糸井重里さんが羽生選手と対談したことを明かしていて一気に元気でた
羽生選手は糸井さんのことを重里さんと呼びお話したことがあるのかなと思っていたがこの対談はまちがいなく羽生選手が相手だとわかる
ただそこで話されたことがとても衝撃的で今年起きたことの重さが感じられる。彼から希望を取り上げてどうする。なお糸井さんはジョニーウィアーの演技に感動し、対談を行ったことがある
ほぼ日刊イトイ新聞
1月2日の今日のダーリン
「それは全く
わからないですから」
昨年、12月に、ずいぶん年齢差のある人と対談した。
たくさん話して、終りが近づいたころに、
この人は、いまのぼくの歳になるまでに、この先、
半世紀近く生きることになるんだなぁと思って
「ずいぶんとこの先が長くて楽しみがいっぱいですね」
というようなことを言ったら、ほとんど間を置かずに、
「それはまったくわからないですから」と返ってきた。
「人間五十年」ということばがあって、
それは「短いものである夢や幻のようである」と続くが
その短い五十年の半分ほど生きただけの人が、
「それは、まったくわからないですから」と
本気で言っているのがわかって、ぼくはズキッとした。
別に早世すると言っているのでもないし、
もう十二分に生きたと言っているのでもないことは、
ちゃんと伝わってきていた。
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しかし、まだ二十代の若者が、
長い長い先の時間がたしかだとは言えないと考えている
一般常識として言えるようなことではないが、
彼の考えていることのほうが真実に近いと思えて、
ぼくはいままでに感じたことのない緊張感をおぼえた。
明日が、未来が、あると信じ切って生きることは、
すばらしいことだと、ほんとうにぼくは思っている。
幼い子どもたちは、永遠に生きるつもりで今夜も眠る。
しかし、それはそれとして、
「それはまったくわからないですから」というリアルは
一度でもそれを感じたことのある人なら、
いつまでも捨てられないメモのように、
ずっと心のどこかにあり続けるものなのだろう。
彼は、2011年のあの震災を身に感じ続けていた人だ。
年が明け、一晩寝ただけで「あけましておめでとう」と
言い合えるような「みんなの舞台劇」がはじまる。
昨日と今日、変わるところもあるじゃなし、と、
大人びた笑いとともに正月の料理を食べ寝転んでいた。
つまらぬ国だとか、事も無しだとか人は言い合っていて
昨日と同じ今日が過ぎ、明日も同じだと思っていた…
ところに、日本海側からの大きな地震の速報があった。
だれもが思ったろう「よりによって元旦に?」と。
明けてめでたいという「舞台劇」を現実が襲いかかった
「それはまったくわからないですから」を思い出した。
今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「なんでもない日」を失った方々の
ご無事をお祈りします。