Life Through the Lens

Life Through the Lens

がらくた巣箱

部屋を片づけるとき、「これどうしよう」って小物が出てきたりしますよね。
そういうときの対処法として、とりあえず適当な箱にまとめて入れておくじゃないですか。
つまりそういうページです(笑)。※一見かわいく作ってありますが、騙されないでください。
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こんにちはー。仕事終わりましたよー。出発まであと11時間ぐらいある。なにしよう。
5/11 15:02

今回iPhoneの充電器を持ってこなかった私(ホテルに常備してあるというので家に置いてきた)でもどうしても帰りの飛行機で充電したい~~~!今からiPhone4 or 4S もしくはiPodの充電器探します。wish me luck...
5/11 15:16

私「iPhone4か4S…か、iPodの充電器ありますか?機内で使いたいの」店員「あるよー」といってゴソゴソ探してる。店員「いちお、キミのケータイ持ってきてー」と。続きます。
5/11 15:38

店員が取り出したのはNOKIAの箱。箱から中身取り出し始めてる。イヤイヤ…合わないでしょ。わたし「…これ」店員「オー、合わないね。ごめんね」「こっち」と自分で箱みつけてやっと買えた。
5/11 15:42


Life Through the Lens
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Life Through the Lens
it really epitomizes the stereotype of the New York jam session.
Life Through the Lens

Life Through the Lens

3月半ば、Zと名乗る人物からメールが入った。 


『3月○日にあなたからの連絡をうけたPの弟である。
兄はヨーロッパ公演中なので下記のところへ詳しい日程をメールしてほしい。
また自分も詳しい日程が分からないので私宛に連絡を乞う。
に至急連絡しなければならないのだ。
ちなみにPの連絡先は下記の通りである。---Z(名前)』


      
このメールが入るまで、私は実はこのPに弟がいてアメリカにいることは知らなかった。
彼がPの弟でありかつPの不在中の連絡代理人であることが明記されていず、
Pも弟Zに関してはそれまでなんらコメントがなかった。
またメールの送付が「○○Travel」などとなっているので
当初誰からのメールなのか分からず、
私はとりあえずメールに書かれてある連絡先に日程を送ったのであった。
依然としてPとの関係が判明しないなる人物も気になりつつ最終的な日程を送っていたが、
4月●日にとんでもない連絡がZから入った。                  


『貴殿がすみやかな当方への日程連絡遅延のため、われわれに大変な障害がもたらされたかにみえる。
当国での公演に出演することを承諾したのに、
出演予定の6月1●日~1●日はPは日本にいることはできない。
小生の兄にこのことを告知したところ、彼は次のように事態解決方法を示唆した。

6月1●日予定のコンサートを1●日以降に延期する。
1●日、1●日はそのままとし、6月2●日を7月●日とする。6月30日は7月●日へ、
7月●日は●日へ、●日を1●日へ、4日を●日にせよ。』


当時すでに、主催者によっては半年も前に会場を決定していたり、
公演チラシの印刷にかかっているところもあった。
公演関連雑誌記事校正も届きつつあった。
「・・・にせよ」っつうーのは何事か、んー?

震災で身内は行方不明、細腕でせっせとひとり毎日20キロ入りポリタンク2個やら生活物資を運搬しつつ
身内を探しまわっている妹と徹夜で現地情報をやり取りし、パソコンいじりのせいでもあるのだが、
目をしょぼつかせつつメールを読むのであった。メールは続く。           


『当方は、貴殿がかような変更を今からなすことは非常な困難を伴うであろうことを理解する。

小生は、貴殿がこのニュースを読んで血圧が急上昇し、一升酒に浸るであろうと予測する。

したがって小生は、貴殿に痛飲せぬよう、今日はバイクに乗らぬよう助言するものである。



冗談じゃねえ。



『第2の選択肢もあろう、と兄は次のように示唆している。

6月●日と●日に予定通り日本へ行く。
P本人はそのまま日本に滞在するが、

Uのみがただちにアメリカへとって返し
7月○日に再度日本に渡航し、7月●日と●日の公演を予定通り行う。
こうすれば●日と●日の予定のみ●日以降へと変更すればよい。
問題は、こうしたとき、貴殿がUのアメリカ往復旅費を出せるかであろう




