夢対談羽生結弦×糸井重里

 

 

 

対談1「憧れに近づいていく作業」(イトイ新聞)

 

 

対談2「たどり着くまえに考えてしまう」(イトイ新聞)

 
哲学者みたいな思考に引き込まれました
糸井さんがそんな話が聞きたかったと興奮していて

 

 

 


糸井さんと羽生さん二重作拓也

二重作さんから素敵な記事が!!!夢対談の感想の連載か

 

 

時代の先端を駆け抜けてきた唯一無二のふたつの個性が、ひとつの画面に収まっている。これは喩えるならば、モハメド・アリとデヴィッド・ボウイが一緒にいるようなもので、「ああ、なんと幸せな時代に生きているのだ」と感じさせるに十分なおふたりである。

なんせ、読んだ人全員が「時代の目撃者」になれるのだから。そんな幸福感を噛みしめながら、僕なりに初回を読んで感じたことを記してみたい。

まず糸井さんの最初の発言、これが限りなくやさしい。羽生さんが登場するなかで、いちばん気楽なメディアだと思います。(糸井さん)「これから始まるトークの緊張をほぐす」という意味はもちろん、多くの人が感じているであろう「暴走するメディア」に対する、糸井さんなりの静かなる表明が「気楽なメディア」に込められているようにも読める。

ほぼ日さんはやさしく、つよく、おもしろくをモットーに掲げていて。糸井さんは「この順番が大事だよ」とも説いている。

 

その間の変化というか、羽生さんが「ありえるかも」っていうふうになりはじめたのって、どういう感覚だったか覚えてます?(糸井さん)まず、この質問には痺れた。「夢が夢のままか?」それとも「夢が現実になるか?」まさに、乗るか、反るか、の分岐点における「心」について問いだからだ。

さすが、糸井さんだと思った。そして、この質問に対する羽生結弦選手こたえがこれだ。ただ、ぼくの場合は、できる、できないじゃなくて、そもそも「なにかやったらなんでもできる」と思ってる。(羽生さん)「なにかやったらなんでもできる」これは本当に凄まじい。この言葉は、決して才能への過信ではなく、自画自賛でも驕りでもない。「いまできることの全ては元々できていなかった」の証明である。

お姉さんができることを、やってみる。トップ選手ができることを、やってみる。4回転ができたから4回転半を、やってみる。そう、これは「獲得してきた人の言葉」なのだ。サインをもらっていた少年が、羽生結弦になるための核の部分が、ソリッドな言葉になっている。

「なにかやったらなんでもできる」(羽生結弦)つい「やらない理由」「やらなくていい理由」が天才的に浮かんできてしまう僕に必要な言葉だった。同時に、こうも思った。これは「憧れを憧れのままにしない呪文でもある」と。

 

報知高木さんの記事にコメントが100超え素晴らしい

 

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