小林さん美しい写真をありがとうございました

 

 

東日本大震災13年

 

☆☆2011年2月四大陸選手権で

 

羽生選手は16歳の銀メダリストになった。

 

東日本大震災が起きたのはその3週間後のことである。

 

 音楽にも支えられた  ~蒼い炎より~

 

僕のことを応援してくれる人も、、、ファンの方
待っていてくれる方からいっぱい手紙も頂きました。

 

ショーが終わったあと受け取った手紙には
“地震が起きた時、仙台と聞いてすぐに結弦さんのことが
心配になりました”って書かれてあるんですよ!

 

他にもツイッターに“スケートを辞めないで”
と書いてくれた人ージョニーもすぐに
ツイッターにメッセージを送ってくれたみたいです。


さらに今回は音楽にも支えられたなあと思います。
バンプ(BUMP OF CHCKEN)だったり
ハイファイ(Hi-Fi CAMP)だったり

 

前から好きで聴いていた音楽が
震災後は全て違うものに聞こえてきました。


たとえばバンプの「supernova」
FUNKY MONKEY BABYSの“あとひとつ”
ハイファイキャンプの“R”.
Rの“人は決してひとりじゃ生きていけない
支えられ守られてたんだ”
”沈む陽が町を包み込むように
優しい人になりたい“って・・・

もう超泣けました。

 

同じ曲の”僕にできることはきっと誰にもできる
じゃあ何をすればいいんだろう。“って歌詞を聞いて、
じゃあ自分はスケートをやるべきなんだって

考えたりもした。

避難所で姉のI-Podで聞いていて
涙がとまらなくてもうボロボロで、、、。


本当にたくさんの人に支えられて

音楽にも支えられて
もうここまでくると

ライバルとか地震とか練習環境とか
何かに負ける負けない
そんな問題じゃなくなってきちゃったなと思うんです


もうこれは自分自身との戦い。
自分で目標を掲げて
それにむかって突き進んでいかなきゃいけないんだって。
もう頑張るしかないです
とにかくまっすぐ上を目指してしていくしか
僕にできることはない。
そのために精一杯やれることは全部やっていこう。
そう思っています。」

 

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この画期的な対談は後日もう一度ゆっくり

振り返りたいと思います

羽生結弦×糸井重里

 

第12回ゲームがあって良かった

糸井
 よかったですね、ゲームがあって。
 羽生
 ほんとに。
 ぼくはそこから学んだことが多いと
 思います。
 勇気を持って踏み出すこととか、
 仲間の大切さとか、
 自分が思ってることがすべてではないとか、
 そういういろんなものが絡み合って、
 物語になってるのが
 人生なんだなっていうことを、
 ゲームから学んだような気がします・・