今日は山下達郎さんの話題を。


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先週のサンデー・ソングブックの山下達郎さんの発言は、自分にとっても、もちろん残念だった。

 

残念な部分は、ひとそれぞれ違うと思うが、


わたしは、“ジャニー喜多川氏の性加害をいままで知らなかったとか、同氏の音楽界での貢献を賛美した発言には、特に悲しくなった。


愛とか友情とか恋愛とかを高らかに歌いあげるジャニーズの曲が、多くの少年たちの性被害のもとに出来上がっていたのだとしたら、まさにブラックジョークの極みで


歌い手に責任はないが、一般的に考えて、ジャニーズという組織としては完全アウトではないのか。


でも、その一方で


SNSで山下さんに失望したという多くのコメントを読んでいるうちに、大御所の山下さんに、社会性の高さとか音楽界への意見具申みたいなものを過度に期待しすぎてたのではないか。とも思った。


家族や親しい友人だって、知らない一面はたくさんある。

勝手に思い込んでいたことを覆されて、驚いたこともある。


ましてや我々一般人がお付き合いのない有名アーティストが、腹の中で何考えてるかなんて、それこそ全くわからないんじゃないだろうか。


昔、ブログで、バドミントンの桃田賢斗選手の違法カジノ問題を取り上げたことがある。

私たちが、“トップアスリートは聖人君子みたいな思い込みを持つことが、そもそもおかしな話ではないかと。


想像したくはないけれど、好感度抜群の大谷翔平さんや羽生結弦さんだって、一般人があまり同意することができない社会的一面を持っているかもしれない。


山下さんへの社会性の高さに対する思い込みは、コアなファンであればあるほど、強かったかもしれない。


とにかく、

今回の発言で、ひとつわかったことがある。


山下さんのジャニーズへの忖度の有無はさておき、


山下さんがいままで書いてきた曲の歌詞は、実体や中身の無い薄っぺらいものだったんだな。”ということ。


山下さんは長い間、素晴らしい愛の歌を作り続けてきた。(と勝手に思いこんでいた)

曲のテーマが、恋愛でも友情でも、人類愛でも、自分は、それはすべて“愛の歌“だと思っていた。


でも、”ご恩とご縁”を最優先し、自分の属する音楽界の性加害にきちんと向き合って批判することもできない人が、そもそも愛なんてものを理解できているのだろうか。


音楽家として、“愛の歌“を作り続ける資格は、果たしてあるのだろうか。


オシマイ。