私の初めての単行本です。

体験学習で行った図書館の書庫で、だれかにジッと見られているような

視線を感じたリョウ。

カウンターに来ると、リョウの前にふしぎな男の子があらわれた。

この男の子は何もの?

なぜ、リョウの前に?

 

主人公のリョウとともに、なぞを解く冒険を楽しんでくださいね。

                                                                                   (岩崎 まさえ)

 

IBC岩手放送ラジオで、毎週金曜日 昼の12時45分から放送されている

「いわてお話カフェ」。

5月16日から6月6日まで4週に渡って、『東北偉人物語』から

「洋服のサムライ 新渡戸稲造」が放送されます。

お昼のひととき、ぜひ、お楽しみください。

                   岩崎まさえ

      

2年生になって転校してきて、友だちができるかなと不安なリコ。でも隣の男子はうるさいし、ランドセルにさげていたお守りをひっぱるし、さおりちゃんに声をかけようかと思ったら、他の子とおしゃべりしているし、リコは不安です。

帰り道では、カラスにおいかけられ、怖い思いもします。

そして、気づいたらお守りがない! 

でも、大丈夫。いつのまにか友だちになっているんです。

という、新しい出会いがある今の時期にぴったりのお話です。

一、二年生向けです。どうぞよろしくお願いいたします。

いまの時期、子育て中のカラスには気をつけてくださいね! 

そんなこんなで、

      

 岩手県奥州市の書店 Book アクセス松田 大鐘店様です。なんと、二か所で展開してくださっています。後ろの大きなポスターは、書店様向けに国土社さんが作成してくださったもの。

    

 奥州市在住スタッフ田沢五月の本と一緒に! 

 ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

『東北6つの物語』ご注目をいただき、秋には2つの講演会も予定しています。詳細はまた後日お知らせしますね。

                 

こんにちは! 

「東北偉人物語」の『この道を行く-版画家・棟方志功』を書いた田沢五月です。

私が初めて棟方志功の作品に出会ったのは、ずいぶん昔……学生時代に初めて一人旅に出たときのことでした。倉敷の大原美術館で、何とも不思議な版画をみて、その世界に惹き込まれたのです。そして作者の志功が同じ東北の青森県出身と知って二度驚いたものでした。

あれから半世紀近くも経って、志功の物語を書かせていただけたことを嬉しく思っています。

子どもの皆さんは、偉人と言われる人たちが自分と同じ年頃のときはどんな暮らしをしていたのだろうと興味を持つはずです。この「東北偉人物語」の六つのお話には、偉人たちの子どもの頃のエピソードがたっぷり書かれています。

恵まれた環境で育った人だけではないようです。家が貧しかったり、体に障害があったり……。

志功もそうです。その日のご飯に困ることもあり、遠足にもいけませんでした。その上、視力がとても弱くて、絵を描く姿をバカにされることもありました。

不運なようにみえますが、実は、素晴らしく大きなものに恵まれていました。才能もそうですが、もう一つは、親身になって応援してくれる人たちがいたことです。

4回も帝展に落選し、もう「だめだ」と挫けそうになっても粘り強く頑張り抜けたのは、自分を応援してくれる人たちを裏切りたくないという気持ちの強さだったと思います。

私が今回六つの偉人物語を読んで感じたことは、高齢になった今、微力でも誰かを応援できる人間になれたらいいな~ということです。

皆さんは、どんなことを感じてくれるでしょう。

ぜひ、読んでくださいね。

 

 

『東北偉人物語』で新渡戸稲造のものがたりを書きました。

 

 

 さて、旧五千円札の肖像にもなった人物ですが、何をした人か

こたえられますか?

じつは、たくさんのことをやっているので、一言では語れないと言われています。

稲造のことを、政治家 後藤新平 はこう表現しています。

 「稲造なんか 西洋のご婦人を奥さんにして ハイカラぶっているけどねぇ、

  なぁに、中身は洋服を着たサムライだよ」

 そこで、タイトルを『洋服のサムライ』としました。

 

 調べていた資料の一冊、

新渡戸の『幼き日の思い出』のあとがきを、メリー夫人が

書いていました。

 夫人は稲造が育った環境を紹介するために、江戸時代の新渡戸家のことを

詳しく書いていました。アメリカ生まれの方が、こんなに日本の江戸時代

書けるのかと、ビックリ。

  ただ者ではありません!

 

 そこで、メリー夫人の目を通して、稲造のことを語ることにしました。

がんばりやの稲造も、夫人には弱音をはいたり、グチをこぼしたりしていたと

思います。

 

 で、稲造は何をした人かって?

えぇと、大学や高校の先生で、『武士道』『農業本論』みたいな本をいっぱい

書いて、台湾の土壌に適した作物を見つけて、世界平和のための国際連盟の

事務次官もやって……

 あぁ、やっぱ一言では語れない。無理!!

