プロローグが終わるやいなや

次はGIFT2.26の成功をと祈りその後に小休止があるかのような

幻想を抱いていた私だったがなんと羽生選手はその間 頭脳も身体も

2つのショーに向けてフル回転していたのであった。

 

6,334点のイタリア国旗のストックフォト - Getty Images

「羽生結弦は泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロだ

と思ったのはいつのことだったでしょうか?」

 

🔶「惑星ハニューにようこそ」のNympheaさんの言葉に引き込まれた

言われてみれば彼のスケート人生はずっとそうだったよねと思うのだ。

そんな生き方だったからこそ五輪連覇もスーパースラムも達成できたし

連覇後のオリンピックでの4A 挑戦という彼にしかできない歴史的な戦いを

実現させることができたのである

 

🔶そして昨年彼はその競技から離れ大きな変化が生まれた。
競技では決められたスケジュールに沿って
行動しなければならないが
プロ転向でそのレールは取り払われたのである。

 

🔶さて自由になったマグロ君は そのスピードを緩めるかと思いきや

承知のごとくその常識は吹き飛ばされた。

プロ転向後の羽生選手についてNympheaさんの想いが心に響く。

 

 

「惑星ハニューにようこそ」より

「プロ転向後の羽生選手のこと」
 

羽生結弦は泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロだと思ったのは何時のことだったでしょうか?

ソチ「自分に負けたみたい」・平昌「自分に勝てた」・北京「挑戦しきった」…羽生語録 : 読売新聞オンライン 羽生結弦は「江陵アイスアリーナを支配した」 平昌金から3年、五輪メディアが熱狂回顧 | THE ANSWER

ソチで金メダルを獲った後も全くペースダウンせず、中国杯では衝突事故の直後に頭に包帯を巻きながらも競技を続行し、満身創痍の状態でNHK杯に強行出場してファイナルの切符を掴み、そのファイナルで圧勝して見せた時も開腹手術からすぐに競技に復帰して世界選手権で銀メダルを獲った時も、330.43点という誰を見たことのない異次元の得点を叩きした後、4ループや4ルッツを次々に習得した時も、平昌で二連覇を達成した後、すぐに4アクセル着氷という次の壮大な目標を掲げた時も確かにそう思いました。

驚異的なスピードと3つのアイスショー

しかしプロに転向した後「泳ぎ続ける」彼の速度は一気にシフトアップし、下界の人間達が一世紀かけても成し遂げられないことをたった一人で驚異的なスピードで実行しようとしています。惑星ハニューでは時間の流れる速度がこの地球とは異なるのでしょう。

プロ転向が発表されたのが7月19日。その後にまず東京ドーム公演のオファーが来て、同時進行でプロローグの企画・制作を進め、ワンマンショーを滑り切るためのトレーニングを積んでいたことも驚異的ですが、3つ目のアイスショー、Nottestellataも準備中だったとは!

しかし、このNottestellataこそ、彼がプロになったら絶対にやりたいと決めていたことの一つなのではないでしょうか。現役中は通常、世界選手権が開催される3月にこのようなイベントを開催するのは不可能でしたから。3つのアイスショーを企画・制作・準備しながら、ここ数カ月間における彼の活動は目覚ましいものでした。

ユーミンとのラジオ共演、紅白の審査員、新動画投稿、内村航平さんとの対談、Every.生出演など、挙げればキリがありませんが、個人的に特に衝撃的だったのは、 フィギュアスケート仙台市長杯でのサプライズ演技とクラシックTVでした。‥・・・略・・・・

羽生結弦は従来のアマチュア引退の概念を根本から覆しました。彼にとってはここからが本番なのかもしれません。オデュッセウスならトロイア戦争が終わったところでしょうか。そして前人未到の大海原に漕ぎだしていった羽生君の活動をリアルタイムで追える幸運。この時代に生まれてきたことを天に感謝しなければなりません。

 

賢明なるマグロへの共感

ココで使ったマグロという比喩はもちろん

単に休まないという意味ではありません

ここ数年注目されてきた彼のプロデュース力企画力の凄さ

それはスケーターの枠を超えたものだった

そしてその積み上げの結果である人脈や支えてくれるスポンサーなど

その相乗効果が見えてきたと感じる

 

仙台市長杯でのサプライズ「パリの散歩道」についての分析は非常に共感できる内容なので

いつかそこに絞って取り上げたいと思います。