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徒然草子

様々なテーマに関する雑感を気ままに綴ったブログです。


1.導入
稲荷神、或は稲荷大神は、恐らく、日本で最も多く祀られている我が国の神に挙げる事ができると思われる。
かかる稲荷信仰に関して掘り下げると、きりがない上、又、それ程の手持ちの材料も無いので、乏しい管見を備忘録がてらに以下に簡単に纏めてみようと思う。


2.仏教系稲荷神の概観

稲荷神は、周知の通り、大きく神道系と仏教系の二系統に分類できるが、先ずは仏教系の稲荷神を概観すると、多くの場合、平安時代後期以降の神仏習合の流れの中で天部の一人であるダーキニーが日本化した荼吉尼天(吒枳尼天)が当てられる。
尚、日本での土着化を果たした荼吉尼天の図像は、胎蔵曼荼羅で表現されている様な鬼女相を脱し、一般的に狐に乗る美しい一面二臂の女天として表現される事が多く、又、その場合、剣や宝珠を持している場合が多い。
かかる荼吉尼天信仰は、元来、真言密教を中心に発展し、後に天台密教において寺門派の他、山門派の一部においても受容された様だが、福徳神としての荼吉尼天信仰は中世期において宗派の枠を超えて大いに普及し、例えば、曹洞宗では愛知県豊川市の妙厳寺(豊川稲荷)が、又、日蓮宗では岡山県の妙教寺(最上稲荷)が著名であり、更に豊川稲荷の場合、荼吉尼天は吒枳尼真天の名で、又、当該女天は最上稲荷を中心とする日蓮宗系寺院においては最上位経王大菩薩の名で祀られている。
尤も日蓮宗系寺院の場合、密教由来の荼吉尼天の他、神道由来と思われる老翁形の男神を祭祀する事もあるが、その場合、当該男神は常富大菩薩と称される。

3.神道系稲荷神の概観
続いて、神道系の稲荷神を見てみる。
神道系の稲荷神と言えば、伏見稲荷大社が著名であり、当該神社は全国の稲荷神社の総本社と称されている。伏見稲荷大社の祭神と言えば、宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)を中心に佐田彦大神(サタヒコノオオカミ)、大宮能売大神(オオミヤノメノオオカミ)、田中大神(タナカノオオカミ)、四大神(シノオオカミ)の四柱を配し、これら五柱を総称して稲荷大神と呼んでいる。
各地の稲荷神社の祭神に関しても概ね宇迦之御魂大神を中心に佐田彦大神(猿田彦神)、大宮能売大神(天宇受売神)などの神を、適宜、組み合わせている例が多いが、主祭神の方は必ずしも宇迦之御魂大神に限定されている訳ではなく、各神社の由緒により、保食神(ウケモチノカミ)、大宜津比売神(オオゲツヒメノカミ)、御食津神(ミケツノカミ)、豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ)など同じ穀物・食物神系統の神を以て当てる例も少なからず見られる。

4.宇迦之御魂大神
ところで、神道系稲荷神の主祭神として最も多く見られる宇迦之御魂大神とは稲荷信仰における尊称であり、『古事記』では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、『日本書紀』では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と呼ばれている。そして、その出自は『古事記』と『日本書紀』とでは大きく異なっている。
先ず、『古事記』によれば、宇迦之御魂神は須佐之男命(スサノオノミコト)と山の神である大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘である神大市比売(カムオオイチヒメ)(大歳御祖神、大歳御祖命)の間に生まれたと言う。一方、『日本書紀』によれば、同書の一書(第六)において伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が飢えて気力が無くなった時に生まれた神が倉稲魂命であると述べられている。
記紀から知られる宇迦之御魂神の出自は以上の通りであるが、当該神に関する事績に関する記述は見られず、又、その名称だけからはその性別も不明である。
ところで、『延喜式』「祝詞」所収の「大殿祭(オホトノホガヒ)」の祝詞の屋船豊宇気姫(ヤフネトヨウケノヒメ)の細註に「是ハ稲ノ霊ニマス。俗ニ宇賀能美多麻(ウカノミタマ)ト謂フ。」とあるから、古くから宇迦之御魂神は女神であって、伊勢神宮の外宮の主祭神でもある豊受大神(豊宇気毘売神)と同一視されてきた事が伺え、かつ稲の霊として認識されていた事も知られる。

その上、神名にあるウカとは御食津神や保食神などの神名に含まれるケ、ウケと同じく食物を指す古語とされるから、宇迦之御魂神とは穀霊であり、食物神のひとりである事が伺える。因みに穀霊や食物神には記紀神話からも知られる様に女神が多い。

