数年前に映画になっていていて、PSYCHO-PASSの映画の予告で見て印象深く残っていた作品。本作品の作家である伊藤計劃は若くして亡くなり、その作品数は少ない。しかし、本作品を含めて評判が良いことから手にとって読み始めた次第。


時は近未来であろう現代より技術が進んだ世界。まずこの作品で描かれる最新技術について触れるのが楽しい。生活の中では、オールキャッシュレスな世界であり、すべての行動がコンピューターで管理される世界。母親の意思をネット上のサーバーで電子的に探すような世界である。ここで、先進国の優雅でかつ便利で、あと20年後にはこんな世界が来るんじゃ無いかとも想像できる世界を見せつけられる。また、技術の進歩は戦争道具にも反映される。眼球に張り付くモニター、口を動かさずとも通話できるセンサー、傷を修復するボディスーツ、筋肉のように動く飛行船…など様々だが、こんな技術が進んだら、「エイリアンは実は未来の人だった」なんて都市伝説を信じてしまう。


そんな時代にも戦争は終わらず、アメリカが中心となり後進国の内戦を治めようとする。その中で内戦や虐殺が起きる地域には必ずジョン・ポールという人間が関わっていることがわかる。

このジョンポールの話が面白い。良心とは?人間の残虐性とは?などなど、その会話や返しの切り口には頭の良さが滲み出ていた。


そして、このジョンポールとの会話は幾度となくされるのだが、どんな話になるのかが読み進めていくごとに気になっていき、そのまとまり方も腑に落ちた。


ストーリーも面白いが、現代社会に対して様々な問題提起をする本作品は読み応えがとてもあった。


以下、抜粋。

心の健康を保つためには、深く考えないのがいちばんだし、そのためにはシンプルなイデオロギーに主体を明け渡すのがラクチンだ。(p25)


何をリアルと感じるかは、実は個々の脳によってかなり違う。ローマ人は味と色彩を論じない、という言葉があるのは、そういうわけだ。(p43)


地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに。目の前の風景は地獄なんかじゃない。逃れられますからね。(p52)


実際にはね、ヒトの現実認識は言語とはあまり関係がないの。どこにいたって、どこに育ったって、現実は言語に規定されてしまうほどあやふやではない。(p122)


ぼくがぼくを認識すること。ぼくが「他人」と話すためにことばを用いること。それは進化の過程で必然的にもたらされた器官にすぎない。ぼくのにくたいの一部である、自我という器官、言語という器官に。(p125)


ある自由を犠牲にして、別の自由を得る。ぼくらは自分のプライベートをある程度売り渡すことで、核攻撃されたり、旅客機でビルに突っ込まれたり、地下鉄で化学兵器を撒かれたりすることなく生きていける。(p134)


あなたの好きなフランツ・カフカは小役人だった。職業に貴賎なしと、言いますが、同時に思索は職業を選ばないのです。(p180)


人は取り返しのつかないことになってはじめて、その不可逆性に痛めつけられる。(p187)


人は、選択ができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな先行条件があったとしても。(p207)


「その生得的な分生成機能が、深層文法だということか」「遺伝子に刻まれた脳の機能だ。言語を生み出す器官だよ」(p219)


理性による判断はどうしても処理に時間を要する。というより究極的には、理性に価値判断を任せていては人間は物事を一切決定することができない。(p257)


人間の行動を生成する判断系統は、感情によるラインが多くを占めているのです。理性はほとんどの場合、感情が成したことを理由づけするためです。(p263)


生身の脳の精巧さー冗長度を、コンピュータで再現することは皆がとうの昔にあきらめている。(p265)


すべての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。資本主義を生み出したのは、仕事に打ち込み貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。つまり、仕事とは宗教なのだよ。(p310)


良心とは、要するに人間の脳にあるさまざまな価値判断のバランスのことだ。各モジュールが出してくる要求を調整して、将来にわたるリスクを勘定し、その結果としての最善行動として良心が生まれる。(p312)