今日は“漱石日記”から自分の好きな文章をご紹介。
漱石日記
平岡敏夫編 岩波文庫
1990年初版 写真は2000年第13刷
自分が漱石が好きなのは、小説だけでなく、彼の社会批評的な文章がとても好きだから。
同時代の他の小説家と較べてみても、その先見性や、洞察力の深さに驚かされる。
この本の中には、明治33〜34年(1900〜1901年)、漱石三十三歳、ロンドン留学時の日記が収められているが、これがなかなか面白い。(ちなみに時代的には日清戦争に勝ち、日露戦争が始まるちょっと前)
漱石が英文学者だったからといって、西洋かぶれ的なものを期待すると、肩透かしを食わされる。
もちろん西洋文化の素晴らしさを讃える文章もあるが、すべてがそうではなく
単純な西洋化に対して抗う気持ちも素直に書いているし、おごっている自国について戒めるような記述もたくさんある。
つまり、
“良いものは良い”
“悪いものは悪い”
その判断基準にブレがないところが、とても気持ちが良い。
たとえば、こちらはイギリス人の習慣について
“晩に池田氏とCommonに至る。
男女の対、此処彼処(ここかしこ)にbenchに腰をかけたり草原に座したり中には抱き合ってkissしたり、妙な国柄なり。”
一以上P.62から
こちらは隣国中国に対する想いについて
“日本人を観て支那人といわれると嫌がるは如何(いかん)。支那人は日本人よりも遥かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不振の有様に沈淪(ちんりん)せるなり。
心ある人は日本人と呼ばれるるよりも支那人といわるるを名誉とすべきなり。
仮令(たとい)然らざるにもせよ日本は今までどれほど支那の厄介になりしか。
すこしは考えてみるがよかろう。”
一以上P.46から
こちらは日本の行く末について
“英人は天下一の強国と思えり。
仏人も天下一の強国と思えり。
独乙(ドイツ)人もしか思えり。
彼らは過去に歴史あることを忘れつつあり。
ローマは亡びたり。
ギリシアも亡びたり。
今の英国・仏国、独乙は亡ぶの期なきか。
日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつつあり。
未来は如何(いかが)あるべきか。
自ら得意になるなかれ。
自ら棄るなかれ。
黙々として牛のごとくせよ。
孜孜(しし)として鶏の如くせよ。
内を虚にして大呼するなかれ。
真面目に考えよ。
誠実に語れ。
摯実に行え。
汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現るべし。”
一以上 P.48から
漱石は江戸の終わりに生まれ、大正の初めにその生涯を終えた。その生涯自体が、明治時代そのもの、とも言える。
日本の行く末を案じていたと思われる漱石。
安直な猿真似をしないこと。
歴史を重んじ、敬意をはらうこと。
調子に乗らず、安易に流されないこと。
うわべだけ西洋の真似をして喜んでいたその結果が、いまだ客観性や具体性を軽んじ、アイデンティティを欠いたままの現代日本に繋がっていったような気がしてならない。
120年前に漱石が考えていたことは、いま読んでも、とても新鮮に映る。
日記や手紙を読むと、小説とは異なった感慨に浸ることができるのではないだろうか。
オシマイ。