六字明王とは日本密教の修法である六字経法の本尊である。
此処で六字経法の本尊と述べたが、六字経法の本尊自体は当該六字明王に限られている訳ではなく、この他に聖観音とか、或は六字経曼荼羅が本尊とされる事もあり、一定しない。と言うのは、六字経法の基になっている『請観音経』や『六字呪王経』等において本尊が説かれていないからである。
『請観音経』においては大吉祥六字章句救苦神呪が、又、幾つかテクストが存在する『六字呪王経』に六字呪などが説かれているが、これらのテクストにおいて説かれている信仰形態は六字呪等の陀羅尼の受持読誦がその信仰の中核であって、それらに付随する儀礼的要素は希薄であり、又、関係儀軌類は存在しない。しかしながら、六朝時代から北宋代に至るまで関連テクストが繰り返し漢訳された事から中国において六字呪などに対する除災、諸魔退散などの効能が根強く期待され、信仰されていた事が伺える。
かかる六字呪信仰を六字経法として修法に適した形に初めて整備したのは小野流の観賢の高弟で菅原道真の孫でもある石山寺の淳祐(890-953)であり(『要尊道場観』)、修法として完成させたのは彼の法孫である小野流の仁海(951-1046)と考えられている。そして、12世紀前半に活躍した醍醐寺三宝院の定海(1074-1149)の口訣を纏めた『厚草紙』によれば、当該修法の本尊となる六字経曼荼羅の原型の登場は9世紀から10世紀にかけて活躍した醍醐寺の観宿らまで遡るが、曼荼羅として完成させたのは、やはり、仁海とされている。
かかる密教の修法としての六字経法の信仰に関して、『六字呪王経』などのテクストの冒頭部分においてアーナンダ(阿難)がアウトカースト系のチャンダーラ族の魔女(「外道旋陀羅女」)に呪詛された事が釈尊が『六字呪王経』を説く契機になった事が示されている様に、呪詛返しや怨敵降伏などの調伏、その他息災といった効能が期待されていた様であり、又、小野流で六字経法が考案されて普及すると、これに対抗して天台密教においても六字経法が行われる様になり、やがて、天台密教において大掛かりな六字河臨法が考案され、実施されるなど、六字経法は呪術信仰が隆盛を極めていた平安時代の貴族社会の需要に十分に応えるものであった。時代は下るが、後の南北朝時代には南朝側の護持僧であった文観(1270-1357)の政治的ライバルであり、足利氏とも縁が深かった北朝側の護持僧である醍醐寺の賢俊(1299―1357)がしばしば六字経法を修している所である。
さて、此処で話を六字明王に戻そう。六字呪の尊格化と目されている六字明王は六字尊、或は六字天とも、或は身色が青黒色故に黒六字とも言われ、六観音の所変とされているが、六字呪が六観音と関連づけられる様になったのは、中国天台宗の大成者である天台大師智顗の『摩訶止観』所説の六道の衆生を救済するとされる六観音の教説や同じく天台大師智顗の手になるとされる『請観音経』の註釈に六字呪の六字が六観音と結び付けられている事に由来する。それ故、石山寺の淳祐や天台密教の山門派における六字経法では聖観音に六観音を代表させて六字経法の本尊としている。
一方、六字明王自体は六観音の所変と伝えられているものの、同尊の直接的な経軌上の典拠は見当たらない。近時の研究によれば、院政期、天台密教による六字経法の隆盛に押され気味であった状況に対する打開策として小野流の範俊(1038-1112)が考案した様であり、以後、小野三流の一つである勧修寺流において六字明王を本尊とする六字経法が伝えられた様である。
さて、六字明王の図像は身色青黒色の菩薩相で一面六臂(若しくは四臂)の丁字立ちである。左右第一手で結印を結び、右第二手で大刀、第三手で月輪を持し、左第二手で戟叉、第三手で日輪を持する。その背後に十二支の動物の頭部がその光背などに配され、又、明王の前には天狐、地狐、獅子が配される事がある。
その図像的特徴から天台密教寺門派最大の秘法尊星王法の本尊である尊星王(上記画像)と酷似しているが、尊星王の方は智証大師円珍が中国唐から伝えたと言う伝があり、又、尊星王法の修法は六字明王を本尊とする六字経法よりも先行するから(尊星王法の記録上の初出は945年)、院政期において北極星の尊格化である尊星王の影響下に成立したものと考えられる。
尤も小野流側は六字明王と尊星王との繋がりについて認める事は無く、『覚禅抄』によれば、寧ろ範俊らは北宋代に漢訳された『大乗荘厳宝王経』にその典拠を求めていた様である。
『大乗荘厳宝王経』とは、サンスクリット名を『カーランダヴューハ』と言う観音菩薩の功徳を説く経典で、チベット仏教圏における観音菩薩の真言として最も広く知られている六字大明呪の典拠となっている。
ところで、六字大明呪とは「Om mani padme hum」(オーム・マニ・パドメ・フーム)という真言を指し、文字にすると、六字になることから六字大明呪とも言われている。
ところが、これまで述べてきた六字呪の方は上記の真言とは異なり、「佉智 佉住 佉毘智 緘壽 緘壽 多智婆智」(キャチキャチュウキャビチカンジュカンジュタチバチ)(『仏説六字神呪経』)である。
又、六字大明呪を尊格化した四臂観音(シャッドアクシャリー観音)(上記画像参照)の図像は先に掲げた六字明王の図像とは似ても似つかない。
しかしながら、近時の研究では、小野流側も六字明王による六字経法の案出に際して主体的に新来の『大乗荘厳宝王経』を参照した様であり、範俊ら小野流陣営は真言や図像の相違を承知の上で、主に修法の理論的裏付けの面で利用できる所は利用し、その上でこれまでの日本密教の展開の上で揃っていたアイテムを時代の嗜好などを考慮した上で駆使し、六字明王を案出したものと考えられるのである。











