自由と平和 ウクライナの選択 | 半径6,378.1kmの日常

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「自由」と「平和」、その2つを並べた時の価値観のバランスについて以前にも書きました。その際に日本においては「平和」こそが尊ぶべきものであり、そのためには「自由」が制限されても、極端な場合には国土の一部を失っても守るべきものだと考えている人が一定数いるように思うと書きました。

ロシアによるウクライナ侵攻の際にもそのような意見が表明されていたのです。

これ以上ウクライナの人たちの犠牲を増やさないためには、一刻も早い停戦が望ましく、そのためにはロシアが占領している地域をロシアの支配下とすることを認めることもやむを得ないと。そこには多くのウクライナの同胞が住んでいて、ロシアの支配下において、市民生活の自由は大幅に制限されているにもかかわらずです。

しかし、ウクライナの人たちはそのような選択をしませんでした。国際法を踏みにじるロシアの暴挙に今この時も抗おうと戦っています。その意思は尊重されるべきであり、多くの国がそれを支援しています。

しかし、もし日本が同じ立場におかれたとしたら、どのような選択をするでしょうか?

平和のためには全てを犠牲にして良いのでしょうか。

それとも、何においても、生き延びることこそが重要なのでしょうか。

答えは私たちが決めるのです。