能登さんのオンライン後援会
シャッターがとらえた羽生結弦の進化
【#羽生結弦 さん関連情報】写真家・能登直さんのオンライン講演会「シャッターがとらえた羽生結弦の進化」(2月23日開催)の申し込みが、きょう24日正午から始まりました。久しぶりの能登さんの単独講演会を、ぜひご視聴ください。
— 美術展ナビ (@art_ex_japan) January 24, 2024
お申し込みは⇩記事からhttps://t.co/wnB1Q3w4sd @art_ex_japan pic.twitter.com/G9E9iDAHZa
申込受付始まったようです🙇♂️
— 能登 直 (@sunao_noto) January 24, 2024
オンラインの講座に関しては、スライドをがっちり作成して臨みたいと思います。
海外からの申込希望もあるようなので、せめてその写真のキャプションを英語でも表記できるように頑張ってみます🙏 https://t.co/7u9KmrSkto
羽生選手との出会いと歩み
同郷のスケーター(2014.10)能登直
羽生選手との最初の出会いは2007年に
仙台で開催された全日本ジュニアの大会(中1)
僕の地元でもある仙台のローカルニュースで目にして
その存在自体は以前から知っていた。
その後も何度か撮影する機会を見ながら
同郷のスケーターを追い続けていた。
そんな中起きた2011年の大震災
7階にある事務所で作業してた僕も一瞬
「もうだめかも」と思うほどの揺れ
沿岸部ほど揺れは大きくなかったものの
仙台の街中でも
日常が戻るまでは多くの時間を費やした。
「スケートを続けてる場合なのか」
と苦悩したという彼
震災から約一ヵ月後に開催された
神戸でのチャリティーショー
これをきっかけに続けてくれたら
と思いながら撮影した温かいショーだった。
その後も
こちらの予想のはるか上を行くスピードで成長を続け
練習拠点をカナダに移してからの活躍ぶりは周知の通り。
その中でも初めて撮影パスを頂いて取材した
ソチ五輪での活躍は
約一ヶ月の長丁場を乗り切る活力となった。
金メダルを手にしたセレモニーのあと
取材ゾーンでがっちりと握手しながら
「これをもって仙台に帰りますから」
という言葉に痺れた。
今夏練習拠点のカナダのリンクで
ゆっくり話す機会があった。
メダリストになっても何も変わらない
いつもの「結弦」君だったことがうれしかった。
4年後を見据えた更なる進化を目指す彼を
これからもカメラを通して追い続けたいと思う。
能登「一番印象に残っているのは2012年の世界選手権、
羽生結弦選手のFS(ロミオとジュリエット)です。
羽生選手は期待の若手で上手く行けば
表彰台に上がれるかもと言う下馬評でした。
しかし彼は前日のショートでミスをして、
3位以内は難しいかなと思いながら
撮影場所で演技が始まるのを待っていたんです。notosann
ところがこの日の羽生選手は本当に素晴らしかった。
冒頭の4回転ジャンプを降りると、
次々ジャンプが決まる。
途中何でもないところで転倒したときは
あ~って思いましたが、
ステップに入る前に
気合が入った羽生選手が雄叫びを上げた瞬間、
僕自身もゾクゾクしてしまって、
これは凄いことになると思いながら、
シャッターを切り続けました。
ジュニアの頃から撮影してきましたし。
震災から一年の間苦労してきたことも知っていたので、
ほぼ完璧に演技を終えた時には、
なんだか小さい時から見守ってきた親戚の子供が
立派に成長して旅立つ瞬間を見たような気がして。
自然と涙が溢れてファインダーが滲みました
涙がまぶたからこぼれ落ちぬよう
必死で瞬きをしないようにして撮影しましたね」キャノンインタより
仙台に金メダルをもって帰ろうと
強くなるためにカナダで頑張り続けた戦いの日々
その長い道のりをふりかえっていたら
今それとは関係ないところで揶揄されていること
特に宮城の連盟とか仙台の市議が文春に
彼の名誉を売り渡したことが悔しくてたまらない
しかしその歩みはちゃんと記録されている
たくさんの写真集や書籍があって本当によかった
平素より弊社出版物をご愛顧賜り、誠にありがとうございます。2024年2月6日発売予定の『フィギュアスケート男子ファンブック Quadruple Axel 2024 至高の銀盤』に関しまして、当初の予定から一部内容が変更となりました。
— Quadruple Axel 編集部 (@AxelQuadruple) January 25, 2024
羽生選手の表紙と記事(RE_PRAY))が変更になりゼロ成分になった理由は
何なのかとても気になりますぜひとも載せてほしい内容だったが。何があったのか