尚、宇迦之御魂神は老翁形で表現される事があるが、その成立に関して、古来、翁というものが慶事、繁栄、長寿の象徴である事、又、記紀の記述に関する限り、上述の通り、やはり性別が不明であり、その意味で男神と看做し得る余地があった事、又、『古事記』によれば、宇迦之御魂神の兄弟神が大年神(オオトシノカミ)であり、同じく食物神でありながら、こちらは『古事記』の記述から明らかに男性神である事による影響などが考えられるが、老翁形の図像に関するテクスト上の典拠として長らく扱われてきたのは、鎌倉時代に編纂され、弘法大師空海の高弟である真雅に仮託された『稲荷明神流記』で、同書によると、弘法大師空海は二人の女性と二人の童子を伴い、稲を背負った老翁形の稲荷神に会い、東寺の加護を約束されたと伝えている。

1.導入
 今までヒンドゥー教の代表的な神であるガネーシャについては断続的に触れてきたが、此処で纏めて記述しようと思う。
 ガネーシャはヒンドゥー教の最高神の一人である大神シヴァの長子としてその眷属を統率しているということから、集団(gana)の主(pati)という意味のガナパティ(Ganapati)とも呼ばれ、迦那鉢底、俄那鉢底等の漢字が当てられている。
 又、古くは障礙神であったことから、障害、障礙を意味するヴィグナ(Vighna)、障害を齎す者を意味するヴィナーヤカ(Vinayaka)と呼ばれ、漢訳仏典では毘那夜迦、頻那夜迦等の漢字が当てられている。今日でも障害神であった頃の名残で、障害の支配者を意味するヴィグネーシュヴァラ(Vignesvara)、障害の主を意味するヴィグネーシャ(Vignesa)、障害の王を意味するヴィグナラージャ(Vignaraja)とも呼ばれる。
 以上の他に、集団(gana)の支配者(esa)を意味するガネーシャ(Ganesa)、母が二人いる者を意味するドゥヴァイマートラ(Dvaimatra)、象の頭を有する者を意味するガジャーナナ(Gajanana)と呼ばれ、又、南インドのタミルナードゥ地方では童子神という点が強調されてタミル語で小さな子供を意味するピッラヤール(Pillayar)と呼ばれている。
 尚、現代のヒンドゥー教では上述のガネーシャ(Ganesa)の呼称が最も一般的だが、現代ヒンディー語では短母音のaは発音されない為、デーヴァナーガリー文字の表記においてサンスクリット語と同じでも、ガネーシャはヒンディー語でガネーシュと発音され、同様にガナパティもガンパティと発音される。

2.概要

 さて、今日、ガネーシャはヒンドゥー教ではシヴァとその妃のパールヴァティーの子とされているが、その起源は非アーリア系の民俗神であったらしく、聖典『ヴェーダ』に登場することはない。
 又、ヴィナーヤカなどの別名が示す通り、嘗ては魔神の軍勢を率いて人々を苦しめる障礙神の長であった。かかる障礙神としての本来的な性格は現存する仏典の記述から伺うことができる。
やがて、障礙神の長であるが故に、適切な祭祀をすることで障礙を除き、却って成功をもたらす神として観念される様になり、今日、ヒンドゥー教では専ら成功と幸運をもたらす神として信仰され、ヒンドゥー教では宗教的儀式の執行時や新たに事業を始めるに際してそれらの成功を祈願してガネーシャが祀られる。又、ガネーシャの成功と幸運の神としての性質から、しばしば、ヒンドゥー教の宗教画において幸運の女神であるラクシュミー(吉祥天)とセットで描かれることもある。
 この他、ガネーシャが聖仙ヴィヤーサを助けて大叙事詩『マハーバーラタ』を完成させたと言う伝承により、ガネーシャは文字、智慧、知性、学問の神としても信仰されている。
 かかるガネーシャ信仰は比較的新しく、グプタ朝時代に活躍した詩聖カーリダーサの『王子の誕生』ではシヴァとパールヴァティーの結婚の他、彼らの子軍神クマーラ(スカンダ、カールティケーヤ)の誕生を扱っているが(※作品のタイトルにある王子とはクマーラの事であり、ガネーシャの事ではない。)、同じく彼らの子とされているガネーシャは全く登場しない。この事は、カーリダーサの時代、ガネーシャ信仰がヒンドゥー教内部において正当な位置を占めていなかった事を意味していると考えられている。
 しかしながら、考古学的遺品などから、一方でかかるグプタ朝時代においてガネーシャ信仰は急速に普及を始めたとも見られ、9世紀頃に起こったヒンドゥー教の無宗派運動であるスマルティズムにおいては5人の主要な神の一人に数えられるに至っている。
 又、一方でガネーシャを最高神として信仰するガナパトヤ派と呼ばれる一派も出現し、彼等の手で『ガネーシャプラーナ』、『ムドゥガラプラーナ』、『ガナパティアタルヴァシルサ』などが編纂され、後世のガネーシャ信仰に大きな影響を与えた。
 かかるガネーシャ信仰は、本来的な障礙神としての性格とヒンドゥー教で称揚された福徳神としての性格を併せ持った形で仏教にも導入され、後述する様に、特に密教においてその信仰が称揚された。
 又、本来、ガネーシャ信仰とは縁が無かったジャイナ教においてもジャイナ教徒商人とヒンドゥー教徒商人との交渉から8世紀辺りから彼らの間において信仰される様になり、今日、ジャイナ教寺院においてもガネーシャが祀られている。

