昨年末 メディアハラスメントの嵐が吹き荒れる中

凛として発信された遠藤カメラマンの言葉を私は一生忘れない

その鋭い考察と彼へのリスペクトには羽生選手とのかかわりの深さが

現れているのだ。まさに根拠のある言葉なのである

 

 

どうして一人の最高の表現者としての彼の姿だけを伝えられないのか
下衆メディアは羽生結弦に甘えるのはやめた方がいい


🔶遠藤さんの言葉で「メディアはそろそろ彼に甘えるのはやめた方がよい」という言葉もまた忘れられない

これは研ぎ澄まされたそしてハッとさせられる見事な表現だった

現象面を見れば下衆メディアが羽生選手を虐めているように見えるが実は甘えているという解釈だ

なるほど!!と思う。

いまだ執拗に彼を追いか叩くメディアは彼に甘えさせてもらっている弱い存在なのだ。

この2か月余り国内でもたくさんの出来事があり報道すべきことは山ほどあるのに何故書けないのか

羽生選手の記事は他の記事の寄せ集めだけでも簡単に作文でき必ず読んでもらえるという甘えこれは何という怠慢であろう

いつまでもぶら下がり食べさせてもらうどうしようもない劣等生なのである。

このように鋭く下衆メディアのハラスメントを批判した遠藤さんの心に響く記事を再度紹介したい。

🔶ICESTORY佐賀公演には海外からもたくさんのファンが現地に集結し世界配信もあたりまえのように実施された。その様子は佐賀では精力的に報道されたが全国的な報道は全くなかったのは何故なのか。

遠藤さんの言葉のように最高の表現者としての彼の姿こそシッカリ報道すべきなのだ

 

「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」<Number Web> photograph by Hiroki Endo/Asahi Shimbun

「個人的にフォトグラファーとして育ててもらった。それに尽きますね。彼を追うことでかなり成長できたし、フォトグラファーとしての醍醐味もすごく感じていました。スポーツってすごくいいよな、と思わせてくれたのが羽生さんでした」

 

「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」

 

🔶あの15歳が17歳になったんだ

羽生結弦の歴代プログラムの一覧 - 羽生結弦くんファンサイト Vertigoはロックナンバーーのルーツ

遠藤が初めて羽生を撮影したのは2010年4月の名古屋フィギュアスケートフェスティバルだった。当時は高校に入学したばかりの15歳。披露したのがU2の『Vertigo』だった。「U2ならではの重厚な感じの曲を、マッシュルームカットの羽生さんが、一生懸命踊っていたのを覚えています」「正直、バンクーバーオリンピックで銀メダルを獲った浅田真央さんをどう撮ろうか、銅メダルの髙橋大輔さんは、ということが中心にありました。世の中の関心もそうでした」  だが、大会を前にした空気は、やがて覆されることになる。「羽生さんを見る目がかわりました」 遠藤は語る。「あの15歳が17歳になったんだ、という感慨のようなものがありました」

🔶最後まで「びしびし来ていた」

  (ニース世界選手権) 

羽生はショートプログラムで7位。そこからフリーで渾身の演技を披露し銅メダル、初出場で表彰台に上がってみせた。その演技こそ、遠藤の見る目をかえた4分30秒だった。「表情は長いレンズで撮っているのでよく分かります。それまでとは違って、最後まで『びしびし来ていた』、そんな感じがしました。目つきもかわっていたし、会場も盛り上がっていって、終わったあと、手に汗を握るような感じでもありました」その演技を象徴するのが、ステップを切り取った1枚だ。遠藤は演技直後のある光景と言葉を鮮明に覚えている。

🔶これ初めての世界選手権だろ。絶対に運がいいよ

「演技が終わって、フォトグラファーの席もざわついて、隣の席を見たら、菅原さんが涙を流していたんです。『遠藤、これ初めての世界選手権だろ。絶対に運がいいよ』と言われました」 遠藤の言う「菅原さん」とは菅原正治である。フィギュアスケート界では知らぬ者のいないベテランをして、そう言わしめたのである。 「羽生さんは手足が長いので、他の選手を撮った後だと、手足がファインダーからはみ出しやすかったのですね」 当時は、競技写真としてまず全身をおさえることが重視されていたから、どう写真の中におさめるか、苦労したという。 だがこの世界選手権では違った。

🔶迫真の演技に惹きつけられ…

慟哭の 雄叫び。 ”語り亭”・その2、ニースのロミオ様。羽生結弦選手、世界選手権・2012 - 羽生結弦 選手/GIF 羽生結弦・考

「彼の迫真の演技に惹きつけられ、鬼気迫る表情をとらえ続けることに必死で、彼の手足の長さのことはすっかり忘れていました」

試合を終えて表彰式での羽生も、心に残っているという。「メダルを持って、めちゃめちゃうれしそうに、まるで少年の時に戻った顔をしていて。それがまたすごいギャップを感じて、『氷上では憑依していたんだな』、そんなことを思いました」

 のちに明らかになったのは、羽生が棄権も考慮するほどの負傷をおしてフリーに臨んでいたこと。それが遠藤の脳裏に焼き付くほどの気迫を生んだ要因だったのだろう。 羽生から受けた鮮烈な印象。それは序章に過ぎなかった。その姿を撮る中で、遠藤はさらに学んでいくことになった。

11月4日と5日に横浜ぴあアリーナMMで開催されたプロ転向後初のアイスショー「プロローグ」 ©Asami Enomoto

 

