かつてない領域へ~みやびやかなひと刻~

 

彼の声を彼の話を多くの人に聞いてほしい

少しの時間だけれど、どんな人かわかるから

かつてない領域の挑戦はみんなのものだ。

羽生選手にとって「みやびやかなひと刻」とは

今回は泣きそうになってしまった、、、。

次回が待ち遠しい。

 

 

 

 

 
 
恩師 都築章一郎先生は
あの日からずっと気になっていることがある
恩師都築章一郎先生はお元気だろうかと。
いやきっと横浜公演を楽しみに待っておられるに違いない
都築先生こそずっと連盟にとっては良い意味の異端者であり

非条理の世界そのものだったから現在の状況について

一番の理解者であろう

 
彼が金メダルを2個も取り4回転半に挑戦したことを
誰より喜んで下さった都築先生。
先生との出会いは小学2年生の時だ
当時の印象やその後のことが綴られたNumberの記事を
読んで欲しいと思う。
 
この宝石のような少年が初めての佐賀アリーナで
また新たなアイスショーに挑もうとしている
それは都築先生の夢でもあった
彼は表現者になるひとだと予見されていたのだから
 

 

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宝石のような少年(8歳の原点)

 

都築は仙台のリンクにコーチとして着任した時

 

ひとりの少年に強いインパクトを受けた。

都築「氷の上に立つ姿勢が絵になるというか、

 

美しかった。

 

曲を与えると、彼なりに曲想を理解し

 

滑るという行為で表現する。

 

 

音楽を体で表現する心が

 

豊かでした。

 

与えられた曲に対して

 

どう滑るかは

 

そのスケーターが持っている感性です。

 

結弦は小さい時から

 

その感性が素晴らしかった。」
 

 

 

この少年こそ当時8歳の羽生結弦である。

 

彼は、都築氏が長年抱く鬱屈した気持ちを、

 

払拭しうる存在に映ったという。

 

 

その気持ちとは

都築「日本には子どもの感受性を磨く教育に欠けている。

 

フィギュアをやる子どもたちも技術はあっても、

 

それをしっかりと表現する感性を持たない子が多い

 

これではフィギュア界で日本が


世界をリードすることはできない」
 

 

 

羽生は一番下のクラスにいたが

 

都築に才能を見出され

 

マンツーマンの指導が始まった。


 

 

当時の羽生は演技に入ると

 

静と動の細やかな感情の綾を

 

見事に表現した。

都築「ひとことで言えば 華があるんです。

 

大人になるとほとんどの選手は

 

オペラを見たり

 

音楽を聴いたりして

 

表現力を養おうとしますが、

 

そういうのと質が違う。

 

音に乗せて演技をする能力は

 

持って生まれたものが必要で、

 

彼にはその才能があったとしか思えません。」
 

 

仙台の天才少年は小4の時

 

全日本ノービスで優勝したが

 

リンクは経営難で閉鎖となる(2004年)


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都築は

”ずっと手元で育てたい宝石のような少年”に

 

こんな言葉を伝えたことを覚えている。

 

 

都築「君は特別な感受性を身につけているのだから

 

将来はアスリートとして成功するだけじゃなく

 

フィギュアを通じて

 

芸術家と呼ばれる存在になってほしい。」

 


 

(リンク閉鎖で)恩師との濃密な時間を失ったことは

 

羽生が向き合う初めての試練だったかもしれない。

 

 

Number868天才を育てた人々羽生結弦8歳の原点より

 

都築先生横浜公演が楽しみですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブビューイング情報

🌹一般発売1月11日(木)12時まで

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