全日本からの1カ月羽生選手はたったひとりで
4回転アクセルの完成を目指した
世界中がその成果を見ようと待っていた
こんな重圧をチカラにするなんてやはりエイリアンか?
FSTV
— ゆづ★マミ (@yzkyun_4A_mami) March 6, 2022
冒頭に北京五輪ダイジェスト少し
西岡さんのコメント(4Aについて)
全日本から完成度がとにかく上がっていてそれにまずびっくりした
わずか1ヶ月の間にどれだけ試行錯誤したのかな
そこの努力がほんとに詰まってる気がしましたって😭#20220306ゆづ pic.twitter.com/0JMpecGHin
羽生結弦の変わらない姿勢
北京五輪が終わって時間を経ても、その余韻は 消えない
羽生結弦の姿、その印象はむしろ 強まるばかりだ。
試合はむろんのこと、リンク 内外のいくつもの情景が、
人々の脳裏に焼き ついている。
あらためて北京での羽生を思い返したとき、
浮かんでくるのは「かわらない」という言葉だ。
例えば、エキシビションの前日19日の公式練習後。
ボランティアの人々らに加わり、整氷作業を手伝う姿があった。
傷の状態を確認してはバケツから氷を取り出して修復するのに熱を込めた。
筆者は以前、国内でリンク設営・管理などを担う「パティネレジャー」という会社で、設置作業を統括する責任者に話をうかがったことがある。その中で羽生について語られたのは、練習の前後で顔を合わせる機会があればいつも丁寧に挨拶をし、氷について分からないことがあれば、率直に尋ねてくる姿勢だった。また、製氷作業の担当者は、「(製氷作業を)手伝ってくれたりするんですよ」と明かしてくれた。北京で見せたエキシビションの公開練習後の「手伝い」は何ら特別ではなく、これまでも機会があればとってきた行動だったのだ。
(NumberWebより松原孝臣)
🔶上記の「製氷作業の手伝い」に関連して
ロンドンつれづれのポプラさんが
素敵なエピソードを綴ってくださった
”Graceful, on and off ice”
「氷上での演技も、試合後も、優美」
フィンランディア杯2012(17歳)
私(ポプラさん)が最初に羽生選手を現地応援した
2012年のフィンランディア杯でも、
優勝した羽生選手はごく自然に
ボランティアに混ざって製氷を手伝っていた。
現地のひとはもちろんびっくりしていた...........、
「日本では柔道の道場でもテニスコートでもそしてアイスリンクでも
使わせてもらった施設に対して感謝の心を持っていますから、
一礼して立ち去ります。また日本の選手たちは自分たちの施設
自分たちで清掃して清めますから」と説明したのを覚えている。
製氷を手伝っている羽生選手に
「おめでとう~!」と声を掛けたら、
パッとこちらを見て、
腰をしっかりとまげて
「ありがとうございます!」と
大きな声で返事をしてくれたのを覚えている。
夫はあっというまにファンになってしまった。
翌日の地元紙では、紙面いっぱいに彼の演技の写真と、
この製氷の写真が載せられ、
Graceful, on and off ice
(氷上での演技も、試合後も、優美)と称賛されていた。羽生 君はそしてまだこんなに有名になる前から、
やっていることは同じです…。<ロンドンつれづれより>
つなぐ
羽生が円環の中心となり、その求心力によって、人々をつないでいるかのようだった。さまざまな大会で、会場内そして映像を通じて、背景や考え方もそれぞれに異なる人をつなげていた。
表現という要素を持つフィギュアスケートならではだったし、何よりも羽生の表現の持つ力にほかならない。
さまざまな国から集った人々が、片言であっても羽生を巡って楽しく会話をしている光景もいくつも生まれていた。それは対立が煽られ、ときに憎悪を生み、分断が強調される今の時代だからこそ、なお意味を持つ。
ロンドンつれづれ(ポプラさん)↓
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