3月半ば、Zと名乗る人物からメールが入った。
『3月○日にあなたからの連絡をうけたPの弟である。
兄はヨーロッパ公演中なので下記のところへ詳しい日程をメールしてほしい。
また自分も詳しい日程が分からないので私宛に連絡を乞う。
Uに至急連絡しなければならないのだ。
ちなみにPの連絡先は下記の通りである。---Z(名前)』
このメールが入るまで、私は実はこのPに弟がいてアメリカにいることは知らなかった。
彼がPの弟でありかつPの不在中の連絡代理人であることが明記されていず、
Pも弟Zに関してはそれまでなんらコメントがなかった。
またメールの送付が「○○Travel」などとなっているので
当初誰からのメールなのか分からず、
私はとりあえずメールに書かれてある連絡先に日程を送ったのであった。
依然としてPとの関係が判明しない
Uなる人物も気になりつつ最終的な日程を送っていたが、
4月●日にとんでもない連絡がZから入った。
『貴殿がすみやかな当方への日程連絡遅延のため、われわれに大変な障害がもたらされたかにみえる。
当国での公演に出演することを承諾したのに、
出演予定の6月1●日~1●日はPは日本にいることはできない。
小生の兄にこのことを告知したところ、彼は次のように事態解決方法を示唆した。
6月1●日予定のコンサートを1●日以降に延期する。
1●日、1●日はそのままとし、6月2●日を7月●日とする。6月30日は7月●日へ、
7月●日は●日へ、●日を1●日へ、4日を●日にせよ。』
当時すでに、主催者によっては半年も前に会場を決定していたり、
公演チラシの印刷にかかっているところもあった。
公演関連雑誌記事校正も届きつつあった。
「・・・にせよ」っつうーのは何事か、んー?
震災で身内は行方不明、細腕でせっせとひとり毎日20キロ入りポリタンク2個やら生活物資を運搬しつつ
身内を探しまわっている妹と徹夜で現地情報をやり取りし、パソコンいじりのせいでもあるのだが、
目をしょぼつかせつつメールを読むのであった。メールは続く。
『当方は、貴殿がかような変更を今からなすことは非常な困難を伴うであろうことを理解する。
小生は、貴殿がこのニュースを読んで血圧が急上昇し、一升酒に浸るであろうと予測する。したがって小生は、貴殿に痛飲せぬよう、今日はバイクに乗らぬよう助言するものである。』
冗談じゃねえ。『第2の選択肢もあろう、と兄は次のように示唆している。
6月●日と●日に予定通り日本へ行く。
P本人はそのまま日本に滞在するが、
Uのみがただちにアメリカへとって返し
7月○日に再度日本に渡航し、7月●日と●日の公演を予定通り行う。
こうすれば●日と●日の予定のみ●日以降へと変更すればよい。
問題は、こうしたとき、貴殿がUのアメリカ往復旅費を出せるかであろう』
ゴォォ
ただでさえ乏しい予算の今回のツアーである。
長時間かけて構築した担当者の綿密な計画をいきなり「・・・せよ」や
「第2の選択肢もあろう」などという簡単な言葉で覆すことは許されない状況となっていたのである。
私の心中にふと「殺」という思いが芽生える。
メールは次のような言葉で締めくくられていた。
『兄はまた、ギャラが安いのでは、とも申されている』申すでない!ちゃんと合意したではないか、半年も前に。
『兄はアメリカで多忙を極め、貴殿との直接連絡不可能状態である。
またUははっきりいってどこをうろうろしているか分からない。
・・・貴殿の国の原発が漸次正常化していくことをいち早く望む。貴殿の誠実なZより』
しかし、一方的でかつ根拠不十分なメールではあったが、
その日の私の血圧が550にまではね上がり、空になった1升瓶が数本ちらかった室内に転がることはなかった。変更の原因がすべて私の連絡遅延によってもたらされたのだと断定するところは、
なかなかに自分勝手である。
だいたい、アメリカでPに会ったときは、日本行きを楽しみにしている、
などといっていたのだし、なにかのマチガイであろうと思っていたのだ。
私はただちに
「変更は不可能。尚Uを指定したのは貴殿の方であるし、貴殿が責任をもって
当初の計画通りに進めよ。小生の連絡遅延などという理由は論外。
これまで小生の送付したメール記録を再チェックされたし。聴く耳もたん。」
と申し述べたのであった。
翌日、今度はUの代理人でもある妻のAからメールが届いた。
『今回の公演の混乱に対しては非常に遺憾の意を表明する。
Uから貴殿からのメールを受け取っていた旨を聞いた。
