
舞台を観て感じたのは、人間の登場人物が意外と控えめ。
主人公のユミをはじめ、人間たちの演技は比較的おとなしく、その代わりに感情を担当する細胞たちが大きく動き、歌い、物語を進めていました。
細胞たちの役どころは、ドラマ版の特徴をかなり引き継いでいるようです。
私はドラマを途中でやめてしまっていたので、最初は「どうしてこの人間から、こんなに派手な細胞が出てくるのだろう」と、少し不釣り合いに感じていました。
ところが舞台で見ると、その不釣り合いさも含めて面白くなってきます。
人間は平静を装っていても、頭の中では愛の細胞が大騒ぎし、不安の細胞が最悪の想像をし、理性の細胞がどうにか落ち着かせようとしている。
実際の人間も、外から見える姿と頭の中は、あれくらい違うのかもしれません。
舞台を観た後は、脱落したドラマ版も改めて見られそうな気がしてきました。
細胞たちの中で特に印象に残ったのが、ストーリーテラーのような役割をする109細胞です。舞台全体を案内し、物語を動かし、客席と作品の世界をつないでいるような存在でした。私は、この109細胞を見るたびに、映画『はたらく細胞』の佐藤健さんを思い出してしまいました。
作中では、修行細胞がいろいろな経験を経て、晴れて一人前になるらしいのですが、私には最初から十分一人前に見えました。
一方で、ユミの相手となる男性役には、少し物足りなさを感じました。出演場面がそれほど多くなく、人物としての魅力が十分に伝わってこなかったのです。正直に言えば、「この人を取り合うほどだろうか」と少し思ってしまいました。
限られた上演時間の中で、ユミ本人の心の動きと細胞たちの活躍を描く必要があるため、人間側の人物描写が少なくなったのでしょう。
この作品では、男性本人の魅力よりも、その人に出会ったことでユミの中の細胞たちがどう変化するかが重要なのだと思います。
久しぶりに見たTiffany
今回、出演者の中で私が知っていたのは、Tiffanyだけでした。
久しぶりのTiffanyは、以前より一回り小さく、細くなったように見えました。
舞台の近くで見ると、本当に痩せていて、華奢というより少し心配になるほどでした。
「ちゃんとご飯を食べているの」と、なんだか乳母のような気持ちで聞きたくなります。
舞台では歌も踊りもあり、公演期間中は体力も必要です。本人が元気であればよいのですが、前から4列目という距離では、細さが余計に目立ちました。
ただ、やはり登場した時の華やかさは特別でした。
後方から客席近くを通る場面では、一気に周囲の空気が変わります。テレビや映像ではなく、同じ空間で見られたこと自体が、今回の観劇の大きな目的の一つでした。
愛の細胞が派手で存在感あってこっちの役もあってるのではとも思ったり。
もちろん、主人公ユミは感情を内側に抱える役なので、愛の細胞ほど派手にはできません。それでも、観劇後に一番記憶に残った出演者の一人は、間違いなく愛の細胞でした。
こういう、観る前には名前も知らなかった俳優に驚かされることも、舞台の楽しさだと思います。
舞台演出で特にすごかったのは、ユミが元気を失い、心の中が大きく荒れる場面です。
照明、映像、舞台装置が組み合わさり、客席から見ると本当に海の中にいるように感じられました。
前から4列目という近さなのに、舞台の奥行きが急に広がり、自分まで水の中に沈んでいくようでした。
それでも、光や音、出演者の動きによって、空間全体が別の場所に変わって見えます。
韓国の舞台演出はすごいな、と素直に驚きました。
映像を大量に使えば豪華に見えるというわけではなく、映像と生身の俳優がきちんと一体になっていました。
元気のなくなった人の心を、ただ暗くするのではなく、細胞たちの世界そのものが崩れ、荒れ、沈んでいくように見せる。
この作品の世界観だからこそできる表現でした。
