導かれた2015年
導かれたように運命の訪れを感じる2015年が幕を開けた。
始まりは、2007年12月、名古屋に新幹線で向かって、人生で一番衝撃的で素敵な人に出逢った。
生涯骨をうずめようと思っていた朝日新聞社を退社して8年が経過していた。
世の中は、株と不動産が値上がりして活気のある年末だったと記憶している。
僕の経営する会社は、すべてが大変な時期だった。
攻撃のみで防御を知らない。危険な仕事もたくさんした時期だった。
恐ろしい脅迫も脅しもたくさん受けた時期だった。
何のために頑張るのか理由が自分でわからなくなった。
昨日、部屋の引き出しから人生で初めて書いた遺書が出てきた。それを今読んで、思い出した。
すべてはそこから2015年につながったと感じた。
2007年12月名古屋から帰って、僕はある会社が購入した新品のジェット機をアメリカから運ぶ仕事が入り
12月20日に渡米した。
アメリカ中央部ウイチタからシアトル経由でカナダを超えてアラスカアンカレッジに到着した。
滑走路はアイスバーンで、昼間の時間はわずか4時間程度の冬のアラスカは神秘的な世界だ。
操縦席の計器で見る外気温はマイナス56度を指している。何かトラブルがあったら終わりだと感じた。
ブレーキは使えない、完全に地面に設置する前に失速させ、機体の重さで氷を割るつもりで手動操縦に切り替えた。進入角の指示灯を1マイルから無視して、滑走路先端に着陸するつもりで速度を減速した、翼を見ると、激しい着氷があるので着氷関係のスイッチをすべてONにして、エンジン回転を確認しながら速度を落とす。この飛行機を絶対に傷つけてはいけない。夢を乗せていたのだと今になって感じた。
「僕の夢はね、小さくてもいい、航空会社の社長でパイロットで、ホテル王になって、そして最後に夢を与える会社を作って、人に夢を与える会社を築いてみたいよ」
「絶対に、あなたは出来る、絶対いろんなことあっても大丈夫だと思う、ゆうきを出してね」
「空の化粧品を作ったんだ。いつまでも綺麗でいてほしい。」夢の第一歩と新たな挑戦がスタートする。
戦後、旧日本海軍のパイロットが作った水産航空株式会社の社長になれた。夢は叶うためにあった。
朝日観光開発有限会社の名前を他に残し、株式会社ブルージェットに社名変更して本社ビルが完成した
2015年元旦の1時過ぎ、自然と足を導かれたように、靖国神社の零戦の前で機体を眺めていた。
今年は世界で1機のエンジンも当時の本物の52型で僕が飛ぶことは運命かもしれないと感じた。
この飛行機で飛ぶことは、僕の生き方と、この飛行機を哲学で重ねる。だから操縦してみたい。
そして、最高の仲間が集まり、夢だった夢を与える会社が動き出した。
V I N D I A T E 株式会社 ~夢に終わりはありません~。
「天」 と 「愛」 と 「夢」 3つの言葉、 それがすべてである。
僕に勇気をくれた瞬間を永遠に忘れない。
新しい未来を感じる。
bluejet