もっと早く記事は更新しようと思ったのですが、日々起こっていることに対処するのに精一杯で更新が疎かになってしまいました。
私には身体的・物的な被害はありませんでした。両親親族友人同僚も皆無事。
日本で発生した災害の最大のものですから書きたいことはたくさんあるのですが、今は意見よりも事実を記録することを優先したい。
以下地震のあった当日の都心の体験記を残しておきます。
平成23年3月11日(金)
最初の地震の瞬間は銀座のアップルストアの前に居ました。
オフィスを地震が起きる30分程前に出発。有楽町線銀座一丁目駅を降りて、用件のある場所に歩いて向かう途中でした。アップルストアの中のお客が外を歩いている私たち歩行者を皆で一斉に見ているので「ん?なんかあるのかな?」と思った直後にゆっくりと大きな横揺れ。直下型ではないことは直ぐ判りました。長い横揺れは遠くで大きな地震が起きているということは経験的に知っていましたので。
しかしこれまでと違うのはやけに長い時間揺れているのとその揺れがどんどん大きくなっていくこと。
最初は普通に車道を車が走っていましたが1~2分経ったところで車はほとんど停車。私もこれは普通の揺れではないと思い、車が停車しているのを確認して落下物を避けるために車道に出ました。私だけでなくほとんどの歩行者がそうしていましたね。

14:50 銀座三丁目交差点の様子 信号は青でも歩行者が車道に群がっているのが判ると思います。
最大の揺れの瞬間は子供の頃から地震慣れしている関東人の私でも「ああ遂に東京に大地震が来てしまったのか」と覚悟を決めたぐらいのこれまで経験したことのない揺れ。最初はほとんど建物内から人は出てきていなかったのですがこの最大の揺れの頃はどんどん建物の中からひとが溢れでてきてた。
丁度交通整理用のパトカーが居て、揺れが収まった直後すぐにNHKのラジオらしき音声をスピーカーで流してくれました。これで震源地が東北方面だということが判りました。あれだけ多くの人間が居る場所だったのでこれはお巡りさん好判断だったですね。状況が判ったので街を行き交う人々がパニックになることはありませんでした。
揺れは大きかったですが銀座の街並みやビルに特段の被害は無かったです。一応職場に電話をしようとしたのですが、既にこの段階で携帯はまったく繋がらない状態。仕方ないので用件のある場所へ向かうことに。
途中、買い物をするためお店に立ち寄ると普通に営業。ところどころのブランドショップや高級店でも店員が道路に避難していましたがこの時はまだ皆笑顔で話していたような空気。
買い物をしたところ、私の前にレジにならんだ客がクレジットカードで支払いしようとしても、センタが応答しない様子。職業柄金融系のセンタの耐震基準や回線の多重度のことは良く知っていますので、それが駄目ということは広範囲で相当大きい地震被害があったということがここで判りました。
携帯は音声通話はこの時点でも繋がりにくい状況でしたが、i-modeはなんとか使える状況。職場にはメールでとりあえず無事な旨連絡。i-modeでもパケットが少なくて済むtwitterは比較的繋がりやすかったですね。
そこから用件の場所に向かうために銀座線の銀座駅に行くと運転見合わせと駅員が肉声でアナウンス。さてどうしようと途方にくれて、とりあえず千代田線の日比谷駅までに行ってみようと地下を日比谷方面に歩いて行くと大きな余震が!
これは怖かった。地下街での大きな揺れというのはあんなに恐ろしい物なんですね。揺れがなかなか収まらないのでマリオンのところから地上に出てみると先ほどと全く様子が変わっていた。あらゆるビルから人が避難して出てきている。一度ぐらいの大きな揺れなら東京の人は慣れているけれどもこの大きな余震が途切れなく続く状況は流石に普通の状況ではないと判断したんでしょう。私も用件どころじゃないと思い。まずはすぐ目の前の日比谷公園に避難することにしました。
日比谷公園は周りのオフィス街から避難してきた人々で既に満員。警官がスピーカーで将棋倒しの危険性があるのでもっと公園の中に入ってください!とかなり大きな声で誘導していました。

15:34 日比谷公園入口
ここでしばらく待機。会社と連絡しながらどうするか思案。この間も余震はひっきりなしに続く。公園の造園作業をしていたような軽トラックがカーラジオを大音量で流している。街灯テレビってこんな感じなのか?というふうに多くのサラリーマンが集まってラジオを黙って聴いていた。i-modeも16時前後からほとんどつながらなくなる。まあ公園周辺にたくさんの人が集っていたから余計そうなんでしょう。
最初は麗らかな春の陽気だったが、雲が厚く風も強くなり急に冷え込んできた。公園内のトイレが混雑。男子トイレは4~5人並んで待つ程度だったけど女子は長蛇の列。渋滞時の高速道路のSAでよく見かける光景。
身体が冷えるばかりでこのまま居ても仕方ない。余震の間隔も長くなってきたので、とにかく帰ることにした。まずは霞が関駅に。ちょっと寒かったので温かい場所で休憩したかったのとWi-Fiが使える環境に行きたかった。地下鉄のWi-Fi環境は全く問題無く快適に利用可。メール等で会社・友人と連絡を取り合う。特に通話も出来るskypeは便利だった。大連に居た部下にもすぐ東京の状況を伝えることが出来た。向こうの会社でも日本が大地震ということで大騒ぎしていた様だ。