ゴォォメラメラ



ただでさえ乏しい予算の今回のツアーである。
長時間かけて構築した担当者の綿密な計画をいきなり「・・・せよ」や
「第2の選択肢もあろう」などという簡単な言葉で覆すことは許されない状況となっていたのである。
私の心中にふと「殺」という思いが芽生える。
メールは次のような言葉で締めくくられていた。                   


兄はまた、ギャラが安いのでは、とも申されている


申すでない!ちゃんと合意したではないか、半年も前に。


『兄はアメリカで多忙を極め、貴殿との直接連絡不可能状態である。
またUははっきりいってどこをうろうろしているか分からない。
・・・貴殿の国の原発が漸次正常化していくことをいち早く望む。貴殿の誠実なZより』



しかし、一方的でかつ根拠不十分なメールではあったが、

その日の私の血圧が550にまではね上がり、空になった1升瓶が数本ちらかった室内に転がることはなかった。


変更の原因がすべて私の連絡遅延によってもたらされたのだと断定するところは、
なかなかに自分勝手である。
だいたい、アメリカでPに会ったときは、日本行きを楽しみにしている、
などといっていたのだし、なにかのマチガイであろうと思っていたのだ。

私はただちに

「変更は不可能。尚Uを指定したのは貴殿の方であるし、貴殿が責任をもって
当初の計画通りに進めよ。小生の連絡遅延などという理由は論外。
これまで小生の送付したメール記録を再チェックされたし。聴く耳もたん。」

と申し述べたのであった。




翌日、今度はUの代理人でもある妻のAからメールが届いた。   

『今回の公演の混乱に対しては非常に遺憾の意を表明する。
Uから貴殿からのメールを受け取っていた旨を聞いた。
しかし、一部日程の末尾に?が付されていたので彼は次のような印象を抱いた。

つまり、地震によってあらゆる日程が不確定になったと。

Pの話では、どうも日本公演はなくなったのではないか、との印象を受けたのである。
そこで、わたくしは約束を迫られていた当地の公演主催者に出演承諾した旨をただちに連絡した。

・・・相談なのだがそちらの日程のほんの一部を若干変更するようお願いしたい。
ところで、神戸にわたしの友人がいる。彼はUの出演に関する手伝いがしたいと申し述べた。
もし必要であれば彼になんでもいってほしい。もし変更不可の際は、代替を考慮されたし。
再び、まことに遺憾の意を表明する。尊敬するあなたへ。Aより』



私が日程の一部に?マークを付していたことは事実であった。
それは最終的なツメの段階に入っていることを意味せんとした記号であって
キャンセルのそれではないし、そのことについては何度も説明してきた。

出演者側のやむを得ない事情の場合以外は、
日本公演がキャンセルになるかならないかは
すべて日本の側の判断によってなされる。


それをUの印象だけで勝手に判断されてはたまらない。
キャンセルになるならないかは、別の公演出演を決定する前に電話で私に聞くだけですむではないか。
印象はいただけないので再考を促したい、他公演を断固キャンセルすべし、と
ただちに返信したことはいうまでもない。    
それから何度もやりとりがあった。

私は、UやZの一方的な変更申し出は受け入れがたい旨を再三申し入れ、
敵は、もうちょっとなんとか~、と返事が来る。
Zはまたさらに次の日に




「Pが極度に多忙な男であることを理解せよ。?記号は貴殿の大きなミスである。
さらに小生の日程連絡要請を貴殿は深刻に受けとめなかったのも原因である。
わたしはなにも悪くない。わたしは潔白だ。
もちろん貴殿が小生に怒るのは理解できる。
貴殿には怒る立派な理由があるが俺だって頭にきているのだ実は。
貴殿は各主催者との信頼関係の維持を強調されるが、
ここで考え方を変えてみてはどうか。
たとえば貴殿が来日直前に病気になったらどうする?
もうやんややんやと言い合うのは非生産的である。
別のメンバーを考えよう。Uに匹敵する人間はいくらでもいる。
人生には悪いことがあって初めて良いことが分かるではないか。
なあ、もっと前向きにいこうや 敬愛をこめて--Z」


