すべては東京オリンピック招致に始まった <晴海5丁目西地区に関する推察> | 半径6,378.1kmの日常

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晴海5丁目西地区、現在の晴海フラッグは石原都政で失敗に終わった2016年オリンピック・パラリンピック招致活動の際、メインスタジアムの候補地とされていました。この時の招致コンセプトはコンパクトなオリンピックであり、メインスタジアムを中心に湾岸地区に主要な競技会場を集約することで、開催費用を圧縮したり、選手の移動による負担を軽減することを目指していたのです。

都心近郊にある大規模な都有地である晴海は戦前にも東京市庁舎や万国博覧会の会場用地として構想されたこともありましたが、再び国家的な大規模イベントの用地として表舞台に登場してきたのです。

しかし、2016年オリンピック・パラリンピックの招致活動は失敗に終わりました。失敗の理由の一つとして、開催地の招致への熱意の低さが挙げられていました。(実際にそれがどの程度影響したかはわかりませんが)確かに招致活動は石原さんや当時の政治家たちによって発案され、都民の意向などは置いてきぼりでした。

しかし、この失敗でもオリンピック・パラリンピック招致活動は終わりませんでした。石原都政の末期2011年に2020年開催を目指して招致活動は再スタートします。そしてその活動は次の猪瀬都知事の下で本格化し、2013年のIOC総会において、2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったのです。

その際にもコンパクトなオリンピックのコンセプトは未だに生きていましたが、メインスタジアムは新たに建設される新国立競技場となり(その後のごたごたはご存知の通りですが)、晴海5丁目西地区は選手村となることとなったのです。

この時点で東京都はロンドンオリンピックの事例にならい、オリンピック・パラリンピック選手村を大会後に住宅として分譲する構想を得ていたと思われます。豊洲や勝どき、月島、有明、さらには晴海2丁目など湾岸の東地区はタワマンが林立する住宅地として既に十分な実績がありました。選手村整備に伴う費用を圧縮するために民間資金を活用すること、その見返りとして選手村としての利用後は分譲住宅として販売させることが計画されたのです。

一方で晴海は豊洲や勝どき、月島と異なり鉄道の駅がない地域です。陸の孤島と揶揄される晴海に果たして大規模な集合住宅開発は可能なのか。駅近であることが最大のメリットであるマンション販売において、晴海5丁目の立地は極めて厳しいと考えられました。そのためには、販売価格を抑える必要がある。

しかもデベロッパーは選手村整備後、内装工事を全てやり直して新築物件として販売するため、相当程度の費用をかけなければならない。これが都有地の払下げ価格を抑えることにつながったと考えます。

開催地の熱量低く行われた東京オリンピック・パラリンピックの招致活動。それでも、様々な紆余曲折を経て、コロナ禍に見舞われながらも、立派にオリンピック・パラリンピックをやりとげた開催地、東京。

しかしながら、その選手村としてのレガシーの価値は東京都や都民にではなく、投資家に帰属することになったとすれば、こんな皮肉なことはありません。