真のプロフェッショナル

 

彼は素直な心で真摯にみんなの輪に入る

『羽生結弦 伝えたい思い」日野百草

「みんな忘れているのでしょう。とくに都会の人たちはみんな忘れている。そう思ってしまいます」

 能登、旧知の80代女性は電話口でこう語った。・・・・・・・・・・・

「七尾は断水とか停電の被害は少なかったけど、それでも同じ能登の人ですからね。

輪島や珠洲の人たちの被災、他人事ではありません」。有料記事です

 

スケート人生を支えた信念・羽生選手16歳の選択

被災した輪島の中学生の輪の中に入って

彼らの声に耳を傾け語り掛ける羽生選手を見て

16歳の思いを振り返った彼の言葉を思い出していた。

 


日野さんが震災とeveryの記事を出してくださったこの機会に

羽生結弦16歳の思いを振り返りたい。それは彼のスケート人生を支えてきた信念なのだと思う

 

羽生選手17歳の思い(震災から1年)
 

一度は”まだ16年しか生きていないのに”と思いました。

 

震災の起きたその瞬間の恐怖。

建物が崩れその中で僕も一緒に
つぶれてしまうんじゃないかという恐怖で

 

”人生短かかったな、、、”
そんな気持ちを一度は持ちました。

でもあの恐怖の後で今こうしてスケートを
滑ることができています。

 

今はとにかく一日一日を大切にしたいと思う。
 

何気ない日常の一日一日、

アイスショーの日々
練習の日々、

試合の日々をすべて大事にしたい。
そんなことをあの日を境に

強く感じるようになりました。

そして”あって当然のもの”なんてないんだ
ということをよく考えます。

 

今自分がここにいること。
そばに家族がいてくれること。

 

どれを取ってみても

当たり前のことなんかじゃない。
本当に偶然、幸運に恵まれて

存在しているものだということ。

一度は失いかけたことで
改めてそう感じられるようになりました。

 

まだ17歳のちっぽけな僕ですが
価値観を変えられてしまう、、、
東日本大震災はそんなできごとでした。


勇気が出るような演技で

しっかりと結果を出すこと。
その両方で何かを感じてもらえる。

 

それが僕の選んだスポーツ・フィギュアスケートの醍醐味。
その両方を見せることが

今ぼくができることだと思っています。(蒼い炎より)

🔶このメッセージを残して

彼は初めての世界選手権の地ニースへと向かったのです

 

16歳の選択

震災後いっぱい悩み葛藤が続いたけれど

その中で彼はフィギュアスケートという道を選んだのだ。

 

 

 

嬉しいニュース

輪島朝市「やっと戻った」♬♬

 能登半島地震で大規模な火災に見舞われた「輪島朝市」が10日、

石川県輪島市の商業施設内で営業を再開した。

 

海産物や工芸品などを扱う約30店が参加。

震災以降、「出張」と銘打って県内外に出店してきたが、

輪島市内に朝市のにぎわいが戻るのは初めてだ。

 

商業施設「パワーシティ輪島ワイプラザ」の広い通路に、

かつての朝市と同じオレンジ色のテントが張られ、午前9時に開店した。

イカの干物やジャガイモ、タマネギ、輪島塗の器などが並び、

出店者と客の明るいやりとりで活気に包まれた。

 

同市河井町に住む吉森すみ子さん(75)は、

地震前から朝市に通っていたという。

この日はみそ汁に使うあおさや魚の干物、箸を購入。

「朝市があると街全体に活気が戻り、

住む人の気持ちも上向きになる。

朝市が輪島に戻ってきてくれてうれしい」と話した。