というメールを送ってきた。そして同日に再びきた。


「Uに再三こちらの公演のキャンセルを申し出たが、無理だ。
そこで、Kという男の兄に連絡した。そいつはこういってる。
代替として小生の名前を私に伝えろ、と。すぐKの兄に電話してくれ」

すぐさまKの兄、Jという人物に電話した。Uの妻Aはひたすら平謝りであった。

Jは
『信じられない。ケシカラン。Uは普段はアメリカ人なんだが、
どうも今回は中国人になったようだ、頼むから小生で我慢してな。
小生だって優秀なんだぜ』と話している。

この時点で私はUをあきらめた。

もともとUを指定したのはPだし、彼がそういうのであれば仕方がない。
まだみたことがないので実力は分からないが、
知り合い同士による公演旅行の方が私としては気が楽だ。


こうして今回の日本公演はKの兄Jに変更されたのでありました。

この決定にいたるまでの日々は震災どころではなく、
私はこの状態をUquakeと名付けたのでありました。
このUquake後、各地主催者への変更連絡、雑誌原稿の変更、チラシ校正やりなおしなど、
本来不要なエネルギーを費やさざるを得なかったことはいうまでもありません。
招聘(しょうへい)者であった私の方にもこの変更に多大な責任があります。
ご迷惑をかけたにも関わらず変更を理解し
了承していただいた各主催者には本当に感謝しております。

ところで、これは後からP本人に聞いたことですが、

Jの公演出演は、地震の前にすでに大方決まっていたと。

すると我々の取り交わした膨大なメールはいったいなんだったのか・・・ガクリ汗汗

もしこれが事実であれば今後P&Zとは信頼関係を維持するのは困難です。
余人をもって代え難い人間だからこそ許される不誠実なのか、とにかく
Uまたは奥方Aにも今でもあったまにきているのよね。

今度あったら絶対「殺」とまではいきませんが、不信感と深い憐憫を感じるのでありました。
それでも彼の才能は他にぬきんでて良いことも事実であることを認めざるを得ないのですよね、悲しいことに。

いずれにせよ出演者及び多数の関係者の方々へ公演の成功をお祈り申し上げます。
LAでの仕事は無事終わり、あわただしく週末帰国しました。
前記事では報告せず宣伝で終わってしまいすみませんでした。
ドタバタしておりますが、
現在私のささやかな楽しみは歴史ドラマひとり鑑賞会。
$Life Through the Lens
龍馬伝、TBS大河J○N、新選組血○録をみました。(遅い??)


今頭の中に残ってるJ○Nのシーンから。
龍馬は未来人である南方先生の話に憧れのまなざしを向けるのですが、
羨望の対象として見られる当の本人は、現代人が失った大切なものを過去である幕末で発見している。
この着眼点はすばらしいと思いました。

「過去よりも現代のほうが幸せに決まっている」と無条件に信じる人々は、
歴史に関心や尊厳をもとうともしません。
そのような人が当たり前のように歴史を蹂躙するドラマを作り、
視聴者の歴史観をますます軽薄なものにしてしまっています。
大河ドラマ江は明らかに負の連鎖に陥っているような。

息をひきとった龍馬に、確かこの後いろいろ大変なんですよ!と必死に呼びかける南方先生。
この後起こるいろいろ大変なこと、鳥羽伏見や上野、会津、五稜郭などの悲劇は
もし坂本龍馬が生きていたら防げたのではないだろうか?
歴史に「もし」は禁物ですが、ついつい考えてしまうことです。

龍馬の死後、西郷が大久保と語り合う場面もよかったです。
「龍馬伝」では大政奉還前後、すっかり龍馬と敵対してしまったかのような西郷。
しかし実際の西郷はJ○Nで描かれているように、龍馬の生き方、人となりを認めた上で、
自分のやり方を貫くため袂を断ったのではと私は思います。


おまけで新選組血○録の感想。(あくまでも私個人の意見です)
後半からえ!?は??の連発。
最後に隊士の最後とかわざわざやる必要性はあるのかな。
そして土方副長最後のシーン。
コンピュータ専門学生がレポートで作ったようなCGの砲撃を見ながら、
無謀にも敵の鉄砲隊に単騎で突撃し、あえなく狙撃され死亡。
お美代が恋しいあまり、死んで魂だけでも京に飛んでいこうと思った模様。
最後に、沖田と近藤の亡霊を見る。なんだこのテキトーな最期。
予算の都合か。こんな情けない副長初めて見た。涙