3.図像的特徴

 ガネーシャの図像の最大の特徴は象頭である。かかるガネーシャが象頭である所以に関して、ヒンドゥー教では以下の有名な伝承がある。
 シヴァの留守中、パールヴァティーは自身の体を洗い、その垢を集めて人形を作り、命を吹き込むと、その人形に命じて浴室の見張りをさせた。やがて、シヴァが帰ってきたが、その人形はシヴァの入室を頑なに拒んだ。これに激怒したシヴァはその人形の首を切り落とし、遠くに投げ捨ててしまった。
 やがて、シヴァはパールヴァティーと会ったが、シヴァが先程の人形の首を刎ねて捨ててしまったことを知ったパールヴァティーは嘆き悲しみ、激怒した。
 先程の人形が自身とパールヴァティーとの間の子である事を悟ったシヴァはパールヴァティーに復活させることを約束すると、先程、投げ捨てた首を探しに西に向かって旅に出たが、どうしても探し出すことができなかった。そこで、やむを得ず、旅の途中で最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、人形の首に取り付けて復活させた。

 以上の他に次の様な伝承もある。
 シヴァとパールヴァティーは大神ヴィシュヌに祈りを捧げることで自分達の子であるガネーシャを得、神々も彼等の子の誕生を祝福しに訪れた。かかる神々の中には土星神であるシャニも混じっていたが、シャニは邪眼を有していたから、ガネーシャに災いを齎すことを恐れて彼を見ようとせず、ずっと俯いていた。しかしながら、パールヴァティーはかかるシャニに頭を上げてガネーシャを見る様に勧めたので、シャニが彼女の言葉に従ってガネーシャを見た所、ガネーシャの頭が破壊されてしまった。かかる事態にパールヴァティーは深く嘆き悲しんだ為、ヴィシュヌはガルーダに乗って飛び出ち、川辺で寝ている象を見つけると、その首を切り落として持ち帰った。そして、その首をガネーシャに取り付けると、ガネーシャは復活することができた。
 又、ガネーシャの象頭の牙は一本折れているが、これに関しては幾つかの伝承がある。
①ヴィシュヌの化身であるパララーマが留守中のシヴァを訪ねて来たが、この時、パララーマはシヴァが授けた斧を有していた。成り行きでガネーシャはパララーマと決闘することになったが、その際にパララーマは父神シヴァの斧を投げつけてきた。この時、ガネーシャはシヴァの斧をかわすことは父神への不敬になるとして一本の牙で受け止めた所、その牙は折れてしまった。
②ある時、籠に載っていた所、振り落とされてしまい、その際にガネーシャは頭から落下した為、一本の牙が折れてしまった。
③ガネーシャがある宴から夜道を帰宅している時、転倒してしまい、土産として持していた菓子(モーダカ)が転がってしまった。それらを慌てて拾い集めていると、その様子を見ていた月がガネーシャを嘲笑した。激怒したガネーシャは牙の一本を折って月に投げつけた。
 ところで、ガネーシャの図像上の表現方法も様々で、立像、坐像、踊る姿で表現されたり、又、悪魔を殺害する戦闘的な姿で表されたり、妃を膝に載せて抱き寄せていたり、或いは父神シヴァと母神パールヴァティーとともに童子神として表現されたり等とヴァリエーションに富んでいる。
 臂数の方も一定せず、2臂から20臂までと様々であるが、その中で4臂が一般的の様である。面数の方は一面が最も一般的なだが、中には二面のガネーシャとか、ヘランバガナパティ(Herambhaganapati)の様に五面のガネーシャも存在する。
 ガネーシャのヴァーハナ(乗物)としては鼠が最も一般的だが、その所以は鼠が穀物を荒らす害獣であるから、ガネーシャの障礙神としての性格の名残と見られている。尤もガナパトヤ派の聖典『ムドゥガラプラーナ』ではガネーシャのヴァーハナ(乗物)としてガネーシャの様々な相に応じるから一定しないとして、鼠の他に、獅子、孔雀、蛇、馬などの動物を列挙している。
 又、ジャイナ教で祀られているガネーシャのヴァーハナ(乗物)に関しては、鼠の他に、獅子、ラム、孔雀、亀などとヴァリエーションに富んでいる。
以下はとりとめの無い雑感である。
近時、我が国においても移民受入について話題になりつつある。当該話題の最大の要因かつ目的は将来の我が国の労働力の確保である。
さて、数理経済学的発想からすれば、移民、換言すれば、労働力の円滑な移動は将来における経済成長のエンジンになり得るかも知れない。
しかしながら、実際に移動するのは、関数や方程式上の変数としての労働力だけではなく、各々の歴史的、文化的、宗教的背景を具備している人格も動く訳であり、当然の事ながら、異質な人的要素の受入は、遅かれ早かれ、文化的統合の問題を引き起こし、更には政治的問題へと先鋭化するものである。
外国からの労働力を限り無く方程式上の定量的な変数と割り切って彼らの行動を管理できるのであれば、上述の様な問題は生じにくいであろうが、しかしながら、そうすると、左派系の人権屋の輩が黙っていないであろう。
独自の地理的条件や悠久の固有の歴史的経緯を踏まえて形成されてきた日本を日本たらしめている所のものに異質な要素を導入することは国家的統合の問題に関わる事であるし、そうなると、日本人にとってもそれ以外の人にとってもお互いに大変不幸な事態になるであろう。恐らくは、一部の人を除き、大多数の日本人にとって日本をして日本たらしめてる所のものの否定は我慢できるものではないであろう。