「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」(松原孝臣)11月4日、アイスショー「プロローグ」が開幕し、新たなスタートを切った羽生結弦。10年前、当時17歳だった彼が一躍その名を世界に轟かせたのがフランス・ニースで行われた世界選手権だった。“伝説”の演技を現地で見た元朝日新聞のフォトグラファー・遠リンクnumber.bunshun.jp

 

「一瞬、羽生結弦さんと2人だけの空間に…」ケガから復帰の平昌五輪、フォトグラファー・遠藤啓生がとらえた「乗り越えたことを証明する直前の表情」

posted2022/11/13 11:03

 

「一瞬、羽生結弦さんと2人だけの空間に…」ケガから復帰の平昌五輪、フォトグラファー・遠藤啓生がとらえた「乗り越えたことを証明する直前の表情」<Number Web> photograph by Hiroki Endo/Asahi Shimbun

 

2012年、フランス・ニースでの世界選手権でフォトグラファー遠藤啓生は、羽生結弦の銅メダルに大きなインパクトをうけた。  以後、大会で羽生を撮り続けてきた遠藤にとって、心に残る写真がある。2018年、平昌五輪での1枚だ。  負傷による長期休養からの復帰戦であったこの大会で羽生はそうとは思わせない演技を披露。ソチに続く金メダルで五輪連覇を達成した。  この試合の中で遠藤の印象に残っているのは、ショートプログラムの演技直前、羽生の表情をアップでとらえた写真だ。

🔶羽生さんとの距離は2m、3m以内だった

 羽生は最終グループの6人中、最初の滑走順だったため、6分間練習が終わったあともそのままリンクに残っていた。  周回する羽生が近づいてきた。遠藤はレンズを向け、シャッターを切った。  このとき、羽生と最も近い位置にいたフォトグラファーは遠藤だった。 「羽生さんとの距離は2m、3m以内だったでしょうか。フィギュアスケーターとの距離がここまで近くなることは、競技のときにはあまりありません。一瞬、自分の空間に羽生さんがいる、2人だけの空間になっている、そんな感じがありました」

🔶当時、怪我の状況は分からなかった

不思議な感覚に襲われる中での1枚。遠藤は自身がこの1枚に惹かれた理由を、こう考えている。 「集中しているのはもちろんですが、何か、『乗り越えた』ことを証明する直前の表情というのか。後から見ればオリンピック連覇をした大会ではありますが、当時、怪我の状況は分からなかったですし、ショートプログラムが始まるまでどういう演技ができるのか、多くの人はわかりませんでした。一方で素晴らしい演技を見せてくれるだろうという大きな期待もあった。そういった期待を背負っていること、背負う中で演技を行い、この数分後には結果が出る状況にあること、そういった直前ならではの内面が表情に出ていたように思います。覚悟というか、邪念をすべて取り払っているかのような……。その分、演技が終わったあとの柔らかい表情も覚えています」  表情をここまでクローズアップした写真が成り立つのは、羽生の存在が大きかったという。もともと、競技写真と言えば、選手のパフォーマンスを伝えるために全体をおさえる構図であることが求められていた。

🔶羽生によって変化が生まれた写真の構図

だが羽生の活躍によって、構図に変化が生まれたと語る。 「上半身だけでもいいんじゃないか、完全に顔のアップでもいいんじゃないかとなってきたと思います。というのも、羽生さんは、ジャンプやスピンなど要素のつなぎや流れがやっぱり上手な選手ですし、表情でも表現をしっかりしている選手です。そうなると、全体ではなく部分を撮っても成り立つわけです。ドキュメンタリーのような写真でもありなんだな、と僕だけじゃなくフォトグラファーたちが気づかされたように思います」  2019年の全日本選手権のとき、遠藤はジャンプ着氷後の羽生を背中越しにとらえた。その写真はwebの記事に使用され、大きな反響があったという。 「本人の顔が映っていなくてもいい、背中でも語れるんだ、そんなことを思いました」  全身を使って、一分の隙もなく表現するのが羽生であるとも言える。

遠藤は、羽生がそうしたレベルに到達した表現者である理由を、こう考えている「責任感なのではないでしょうか。記者会見でも日本を代表している自覚と責任感はすごいし、大変だな、といつも思っています。ただ、だからこそ、1つ1つのしぐさも気を遣っているだろうし、それが(今の羽生さんに)つながっているのではないでしょうか」  競技に取り組む姿勢を感じ取り、またフォトグラファーとして構図の可能性に気付かされた。だからこそ、こう語る。 「個人的にフォトグラファーとして育ててもらった。それに尽きますね。彼を追うことでかなり成長できたし、フォトグラファーとしての醍醐味もすごく感じていましたし、スポーツってすごくいいよな、と思わせてくれたのが羽生さんでした。  こういう撮り方もできるんだと幅は広がったし、違う現場に行っても、その引き出しが活かされてますね」

 

これは大問題だと思います。どんな理由で表紙も記事も変わったのか

説明があってしかるべきで予約されていた方は確認されてください

RE_PRAyの写真掲載の許可が取れなかったのではという説もあり

何があったのかはわからないのですが予約してくれた人たちに対して

誠意を見せてほしいと思います

 

 

メンシプでの羽生選手のメッセージは凄くファンの心に響き届いてるなと感じています

佐賀公演の成功にみな感動し希望を感じた大切な公演。その後の低俗な妨害に彼の心が気になっていたところにこのメッセージが届いて、これって「心配しないで大丈夫だよ」というメッセージなのかと勝手に受け取っています。そんなコミュニケーションの場があって本当に良かった。羽生選手ステイヘルシーでね!!!

 

 

 

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