 

ぜひ『東北偉人物語』、手に取ってくださいませ。 (岩崎まさえ)

 

                      

 

 

 

 

 

 


                           
 
#東北偉人物語 #国土社」で担当の #野口英世 はどうしても書きたかった物語です。
12年前にガーナ大使夫人(当時)が「#チョコレートと青い空 #そうえん社」英訳本を出版してくださった際に、ガーナを訪問させていただきました。
首都アクラの野口英世記念館にお連れいただき、英世が使っていた実験室を実際に見て、「ここで黄熱病を研究していたのか・・」と胸が震えました。
記念館の中には、英世がガーナに渡ってきたときから亡くなるまでの絵物語が展示してありました。
また、福島の人が飾ったのでしょう。会津地方の民芸品の赤ベコが置いてあったのも、同郷出身者としてうれしかったです。
今もアクラには、野口英世の銅像が立っていて、その志は引き継がれています。
 

こんにちは。みちのく童話会スタッフ井嶋敦子です。

『東北6つの物語』6冊目『東北偉人物語』で、山形県の偉人・土門拳を書かせていただきました。

夫が山形生まれで、息子たちも長い休みになると山形の祖父母のところで過ごしました。
なので、『東北まつり物語』の花笠祭りと、『東北偉人物語』の土門拳を担当しています。
 
土門拳は、山形県酒田市生まれ。
貧しい子ども時代を過ごしたあと、6歳で東京へ行きます。
若い頃は画家を目指していましたが才能に限界を感じ、反社会運動にも加わり、
数回留置場に入れられ死を覚悟したこともあったそうです。
 
知りあいのつてで写真家のもとへ行きますが、
見映えをよくするため修正する写真を「こんなのは本物の写真じゃない!」と土門は憤ります。
自分らしい撮影にのめり込み、「日本工房」という制作集団に入り腕を上げていきますが、
土門の写真が日本工房の責任者の名前で発表され、怒った土門は日本工房をやめてしまいます。
東京明石町の長屋で妻や子ども・弟子たちと暮らしながら、土門は次々に写真を発表していきます。
 
肖像写真は「絶対非演出の絶対スナップ」と考え、まさにその人を写しだし、 
「文楽」「古寺」など日本の文化を撮影していきます。
原爆が落とされたあとの広島では怒りの写真集『ヒロシマ』を出版し、
廃鉱になった炭鉱の町では『筑豊のこどもたち』を世に出します。
 
二度の脳卒中で体が不自由になっても写真への熱はさめず、室生寺を何度も撮っていきました。
酒田市名誉市民第一号に選ばれ「全作品を酒田市に寄贈」した土門拳。
記念館は日本の写真専門美術館第一号となりました。
 
じつは、この本でご紹介した本だけじゃありません。
自分で文章も書き、写真と文章からなる本を土門は何冊も出しています。
土門が撮った昭和の子どもたちの写真を見た方も多いでしょう。
土門拳はどれだけ「濃い」日々を過ごしたのかと、驚きでした。
 
一昨年、酒田市の「土門拳記念館」に行ってきました。





その日は、東京で土門拳の作品展があり、古寺巡礼の写真はみな東京に行っていました。

 
昨年末から年始にかけて、土門拳記念館の方が、私が書かせていただいた文章にきっちりチェックを入れてくださいました。
おかげで、自信を持ってみなさまにお届けすることができます。
編集者さま、記念館の方に、感謝してもしきれません。
 
土門拳がその作品すべてを生まれ故郷の酒田市に寄贈したゆえ、土門拳の魂はいまもそこに生きている気がします。
土門拳記念館は、来月、「土門拳写真美術館」に呼称を変更します。
 
この偉人伝を読まれてから記念館・写真美術館を訪れると、また土門拳が違って見えるかと思います。
ぜひ酒田の地で、土門拳の魂にお会いくださいますよう。
 

 こんにちは。みちのく童話会スタッフおおぎやなぎちかです。

    

『東北6つの物語』の6冊目『東北偉人物語』が発売になりました。

 東北の偉人といえば、だれを思い浮かべるでしょう。宮沢賢治? 大谷翔平? どっちも岩手だ・・。では、秋田は? 私が書いたのは、秋田県にかほ市出身の探検家白瀬矗(のぶ)です。

 白瀬矗は、日本人で初めて南極探検をした探検家です。南極観測船は「しらせ」でしょう? 直接人名を由来とすることはできない決まりなのだそうで、地名からとってますが、その地名が白瀬矗を由来としてつけられたものなのです。

 世界発の南極点を踏破したのは、ノルウェーのアムンセン。そして、アムンセンに遅れて南極点に到達したものの、無事に帰ることができなかったのがスコット隊です。白瀬隊は、この二つの隊と同時期に南極を目指していたのです。秋田県にかほ市には、立派な記念館もあり、取材で行ってきました。

 偉人伝といえば、子供時代があってこそ。

 白瀬のわんぱくぶり。その後の苦労。南極から帰ってからの苦労。ぜひぜひ、読んでいただきたいです。映画化していただきたい。

 シリーズ6冊そろって、壮観です。

                 

 東北の方も、東北以外の方も、ぜひお読みください。図書館は特に入れていただきたいと願っております!! 

        


こんにちは。

スタッフの千秋つむぎです。

           

「東北スイーツ物語」の山形編を担当させていただきました。

山形にはおいしいスイーツがいくつもありますが、

私は「からからせんべい」を元に物語を書きました。

 

からからせんべいを初めて手にしたのは小学生くらいだったかと思いますが、

そのときのことは今でもよく覚えています。

「何が出るんだろう?」とわくわくしながら、

一生懸命せんべいをわっていました。

実は父の車には、私が子どもの頃につけた「こけしのストラップ」が

今だに交通安全のお守りのようにぶらさがっています。

 

からからせんべいは、一人で中身を見るのはもちろんですが、

数人で一緒に見ると、より楽しい時間を過ごすことができるなと思っています。

お互いに何が出たかを見せ合って。

なので、からからせんべいを通して、新たな友情が育まれる優しい物語が書きたいと思いました。

 

主人公の花凛は、友達の気持ちを考えすぎて自分の気持ちに正直に行動することが苦手。

そんな花凛が、からからせんべいをパリッとわるように、

少しずつ自分の殻をやぶっていきます。

 

本作には、山形に実際にある水族館も登場します! 

作中にも書いていますが、クラゲの展示は印象的でした。

 

ぜひ、からからせんべいと一緒に、物語を楽しんでいただけますと幸いです。