しかし、一部日程の末尾に?が付されていたので彼は次のような印象を抱いた。
つまり、地震によってあらゆる日程が不確定になったと。
Pの話では、
どうも日本公演はなくなったのではないか、との印象を受けたのである。
そこで、わたくしは約束を迫られていた当地の公演主催者に出演承諾した旨をただちに連絡した。
・・・相談なのだがそちらの日程のほんの一部を若干変更するようお願いしたい。
ところで、神戸にわたしの友人がいる。彼はUの出演に関する手伝いがしたいと申し述べた。
もし必要であれば彼になんでもいってほしい。もし変更不可の際は、代替を考慮されたし。
再び、まことに遺憾の意を表明する。尊敬するあなたへ。Aより』
私が日程の一部に?マークを付していたことは事実であった。
それは最終的なツメの段階に入っていることを意味せんとした記号であって
キャンセルのそれではないし、そのことについては何度も説明してきた。
出演者側のやむを得ない事情の場合以外は、
日本公演がキャンセルになるかならないかは
すべて日本の側の判断によってなされる。それをUの
印象だけで勝手に判断されてはたまらない。
キャンセルになるならないかは、別の公演出演を決定する前に電話で私に聞くだけですむではないか。
印象はいただけないので再考を促したい、他公演を断固キャンセルすべし、と
ただちに返信したことはいうまでもない。
それから何度もやりとりがあった。
私は、UやZの一方的な変更申し出は受け入れがたい旨を再三申し入れ、
敵は、もうちょっとなんとか~、と返事が来る。
Zはまたさらに次の日に
「Pが極度に多忙な男であることを理解せよ。?記号は貴殿の大きなミスである。
さらに小生の日程連絡要請を貴殿は深刻に受けとめなかったのも原因である。
わたしはなにも悪くない。わたしは潔白だ。
もちろん貴殿が小生に怒るのは理解できる。
貴殿には怒る立派な理由があるが俺だって頭にきているのだ実は。
貴殿は各主催者との信頼関係の維持を強調されるが、
ここで考え方を変えてみてはどうか。
たとえば貴殿が来日直前に病気になったらどうする?
もうやんややんやと言い合うのは非生産的である。
別のメンバーを考えよう。Uに匹敵する人間はいくらでもいる。
人生には悪いことがあって初めて良いことが分かるではないか。
なあ、もっと前向きにいこうや 敬愛をこめて--Z」
というメールを送ってきた。そして同日に再びきた。
「Uに再三こちらの公演のキャンセルを申し出たが、無理だ。
そこで、Kという男の兄に連絡した。そいつはこういってる。
代替として小生の名前を私に伝えろ、と。すぐKの兄に電話してくれ」
すぐさまKの兄、Jという人物に電話した。Uの妻Aはひたすら平謝りであった。
Jは
『信じられない。ケシカラン。Uは普段はアメリカ人なんだが、
どうも今回は中国人になったようだ、頼むから小生で我慢してな。
小生だって優秀なんだぜ』と話している。
この時点で私はUをあきらめた。
もともとUを指定したのはPだし、彼がそういうのであれば仕方がない。
まだみたことがないので実力は分からないが、
知り合い同士による公演旅行の方が私としては気が楽だ。
こうして今回の日本公演はKの兄Jに変更されたのでありました。
この決定にいたるまでの日々は震災どころではなく、
私はこの状態をUquakeと名付けたのでありました。
このUquake後、各地主催者への変更連絡、雑誌原稿の変更、チラシ校正やりなおしなど、
本来不要なエネルギーを費やさざるを得なかったことはいうまでもありません。
招聘(しょうへい)者であった私の方にもこの変更に多大な責任があります。
ご迷惑をかけたにも関わらず変更を理解し
了承していただいた各主催者には本当に感謝しております。
ところで、これは後からP本人に聞いたことですが、
Jの公演出演は、地震の前にすでに大方決まっていたと。
すると我々の取り交わした膨大なメールはいったいなんだったのか・・・
もしこれが事実であれば今後P&Zとは信頼関係を維持するのは困難です。
余人をもって代え難い人間だからこそ許される不誠実なのか、とにかく
Uまたは奥方Aにも今でもあったまにきているのよね。
今度あったら絶対「殺」とまではいきませんが、不信感と深い憐憫を感じるのでありました。
それでも彼の才能は他にぬきんでて良いことも事実であることを認めざるを得ないのですよね、悲しいことに。
いずれにせよ出演者及び多数の関係者の方々へ公演の成功をお祈り申し上げます。