実家の両親にも連絡したかったので緑の公衆電話に並ぶ。こういう時は公衆電話は強い。駅構内は20人以上の列だったが、駅の外に出て外務省の前の公衆電話ボックスへ。こちらは空いていてそこから実家に電話。一発でかかる。幸い両親・実家ともに無事で被害無し。東京で生まれ75年生きてきた親父も「いやぁこれは生まれてきてから経験した一番大きい地震だよ」と興奮した声。まあとにかく無事でなにより。
さてここから帰るのだが、ひたすら歩くか鉄道の復旧を待つべきか?と悩んでいるいると都バスが動いているではないか!この地震から数時間経過した時間帯はまだ道路はいつも通りの状況でそれほど大渋滞ではなかった。でも都バス自体が超満員で大混雑(>_<) TAXIも当然捕まらない。
というわけで覚悟を決めて、自宅まで歩くことにした。経路は、何度もTAXIで深夜帰宅しているのでその通りに帰る。溜池から赤坂に抜けて、赤坂通りを南下して乃木坂駅。そこから青山一丁目を経て表参道で右折して代々木公園→井の頭通りというルートで帰る。
特に体調が悪かったわけでも無いが、やはり精神的なショックも軽くあったのかもしれない。普段歩くよりもちょっとキツカッタ。足首や膝も普段より早く痛みが出る。ということで途中休憩しながら帰ることにした。こういう状況だし無理して脚を悪くしたら行動が不自由になりいざという時逃げられなくなる。時間制限があるわけじゃないんだしゆっくりと帰ろうと判断。
17:00頃 ちょっと夕飯には早いけど腹も減ったので赤坂通りのなか卯で鶏塩うどん。非常時だから食べれるときに食べておかないという思いもある。店の中に居た外人さんが余震で揺れる度に「オウウウウウ」と声を挙げて驚く。子供も恐怖で鳴き始め母親が懸命になだめる。
17:20頃出発。乃木坂駅の上の外苑東通りを歩くころから様々なオフィスから徒歩で帰宅する人々が出てきた。どこの会社も帰宅命令を出して社員を帰したんだろう。
18:00頃青山一丁目駅で再び休憩。先程のなか卯ではi-modeがなかなか繋がらず、Wi-Fi環境のある地下鉄駅にで状況チェックしたかったので。銀座線が試運転を開始し、1~2時間で運転再開できるかもと駅職員が話しているのを聴く。しばらく待っても試運転のまま。このまま待つかどうか?悩んだが銀座線に乗ったとしても渋谷からまた歩くことになるので歩いて帰ることに。
18:50頃青山一丁目駅出発。そこからひたすら自宅まで歩く。青山通りも表参道も歩行帰宅者で歩道があふれるていることもあり歩行速度は遅めになる。おそらく会社の防災担当かなにかなんだろうヘルメット被ったサラリーマンが部下を引き連れ張り切って歩いている。ピリピリした雰囲気は無く、みな明るく話しながら帰っている。その冷静ぶりは同じ日本人ながら改めて感嘆。もちろん場所柄もある。この辺のオフィスに勤めている層だから元々モラルが高いサラリーマン・OLばかりなんだろうけど誰一人パニックに陥るような人は居なかったのは凄かったな。
代々木体育館の横を通り過ぎるとクーザのテントが。もちろん公演中止。スタッフさんやバイトさんが入口で払い戻しに応じるために寒空の下並んで立っていた。これも真面目だなぁ日本人と思えた光景。
そうそう、途中外人(白人)の集団が徒歩帰宅者と逆方向に都心方面へ歩いて行くのを数回見かける。あきらかに風采は良くなくて酒を飲んで大声で盛り上がっている。
これから何しに行くのだろうか?
残念ながら東京には警官もたくさん居るので大地震後だからといってハメを外すことは出来ないよ。そういう国じゃないんだから。
道路はこの時間帯ぐらいから下りが大渋滞。ほとんど動いていなかったような気がする。徒歩で帰宅して正解だった。20時ちょっと前に自宅に無事到着。
部屋がどうなっているかビクビクだったけど、思ったほど酷くなかった。積んでおいたDVDとPCラックの一番上に置いておいたサブ液晶モニタが落下してたぐらい。エレクタに並べていたウィスキーの瓶が無事だったのが何より。
すぐに片付けられる程度でよかった。
PCが無事動作できているかどうかを確認してメール+skypeで会社と連絡。固定電話も携帯も音声通話は全くNG。skypeでの通話は自宅からでも全く問題なく利用出来た。
どうやら我社は会社に待機する方針だったようだ。これは後から考えると正解だったと思う。私は2時間程度で帰って来れたが、もっと遠い所に住む社員に徒歩帰宅は無謀。運転再開するまで一晩会社に待機したそうだけど、結果的にはそれが懸命な判断だったと思う。会社のビルなら耐震性も高いし、非常食糧・水は常に会社に備蓄してあるしね。
その後は部屋を片付けながらニュースを観る。改めて今回の震災の大きさを知って驚く。この日は飲酒を差し控えた。何が起きるかわからないしね。22時頃コンビニに出向き軽く食料調達。まだこの時間帯は普通に商品がありました。
近くの井の頭通りは徒歩帰宅者で一杯。もちろん自動車も大渋滞。
夜中の3時頃コンビニを覗きにもう一度行った時もまだ歩いて帰る人がたくさんいましたね。この時間帯はさすがにコンビニも品薄状態。
ニュースを観たり、会社に泊まっている同僚や部下と連絡を取ったりして、寝たのは朝明るくなってから。とにかく衝撃の長い一日はこうして終わりました。