違憲審査基準(目的・手段審査)と利益衡量との関係性について疑問に思う学生は多い。

 

 法学部1年生なら、以下のような理解をしていることであろう。

 

① 違憲か合憲かは、基本的に比べっこで考える。

 憲法で保障された権利は、制限によって得られる利益が制限される利益を下回った場合(難しく言うと比例原則に反する状態)にまで規制されないという側面を持つ。

 

② 違憲審査基準がある。それは、①厳格な審査基準、②厳格な合理性の審査基準(中間審査基準)、③緩やかな審査基準(合理性の基準)の3類型が存在する。

 

③ 一方で、利益衡量という考え方がある。それは、制限される権利・利益・自由と、制限によって得られる権利・利益・自由との比べっこである。さながらテミス像のような形である。

 

 

 では、その違憲審査基準と利益衡量との関係性とは一体何なのか。

 

 簡単にいうと、絶対的なものか、相対的なものかというところにある。

 

 違憲審査基準は、絶対的なものである。目盛りのついたコップに水を入れ、一定の目盛りを超えているかどうかを判断するもの。

 一方で、利益衡量は、相対的なものである。コップに水を入れて、どちらの方が水が多いかを判断するもの。

 

 そのようなイメージをもっていただけるとわかりやすいと思う。

 

 ではなぜ、違憲か合憲かを判断するときに、絶対的な比べ方と相対的な比べ方が存在しているのか。

 それは、基本的人権の制約(とくに利益衡量)に関する歴史が大きく関係している。

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●利益衡量の歴史

 

戦後スグ:

 最高裁は、基本的人権が公共の福祉(憲12・13)によって制限されることを認めた。

 チャタレー事件(最大判昭32.3.13)においては、「憲法の保障する各種の基本的人権についてそれぞれに関する各条文に制限の可能性を明示していると否とにかかわりなく、憲法12条、13条の規定からしてその濫用が禁止せられ、公共の福祉の制限の下に立つものであり、絶対無制限のものでない」と明示するぐらいに認めた。

 もちろん、この判決に関して批判は存在した。ただ、その批判は本稿の趣旨に逸れるので、いったん無視することとする。

 

1960年代:

 1960年代では、公共の福祉について新たな学説が出た。いわゆる「一元的内在的制約説」と呼ばれるものだ。

 非常に簡単に言うと、公共の福祉を人権相互の衝突を調整する原理として捉え、人権ごとに公共の福祉の判断を行うという学説である。

 一元的内在的制約説は進化をした。ポケ●ンみたいに。

 どういう進化か。①人権の種類・内容、②人権が規制される目的や規制によって得られる利益、③規制方法の妥当性(適切性)、④規制される人権の重要性、これらの要素を総合的に、かつ、事例によって個別に考えるというものである。

 これらの要素を検討した結果、制約の方がウェイトが大きい場合、法令の合理性・必要性が認められ、その合憲性が認められる。

 これは、利益衡量論と呼ばれた。

 

 最高裁も1960年代には、この利益衡量論を意識した判決をした。

 有名なものでは、全逓東京中郵判決(最大判昭41.10.26)がある。

 

 ただ、何事にも批判というものは存在するのである。アカデミックなことなら特に。

 この利益衡量論についても批判が訪れた。

 まず、利益衡量論は先に述べたように相対的なものであるため、絶対的な基準がないという点である。

 次に、利益衡量では「公益」の方がウェイトがどうしても大きくなってしまうのではないかという点である。

 なるほど、たしかに一理ある。ではどうしようか。。。

 

1970年代:

 ここで、利益衡量に先立って、一定の判断枠組みを定立して、裁判所の判断について方針を客観的に策定しようとする試みが行われた。

 これが二重の基準論と呼ばれるものである。

 

 たしかに、利益衡量のような直接的な比べっこではなく、一定の枠組みがあり、その中での比べっこなので、利益衡量論で出てきた批判の解決策とはなる。

 最高裁も、薬局距離制限事件(最大判昭50.4.30)で二重の基準論を用いた。

 

 ただ、二重の基準論にもやはり批判は存在する。

 我が国の裁判所は、一定のカテゴリーを設定して、その枠の中で判断することを非常に嫌っているという性質が認められる。

 つまりは、定型化・自動化された判断を嫌うというのである。

 

現代~将来:

 そんな二重の基準論に対する批判もあり、現代ではドイツ式の理論を導入することについて有力視されている。

 三段階審査と呼ばれる理論である。

 これは、①行為が権利の保障範囲内に存在するか、②その行為を国家が制約しているか、③その制約が例外的に許容される事情があるか(正当化)という3段階で審査することから呼ばれる。

 正当化は、さらに形式的と実質的で峻別することができる。

 形式的正当化では、法律留保原則や明確性という点で判断がされる。

 実質的正当化では、(1)規制目的の正当性と(2)広義の比例原則が問われることとなる。

 その中の広義の比例原則では、(a)適合性の原則、(b)必要性の原則、(c)狭義の比例原則(利益衡量)の判断がなされる。

 

 まとめると、

  1. 行為が権利の保障範囲にあるか
  2. その行為を国家が制約しているか
  3. その制約が例外的に許容される場合か
    1. 形式的な判断:
      1. 法律留保原則
      2. 規範が明確か
    2. 実質的な判断:
      1. 規制目的に正当性があるか
      2. 比例原則に反してないか
        1. 適合性の原則:規制手段が規制目的を達成するための手段として機能するか
        2. 必要性の原則:規制目的達成のための手段について、他より緩やかな手段がないか
        3. 狭義の比例原則:規制によって制限される利益と規制によって得られる利益との利益衡量

となる。

 

 以上からわかるように、三段階審査であれ、利益衡量からは逃げられないのである。

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●結局、違憲審査基準って?

