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Japan Figure Skating Championships

今日から始まる全日本選手権にちなんで羽生選手の全日本を振り返ろう。

初めての全日本は2008年。それからずっとこの試合と共に成長してきた。

今年もどんなに出たかっただろう。しかし急がば回れである

2008年から2014年のはじまり前までの羽生選手全日本の歩みを

松原孝臣氏が綴る。Number過去記事より

「全日本選手権という名前にこだわっています」 松原孝臣

フィギュアスケートの選手にとって、全日本選手権は格別の重みを持つ。

数々の選手が、大会に漂う独特の緊張を口にしてきた。

その理由の1つが、オリンピックや世界選手権などの代表選考の対象となる大会であること。

もう1つは、日本の上位の選手が一堂に会す場でもあることだ。

 

ましてや、今日では国際大会で多くの日本の選手が活躍している。

その選手たちが集まるわけだ。緊張や意気込みも特別なものとなる。

その大会の中で、羽生結弦はさまざまな表情を見せてきた。

 

羽生が初めて全日本選手権に出場したのは2008年12月。

中学2年生のときのことだ。

場所は長野市のビッグハット。

このとき、8位の成績を残した。その次の年には6位となっている。

前シーズンの世界ジュニア選手権優勝などを果たして

シニアに転向した2010年には

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4位で世界選手権代表入りを逃した。

羽生は言った。

「自分の持っている力を出せませんでした」

 「もっともっと練習していきたいと思います」

 悔しさを露わにしつつ、更なる成長を期した大会だった。

初の世界選手権をつかんだ2011年

2011年にはショート4位からフリー首位で巻き返し、

総合3位。

初の世界選手権代表をつかんだ大会となった。

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フリーを終えた直後には、

トリプルサルコウが1回転になったことへの悔しさから両手で膝をたたいた。

それでも、こう語った。

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「連戦で疲れている中で、この演技が出来てよかったです。

ショートプログラムから切り替えていけたのもよかったです」

 

笑顔だった。

 

初優勝を遂げたのは2012年

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このときは、ショートでどのような演技を見せるのかにまず注目が集まっていた。

グランプリファイナルのあと体調を崩し、思うように練習できずに迎えたからだ。

 

「(6分間練習でも)駄目で、余裕がなくて緊張で脚が震えました」

羽生自身、そう振り返った。その中で、トップに立った。

 

「緊張していて、表情が作れなかったかなあと思います」

と、課題を口にしつつ、充実感も示した。

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「難しいブルースを表現するため、

全力疾走せずに余裕をもってやるということが、つかめてきました」

「(不安のある中でも)いい演技ができたと思います」

 

この大会では、全日本選手権への思いも口にしていた。

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「日本一にこだわっているんじゃなくて、

全日本選手権という名前にこだわっています」

 

ショートのあとでそう語った羽生は、フリーのあとにも言った。

 

「ノービス(9~13歳)の頃から、1位になりたいと思っていました」

 

羽生にとっても、全日本選手権は特別な大会であったのだ。

2013年は「心臓が押しつぶされるくらい緊張」

他の大会にはない緊張や重圧があり、強い思い入れのある大会。

そのときどきに悔しさを味わい、課題を見出しながら、

あるいは手ごたえも感じつつ、前へと進む力を得てきた。

それはソチ五輪代表を決める優勝となった、2013年の全日本選手権でも同様だった。

 

「オリンピックの選考を兼ねている全日本は初めてだったので、

これほどまでに緊張するのかと、

ほんとうに心臓が押しつぶされるくらい緊張していました。

 

その中でもどれだけ自分のペースを守れるか、

今まで学んできたことを実行できるかを考えていました」

 

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2014-15season

今シーズン増えた、羽生の引き出し。

そんなテーマとともに臨んで優勝したあと、

緊張を克服した方法、手ごたえを尋ねられると、こう答えた。

 

「具体的に何をしたとか何をするとかそういうことは関係なく、

とにかく今すべきことをただ淡々とやっていました」

 

かつてない緊張と向き合いながら過ごした経験は、

その後へとつながっていった。

 

今シーズン、思いもよらないアクシデントのあった中国杯からNHK杯と、

 

ある種の「怒り」とも感じられるような負けん気の強さとともに挑み、

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グランプリファイナルでは滑ることの楽しさ、幸福を感じ取った。

 

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羽生の引き出しはまた1つ増えたと言えるかもしれない。

 

そのように過ごしてきて迎える今回の全日本選手権は、

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初めて出場したときの会場でもある長野のビッグハットで開催される。

 

思い出深い場所で、どのような滑りを見せるのか。

 

そして、何を得ることになるのか。

 

今大会もまた、羽生が先へ進むための重要なステップの場となる。

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松原氏の記事は2014全日本前で終わっているが前記事は

その2014全日本をテーマにしているのでぜひ参考にされてください。

 

 

全日本3連覇達成

 

全日本のリンクに来年はどんなプログラムで挑むのだろう。

「マイナスをプラスに」してきた羽生選手よ

"出場を断念せざるをえなかった全日本の分まで平昌で輝け" と願っています。

 

「お互いケガをしている時に連絡を取り合って、全日本で滑れたらいいな、と話していた。

寂しいけれど、彼の分も少しでも頑張りたい」(田中刑事)

 

あさチャン羽生さんの全日本欠場と五輪代表について織田さんコメント

「羽生選手が一番全日本に出たかったと思うんですけど、

怪我が治った時に平昌オリンピックで金メダルを目指せるのは羽生選手なので、

そこはやっぱり考慮されて良かったと思います」

Please get well soon !!!

 

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不屈のヒストリー★王者羽生の全日本2014

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