映画やドラマや小説なんかの最後に「彼らのその後人生の最後」を入れると
逆にひいてしまう。。。
大政奉還のシーンでは今の政治にもこのぐらいの改革がなければ変わらないのかもななどと思ったり。。。
まあ過去の歴史から真剣に学ぶべきことは沢山ありますね。
…と、すみません脱線しました。
皆さんはどうお感じになったでしょうか。

うまくまとまらないまま終わり。

ではまたパー

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『過去の歴史から学びえていたら、これほどの犠牲は払わずに済んだんだ』
こんにちはパー
先週木曜日から休みをとってアメリカへ戻っております。
といっても私の住まいのNYではなく、ハリウッドへ来ております。
Life Through the Lens
今朝はじめてGoogleChromeで徒歩ルートにしてやってみたらスルスルと交通渋滞を避けて行けました。
これいいかもです。ほんと便利な世の中になったもんだ。
Life Through the Lens
スタジオ2日目。楽しくやっております音譜
まだ日本で色々とやることが残っているので
NYへ戻れるのは来月になります。近況報告でした。
本番はばっちり?


コンサートは、プログラムやミュージシャンたちのバランスがとれていて
素晴らしいものになったと思います。
なによりも舞台で歌うのって気持ちがよいものなのですね。
ちちゃこくてメンコイHさんの唄も、力強くそれでいて叙情的でよかったなあ。
最後のアンコール曲もきまってました。


他の会場では

今回は他の組が本番中にリハーサルが進行するので我々以外のコンサートは、
私も急遽参加することになったフィナーレを聞いたのみでした。
別組のコンサートもなかなか楽しいものでした。
飾らないトークはなかなかです。

ただ、構成や音響に若干難があったように思います。
とにかく大音量でみんなぶっ飛ぶような何かがあれば
もっと楽しめたかもしれません。
まあ懐ぐあいが厳しい世の中ですから仕方ないのかもしれませんが。


Sさんはちょっと影が薄かったな。
ちらっとリハーサルをのぞいたが是非参加したかった。
この組は美人女性が多い豪華版。視覚的にも華やかでよいことだ。

その後まだ10代のころに知り合った友人と会う。
すっかり貫禄がついてました。当時の少女の面影はなく
当たり前ですが、すっかり成熟した女性へと成長していたのでありました。 



絢爛のフィナーレ

フィナーレには、わたしは当初は参加する予定ではありませんでした。
別組の打ち上げ後、わずか2時間睡眠して、外国人隊を成田と羽田両方まで送り出し、
朦朧としたまま、常時過大オーダーメードスーツ着用M氏、
疲労困憊にもかかわらずいつもひと風呂浴びた後のような爽やかなKちゃんとで都心へ向かっていると、ハンドルを握りながら、うつらうつらするほど連日の睡眠不足と過剰労働でよれよれのはずの
プロデュー猿氏から、


「ブルーさんもフィナーレに出るのだ。よってこのまま某タ○ントセンターまで出動せよ」という指令。



リハーサルではほとんど死に体状況で他のメンバーも充分な練習もとれないにもかかわらず、
本番は実に盛り上がったよいものになったと思います。
みんながそれぞれいい雰囲気を作り、姫も大人な不思議な味を出していた。



例によってどろどろ打ち上げ


フィナーレが終わって新宿で最後の最後のどろどろ打ち上げは、
解散が朝の5時という異様な盛り上がりでした。

Dさんの即席唄+M氏&Y氏の太鼓+Uさんのどこかの民族ダンス、
Aさんの沖縄弁即席朗読+Uさんのピアノ+Kさんのなんと小太鼓。
飛び入りのわたしの場違い風本格横文字歌謡などなどが飛び出し、
バカ騒ぎに興じる異様な一団の異様な深夜セッションとなりました。
これがあるから皆様ミュージシャンをやめられない。だそうです。

次の日は、目がまだよれよれ状態のまま
大人の車で、Kさんを羽田まで送り、銀座で1.5にぎりを食べ、
銀座東急ホテルでコーヒーを3杯飲み、
インドネシア人からもらったタブラーを首からぶらさげ
家へと向かったのでありました。