 

 以上が、利益衡量の歴史であり、課題である。

 そして、有力視されているドイツ式理論であれ、利益衡量から逃げることができなというのは分かったと思う。

 

 では、実際にどうするのが良いのか。

 

 どうやっても、利益衡量から逃げられないのであるから、せめて、「なぜ裁判所がそのような司法審査をしたかという過程・足跡」ぐらいは明確にしておこう、となるわけだ。

 

 そこで、規制目的と規制される権利・利益・自由の状況について考え、具体的に立法がどのような規制をして、その規制がどの程度権利・利益・自由への負担になっているのか、という点を総合的に考える必要がある。

 

 そこで活用できるのが、米国で発展した違憲審査基準である。

 規制目的と、規制手段について審査をし、それを3つのレベルで判断するのである。

 

 より嚙み砕いて説明すると、

  1. 基本的人権は公共の福祉による制約を受ける
    1. この制約は人権相互の矛盾衝突を避けるための原理。
  2. 公共の福祉による制約が許されるかは、基本的に比べっこで考える
    1. この比べっこは、突き詰めると比例原則(規制によって制限される利益と、規制によって得られる利益との比較)である。
    2. 比例原則に反する場合には、法令の合理性・必要性が認められない。
    3. 逆に言うと、法令の合理性・必要性が認められない=>比べっこで許されない。
  3. そこで、法令の合理性・必要性という部分に焦点を当てて判断をする。

といえる。

 

 つまり、違憲審査基準は、実質的な利益衡量の手法であるといえる。

 

 それを、法令の合理性・必要性という観点を小出しにして、判断するという形でなされるのである。

 これは、裏側(利益衡量)から表側(違憲審査基準)に向けての説明である。

 では、表側(違憲審査基準)から裏側(利益衡量)にかけてはどうか。

 

 そうすると、以下のように説明ができる。

  1. どの違憲審査基準を採用するかを検討する
    1. 権利によって、厳格・厳格な合理性・合理性を使い分ける。
  2. 目的について検討する
    1. 目的がやむにやまれぬ・重要・正当か。
    2. でない場合:必要性が認められない。
      1. 必要性が認められない=比べっこ×
  3. 手段について検討する
    1. 手段が最も制限的でない・より制限的でない・合理的な関連性があるか。
    2. でない場合:合理性が認められない。
      1. 合理性が認められない=比べっこ×
  4. あれ?比べっこはいつしてるの?
    1. 違憲審査基準採用の時点で、権利の比べっこのスタートラインが始まっている。(目盛りの設定)
    2. 目的・手段審査における目盛りの測定を通じて、法令の合理性・必要性について判断をしている。
    3. 表向きは、目的・手段審査だけれど、それがカラクリ道具のような形で利益衡量がなされる

 

 

 

 

 

●まとめ

  • 基本的人権は公共の福祉による制約を受ける
  • 制約は基本的に利益衡量で合憲/違憲の判断がなされる
    • この利益衡量は、比例原則であり、比例原則に反する場合は法令の合理性・必要性が認められない。
    • (逆に言うと、法令の合理性・必要性が認められないときは、比例原則に反することとなる…。)
  • 過去に純粋な利益衡量で判断をしていたが、批判が殺到
    • 利益衡量では、公益の方が重視されるの当たり前だろ
    • 客観的な基準がなくて裁判官が恣意的な判断をする可能性あるだろ
  • OK落ち着こう。二重の基準論っていうのはどうかな?一定のガイドラインで利益衡量をするんだ…。
    • 裁判所は定型化された判断が嫌いだ。使わない。
  • 制約が許されるかの判断は利益衡量で行わないといけなくて、避けられないし…。うん、どうしたものか…。
    • せめて、判断過程ぐらいは明確にしよう!
  • 規制目的と規制される利益について明確にして~、どのような規制かも明確にして~、最後にその規制が利益にどれぐらいの負荷をかけているかを明確にして~!
    • てか、これってアメリカの違憲審査基準使えるんじゃね?
    • だってさ、結局は比例原則なわけで、それってさ、法令の合理性・必要性の判断なわけじゃん?
    • 利益衡量を表向きでするんじゃなくて、純粋に法令の合理性・必要性を判断する形で検討したらさ、利益衡量もできるわけじゃん?テンアゲ~
    • お、ぴったり~!☆
  • つまり、違憲審査基準とは、裏側で利益衡量をシステム的に行うというものであり、ある意味で表裏一体の関係にある。

 

 

 

 

 

●さいごに
 あくまで本稿は、初学者に向けて違憲審査基準と利益衡量論の関係性について、なるべくイメージしやすく、簡単にざっくりと説明したものです。
 学術的に非常に厳密に正しい、最新の理論を反映させているという点にウェイトを置いておらず、なるべく入門的に違憲審査基準をイメージしてほしいとの考えのもとで記載しているため、いくつか不明確・不正確な点が見受けられます。あらかじめご了承ください。
 また、とりわけ目的審査・手段審査において、双方において利益衡量がなされているorいずれかでしか利益衡量がなされていないというのには、積極的な議論がなされている部分ですので、その旨付言させていただきます。
 
●参考文献
  • 小山剛『「憲法上の権利」の作法(第3版)』(尚学社,2016)
  • 伊藤健『違憲審査基準論の構造分析』(成文堂,2021)
  • 藤井俊夫『憲法訴訟と違憲審査基準』(成文堂,1985)