前回「DAYDAY」「ミヤネ屋」「ゴゴスマ」の羽生選手に関する報道がどれも過剰報道の問題点も取り上げ人権問題にメスを入れた真面目な番組だったとお伝えしました。私は普段見ていないのですが今回はコメンテイターの発言等とても気になっていたしTV 局の姿勢も知りたくて見比べたしだいです。

さて今回は二重作さんがプライバシーのことも含めてniceな記事を書かれていますので紹介します。

羽生選手と勇気の総量より二重作拓也

羽生 結弦選手。僕は今まで、必ずこのように表記してきた。「氏」でも、「さん」でもなく。なぜか?彼が選手だからだ。アマチュア時代も、そして現在も。

選手とは「選ばれし手練れ」「選ばれし使い手」だと僕は理解している。羽生結弦選手は、己の意志と不屈の精神をもって、その道を選び続け、選ばれ続けたからこそ、あのような大きな舞台にひとり立ち、世界レベルで人々に希望を配っている。

そしてやはり「選手」である以上、表現のフィールドはあくまでも、彼が「選手として降り立つ場」であるはずで。仮に、一部メディアや大衆の興味が「それ以外の領域」にあったとしても、羽生結弦選手はあくまでも氷の上で自己表現し、「パフォーマンスを通じて」時代にメッセージを伝えてきたと思う。

もちろんメディアの取材も受けるし、TVや映画などにも出演してきたが、それらはあくまでも「副」であって、「主」たる軸足はやはりアスリートとして、表現者として、芸術家としての「羽生結弦選手」であろう。仮に彼の「パフォーマンス」について、外部からいろいろ言われることがあったとしても、それはもう「人前に立つものとしての覚悟」として織り込み済みだと思う。

問題はそうでない部分だ。羽生 結弦選手はどう客観的にみても「自身のプライベートを切り売りして」ここまでやってきたわけじゃない     いくら著名人だからといって、プライベートにヅカヅカと土足で入り込むのは間違っている。もし入り込むならば、入り込んだメディア、それを指示した責任者、許容した企業には、それ相応の責任が生じてしかるべきだろう。

前にも書いたことがあるけれど、僕は羽生結弦選手は「新しい世代のロールモデル」だと思っている。

「日本発世界」を具現化している若き戦士であり、「国を挙げてその存在を誇るべき日本の宝」ではないか。

経済効果だけでも凄い数字だと思うし、羽生結弦の存在がどれだけの数の人々を勇気づけていることか。医療は「生きる方法」を与えることはできるけど、「生きる意味」を与えてくれるのは、人間の真剣な生き様であろう。

TV3番組が人権問題として報じた件<DAYDAY,ミヤネ屋。ゴゴスマ>

TV 局はジャニー喜多川氏による性被害問題を報じて来なかったと自己反省をした経過もあり少しは人権問題に敏感になっているかもしれないと思ったのです。ところが日曜日はひどい発言があったと聞き一夜明けて変化があるか気になっていました。

しかし月曜日の3番組はどれも誠実でした羽生選手のコメントを丁寧に読み上げ所謂「有名税」という考えは間違っていると指摘したりどの番組も迷惑行為を受けた恐怖の経験談を語ってくれて「みんなで考えて行くべき」という流れになりました。そして過剰報道は罪に問われることもあるという法律解説も各局やってくれた。これは凄いことです

そして海外報道をどこも取り上げていたことも印象的でした、流石にそれは気になるんだなとまた東国原氏は例え最初からお相手の名前を公表していても過剰報道は変わらず起きていたと断言されていた。

それにしても週刊誌は別世界です。稼ぐことに必死なんです。そして手段を選ばない。そこにはデジタル化という時代的変化も関係している。これは甘く見てはいけないのです

 

 

ミヤネ屋高原弁護士の発言に注目。

 

 

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