以前、六字明王を取り上げたので、此処では当尊と密接な関係にあると考えられている尊星王を取り上げてみる。
さて、尊星王とは北極星の尊格化である妙見菩薩の一種である。そして、恐らくは、中国で盛んであった北極星信仰を仏教側が取り入れて成立したものと考えられている。
かかる妙見菩薩信仰自体は比較的早い時期に日本に伝えられ、『正倉院文書』などから奈良時代あたりから行われていた事が伺えるが、かかる妙見菩薩の一種とも言うべき尊星王への信仰は平安時代中期以降、智証大師円珍の流れを汲む天台密教寺門派において称揚された。
寺門派の拠点である三井寺(園城寺)の伝承(『寺門伝記補録』)によると、尊星王とその法は智証大師円珍が中国唐に留学中に山門派の慈覚大師円仁も師事した青龍寺の阿闍梨法全から伝えられたとされている。
さて、智証大師円珍がその生前において尊星王を本尊とする尊星王法を修したかどうかは定かではないが、945年に大流星が観測されたのを契機に息災目的で天台座主義海が修した事が公での修法の初出であり、平安時代後期、特に院政期において尊星王法は白河、鳥羽両上皇の支持もあって盛んに修され、三井寺(園城寺)の方も同法を寺門派最大の秘法として大いに宣伝し、同じ天台密教でありながらライバル関係にあった比叡山延暦寺を拠点とする天台密教山門派の熾盛光法や真言密教の北斗法に対抗した。
ところで、妙見菩薩の図像自体は極めて多種多様である。と言うのも、妙見菩薩信仰の殆ど唯一の典拠とも言うべき『七仏八菩薩所説神呪経』巻2には「我北辰菩薩名曰妙見。今欲說神咒擁護諸國土。所作甚奇特故名曰妙見。處於閻浮提。眾星中最勝。神仙中之仙。菩薩之大將。光目諸菩薩。曠濟諸群生。」とその功徳、及び呪を説くものの、図像に関しては触れていないからである。従って、その結果、その信仰の多様な在り方等を背景に中国や日本において様々な妙見菩薩像が考案されたものと見られている。
上述の通り、妙見菩薩の図像は多種多様であるが、今日、尊星王と称される同尊の図像は大きく一面四臂と一面二臂の二系統が存する。
一面四臂像は智証大師円珍が伝えたものとされ、女天乃至菩薩相で鹿冠(龍冠とも)を戴き、丁字立ちで龍に乗る。右第一手、第二手は日輪(或は日輪を乗せた山)、鉾を、左第一手、第二手は月輪(或は月輪を乗せた山)、錫杖を持す。その周囲を日輪を乗せたり、咥えるなどしている象、虎、鹿、及び同様に月輪を乗せたり、咥えたりなどしている狗、鹿など計六匹の獣を配する。
尚、寺門派の有力寺院である三室戸寺には上記と類似の図像で、龍に乗り、左右第一手で紙と筆を持し、鬼神形の眷属を従える図像が伝わっている。

