無我説の諸系譜 | 徒然草子

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大乗仏教の誕生について触れた際にも言及したが、今日、文献や考古資料の新発見やその他研究の進展もあり、嘗てのインド仏教の姿も少しずつ明らかにされつつある。又、初期の仏教の研究に際して偏重されがちであった南伝パ-リ仏典についてもそれらのテクストの研究の進展とともにその成立に関して歴史的視点が導入される様になり、その取扱いも慎重になりつつある様に伺える。
さて、仏教の根本教説に無我説がある。ところが、今日の研究によれば、当該無我説の内実に関しては必ずしも、従来、考えられていた程、明確ではないらしく、又、それ故に、その後、その解釈を巡って幾つかの系譜ができた様である。そこで、それらについて言及した論文などを基づいて簡単に整理してみる。

1 ハ-ドな無我説
 無我を強調し、何らかの我に類似する存在すらも否定する。但し、輪廻説との調整に四苦八苦し、中観派に至っては輪廻を究極的には(※頭ごなしではない。)否定的に見ている。
 この立場に立つものとして、有部、南伝上座部、中観派など。

2 ソフトな無我説
 無我説を受け入れるが、我に代わる何らかの人格的存在を認める立場。
 この立場に立つものとして、プトガラ説を唱えた正量部、唯識派、如来蔵思想など。