シャンバラ王国 | 徒然草子

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さて、『カ-ラチャクラタントラ』「世間品」においてシャンバラ王国が説かれている。
元来、シャンバラとはヒンドゥー教の大神ヴィシュヌの第10の化身カルキが統治する国の事を指していたが、『カ-ラチャクラタントラ』の編纂者はそのアイディアを換骨奪胎して菩薩の化身が統治する理想の仏教王国の事としたのである。そして、当タントラに説かれたシャンバラ王国の伝説は17世紀にイエズス会の宣教師によって初めてヨ-ロッパに紹介されたが、近代に至ってシャンバラ王国の伝説はヨ-ロッパの神秘家達を夢中にさせ、又、様々な伝説の尾鰭が付いていった。
かかるシャンバラ王国に関する教説に関して田中公明氏の解説に基づき簡単に纏めてみる。
先ず、シャンバラ王国の位置に関して、当タントラが説く天文定数や記述より様々な説が行われてきたが、一般的に中央アジアの何処かと見られている。但し、当王国はイスラ-ムが盛んな現在、その姿を隠しているとされている。
かかるシャンバラ王国は雪山に囲まれ、又、96の小王国から構成されているとされる。そして、その中心にはシャンバラ王国の王の宮殿があり、その宮殿は神々によって建立されたと言い、更に宮殿の庭園にはカ-ラチャクラ立体曼荼羅があり、又、王は、毎日、王国の民に至高の教法である『カ-ラチャクラタントラ』を説いているとされている。
シャンバラ王国の王統は釈尊と同じくシャ-キャ族とされる。そして、釈尊と同時代の王はスチャンドラと言うが、又、彼は金剛手菩薩の化身であり、彼は釈尊が『カ-ラチャクラタントラ』の根本タントラである『吉祥最勝本初仏タントラ』を説いたのを聴くと、その教えをシャンバラ王国に持ち帰って王国で広めたと言う。
さて、スチャンドラより7代後に文殊菩薩の化身であるヤシャスがシャンバラ王国の王位にあったと言い、彼は王国の民の4つのカ-ストを唯一の金剛のカ-ストに統合するとともに、イスラ-ム勃興による仏教の危機を予見したので、根本タントラを要約した『カ-ラチャクラタントラ』を編纂したとされている。
そして、ヤシャスの子であり、又、観音菩薩の化身であるプンダリ-カ王は『カ-ラチャクラタントラ』の註釈である『ヴィマラプラバ-』を編纂したとされている。
その後もシャンバラ王国では菩薩の化身である王達の統治が続き、王国では仏教が栄えるが、王国外の世界ではイスラ-ムが興り、やがて、その教えは地を覆う様になり、仏教はその圧迫を受ける。
そして、スチャンドラ王から25代目に当たる、文殊菩薩の化身であるラウドラ・チャクリン王がイスラ-ムとの最終戦争を行って彼らを滅ぼし、王によって地上世界における仏教復興が成就するとされ、復興した仏教は、その後、1800年続くとされている。
上記のラウドラ・チャクリン王の出現は未来世の事であるが、その具体的な年に関しては『カ-ラチャクラタントラ』で示されている数字を基に様々な説が唱えられたが、ダライ・ラマ政庁が採用しているプク流の計算法によれば、ラウドラ・チャクリン王の時代は2327年から2427年の間と言うことになる。
以上がシャンバラ王国の教説の概要だが、当教説はチベット仏教圏において多大な影響を与え、その死後にシャンバラ王国に再生することを期して、カ-ラチャクラの大灌頂が盛んに行われたと言う。