一方、一面二臂の図像は高山寺旧蔵の嘗ての所持者に因んで玄証本と呼ばれる白描画のものが知られ、菩薩形で雲中に座し、右手は施無畏印、左手は北斗七星を乗せた蓮華を持し、その頭上に北斗七星諸神を配したものである。
尤も実際の尊星王法では智証大師円珍に由来するとされる一面四臂像が専ら用いられ、その本地は毘盧遮那仏の第二身であるとともに、吉祥天(ラクシュミー)、又は千手観音とされている。そして、女神(女天)である吉祥天(ラクシュミー)が本地とされる事から、同法の実修に際しては、「世間ノ女ノ要枢」(『覚禅抄』)である鏡や麝香を必ず用意すると言う。尤も当該本地説は山門派からは異端視されていた様であり、天台密教山門派の事相書『阿娑婆抄』も「智証大師伝本体ノ相承二非ズ。」と批判している。
又、かかる尊星王は陰陽道とも深く関わっていた様で、『阿娑婆抄』によれば、「陰陽周易術道」の者が尊星王を信仰していたとあり、実際、尊星王法においては、本来、道教に由来する禹歩が行われ、又、神仙が愛好する菓子である棗が供えられたと言う(尚、棗を用意できない場合は柘榴を以て代える事も可とされた。)。
以上の尊星王に対しては、同尊が人々や国家の運命を左右するとされた衆星を支配する北極星の尊格化である事から、息災や延命の面で主に信仰され、又、寺門派も尊星王信仰を自身の教勢拡大の武器として最大限活用しようとして尊星王法を以て皇室や摂関家に接近した。
そして、院政期における寺門派による尊星王信仰の称揚は一定の成功を収めた様であるが、寺門派による尊星王法の独占は、その一方で、尊星王信仰が寺門派内部で完結する事をも意味したから、尊星王信仰は寺門派の教勢の盛衰とその運命を共にする事になった様に伺え、一方で妙見菩薩信仰自体は時代とともにその裾野が拡大していった様相とは対照的に写るものである。
以下は個人的な雑感であり、独断と偏見によるものである。マスコミ等が言う様な国際化とか、国際人とかと言った安っぽい建前論を振りかざすつもりは毛頭も無い。
ただ、下記に挙げる外国語は知っているに越した事はないと個人的に思われるものであって、私自身、これら全てを知っている訳ではない(寧ろ知らない方が多い。)。

◇必須言語
1.英語
 英語圏文化自体に対する好悪の感情の問題はさておき、今日、文化圏相互の相違を超えた言語的トゥールとしては最も有用と思われる。

◇知っているに越した事はないと思われる言語
1.ドイツ語
 EU最大の経済大国ドイツの言語。オーストリア、及びスイスの大部分はドイツ語は公用語。

2.フランス語
 EUの公用語の一つ。

3.中国語(北京語)
 中国、及び中国語に対する好悪の問題はおくとして、国際社会において影響力が増してきているのは事実であるから、知っておいた方が良いと思われる。

4.アラビア語
 国家レベルと言うよりイスラーム文化圏の共通言語と言った方が良い(イスラーム圏全てにおいてアラビア語が日常的に使用されているという訳ではないが。)。

5.ロシア語
 冷戦時代程ではないにせよ、政治的、軍事的にはロシアは重要。

◇余力があれば知っていた方が良いと思われる古典的言語
1.ラテン語
 西ヨーロッパの古典語。インテリ層ではラテン語系古典の引用は、今尚、好まれる。

2.サンスクリット語
 インドの古典語。宗教的理由はおくとして、インドのインテリ層においては、今尚、重要。

3.古典ギリシア語

取りあえず、思いつくままに適当に挙げてみた。
その他の言語に関しては、全くの個人的嗜好により選択すれば良いと思われる。