ある患者家族と電話面談してて、その家族は鬱らしい。


他の家族からそれとなく聞いてはいたけど話してみて、それが間違いないことを感じ取る。



オレも経験したからね。


経験、、、そんな生易しいものじゃない。



終わりの見えない不安、苦しみ、良くなったと思えた矢先、目の前の地面は無くなり谷底へ落ちていくような絶望感。



この苦しみがいつまでも続くという世界の中で。
現実と幻想が絶えず格闘している。


声のトーンは明るいけれど息遣いと音の間合いで相手が無理をしていることは明らかだ。



話の流れでオレも鬱の時代があったことを開示すると、ホッとしてた。 苦しみを経験した相手を実感したことで。



だからといって苦しみが無くなる訳じゃない。それを解決できる最大の理解者は自分自身しかいない。



オレの言葉はその人にとって何らかのヒントになっただろうか?



そんな事をふと思う。
とある患者さんと話してて、ドビュッシーの月の光を弾くことになりました。


時間ができたので世間話でも話に行ったら約束してしまいました。


まぁ、何とかなるでしょう。



本当はウィーンにいる孫の演奏が聴きたいとは思うけど。 とりあえずオレの演奏で楽しんでもらえたら幸せだ。



でも、来年孫が帰国して香川にも来るみたい。



リハビリ以外はほぼ寝たきりだからホールへ聴きに行くのは難しいと思う。




病院で演奏できないかな、、、。




何とかしてみよう。
PM6時半。 仕事が終わる。 愛車に乗り込んで何しようか思い出してると、ピアノがフッと頭に浮かぶ。


これは弾きに行くしかない。



調律師のおっさんの納屋で眠るスピネットピアノのもとへ。



三日ぶりの再会。触れてみる。



前回より音が全然違う。よりクリアで暖かみのある波長が体のなかに染み渡っていく。



おっさんに聞くとハンマーを少しイジッたらしい。最高だね、このピアノ(もはや相棒)



弾けば弾くほど自分の感情にピアノが呼応して盛り上がっていく。



ふと、我に帰る。楽譜無しで 40分弾きっぱなし。ジャズ風な感じで。


楽しくてたまらない。



後の十分はドビュッシーの月の光を弾いた。