この日、一番驚いたのは、幕が下りた後でした。
カーテンコールになり、舞台の一部が開くと、そこに楽団が現れたのです。
それまで私は、演奏が生だったことに全く気づいていませんでした。
音楽はずっと聞いていたはずなのに、俳優や細胞たちの動き、照明、舞台装置に気を取られ、楽団の存在を考えもしなかったのです。
幕が下りて初めて、「あの音を全部ここで演奏していたのか」と驚きました。
生演奏が舞台になじみすぎていたとも言えます。
楽団が目立つのではなく、舞台の世界を下から支え、最後になって姿を現す。
その瞬間、作品を作っていた人数が急に増えたように感じられました。
ミュージカルを観に来たのだから生演奏でも不思議ではないのですが、気づかなかった自分にも驚きました。
最後は、私が想像していたものとは少し違うハッピーエンドでした。恋愛作品なので、誰かと結ばれて終わるのだろうと思っていましたが、この物語が描いていたのは、それだけではありませんでした。恋をすると眠れなくなり、食欲がなくなり、体調を崩し、泣いたり、落ち込んだりします。若さゆえの激しさもあるのでしょう。
でも、まさに「病は気から」です。心が揺れると、体まで大きく影響を受けます。愛の細胞も、強い細胞も、最初から完成しているわけではありません。
いろいろなことを経験し、失敗し、落ち込み、また立ち上がることで、少しずつ育っていくのでしょう。
舞台を観ながら、細胞とは努力の結果なのかもしれないと思いました。
人間は今では80年、90年と生きます。
その間に体の細胞は何度も入れ替わり心の中にいる細胞たちも、新陳代謝のように変わっていくのかもしれません。
昔の自分なら耐えられなかったことに、今は少し平静でいられる。
反対に、若い頃には何とも思わなかったことに、年齢を重ねて弱くなることもあります。
人間が変わるというより、心の中の細胞の担当者が少しずつ交代している、と考えると面白いです。
客席には、若い女性がかなり多く見えました。
原作のウェブ漫画やドラマのファン、Tiffanyのファン、韓国ミュージカルのファンなど、いくつかの客層が重なっていたのでしょう。
私は作品の世界に入るまで少し時間がかかりましたが、周囲の若い観客は最初から自然に受け入れているように見えました。
細胞たちの派手な衣装や大きな動きにも、違和感なく反応しています。
世代によって、作品への入り口はかなり違うものです。
私は「なぜこの細胞がこうなるのか」と考えてしまいましたが、若い人は先に感情で受け取り、後から意味を考えるのかもしれません。ただ、時間はかかっても、最後には私も十分楽しめました。むしろ、一度世界観を理解した後でもう一度観たら、最初とは違うところに目が行きそうです。もし公演が長く続くのであれば、もう一度観たいと思いました。
べてを残そうとはしないようにしました。
今回の観劇も、写真として残せない場面の方が多くあります。
Tiffanyと目が合った気がしたこと。
愛の細胞の女優さんの勢い。
海の中にいるように見えた舞台。
最後に現れた楽団。
そうしたものは、写真よりも記憶の中に残るものなのでしょう。
日本から行く人は、劇場の寒さに注意
もう一度観たら、違う細胞が見えそう
『ユミの細胞たち』は、私にとって最初から入りやすい作品ではありませんでした。
ドラマ版も途中でやめていましたし、細胞たちの派手な世界にも、少し慣れが必要でした。
それでも舞台で観ると、人間の内側で起きている感情の騒ぎが、とても分かりやすく伝わってきます。
人間の役が控えめだからこそ、細胞たちの喜怒哀楽がより鮮明に見えました。
Tiffanyを見に行ったつもりでしたが、109細胞や愛の細胞、舞台装置、生演奏など、予想していなかったものが印象に残りました。
今度は、人間の顔だけではなく、その人の中で大騒ぎしている細胞たちを想像しながら見られそうです。