春日地蔵信仰 | 徒然草子

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平安時代後期、神仏習合思想が盛んになると、各地の主要な神々の本地仏の設定が行われる様になったが、春日大社の諸神に関してもその例外ではない。
春日大社の諸神中、中心となるのは、本殿において奉られている、嘗ては春日四所明神とも称された四尊の神々であるが、今、それらの神々の名と本地仏とされた諸尊の名を列挙すると、以下の通りになる。

・一殿(一宮)      武甕槌命       不空羂索観音又は釈迦如来
・二殿(二宮)      経津主命       薬師如来又は弥勒菩薩
・三殿(三宮)      天児屋根命      地蔵菩薩
・四殿(四宮)      比売神 十一面観音

上記中、一殿、二殿の武甕槌命と経津主命は藤原氏の氏神であり、天孫降臨に先立ち、国津神を平定して天孫降臨の準備を行ったとされる神々である。三殿の天児屋根命は天岩屋戸に閉じこもった天照大神に対して祝詞を奉り、又、天孫降臨に際しては天孫に随行した神であって、中臣氏(及び藤原氏)の祖神とされている。そして、四殿の比売神は三殿の天児屋根命の神妃と言われている。以上の春日四所明神の内、当初は一殿、二殿の武甕槌命と経津主命が春日明神の中心であったらしい。
ところが、『春日権現験記』によると、平安時代中期頃、興福寺の僧勝円が神前にて読経していた所、春日明神が神託を下し、自らのことを慈悲万行菩薩を称したと伝えている。此処で慈悲万行菩薩とは地蔵菩薩を意味するとされている為、上記の本地説と照合すると、地蔵菩薩が春日の本地仏諸尊を代表することになるから、平安時代後期頃になると、春日四所明神の中で天児屋根命を中心的存在とする信仰が成立していたことが伺える。
さて、平安時代中期以降、末法思想の流行とともに浄土信仰が盛んになると、併せて地蔵菩薩は無仏の時代の衆生の救済者であるとともに、地獄などで苦しむ亡者を救済する菩薩としてその信仰は盛り上がりを見せる様になった。そして、中世、かかる浄土信仰や地蔵信仰が春日信仰と結びついた時、春日大社の境内域を以って一種の浄土とする信仰が成立し、併せて春日野の下には地獄があると言う春日野地獄の思想も成立した。
『春日権現験記』によると、ある興福寺の僧がその死後に春日野地獄に堕ちてしまったが、春日三宮(天児屋根命)の本地仏である地蔵菩薩がその僧を救済し、浄土へと誘ったという説話が載せられている。この説話から知られる様に春日野地獄の思想とは、現世において悪行を犯した者であって春日明神を信仰している場合には、通常の地獄ではなく、一旦、春日野地獄に堕ち、その後、地蔵菩薩がその者を救済するというものであり、中世から近世にかけて大和地方を中心に春日野地獄の思想と結びついた春日地蔵信仰が広く普及していたとものと見られている。
春日大社をめぐる神仏習合の信仰は比叡山麓の日吉大社における山王神道の様な理論体系を築くことは終には無かったが、神仏習合の思想的土壌の上に春日の神々を信仰する人々が様々な希求や思いを反映させた結果、上記の様な春日野地獄思想を背景にした春日地蔵信仰や以前に触れた事がある春日赤童子信仰、その他に舎利信仰、春日補陀洛信仰、龍神信仰等の豊潤で多種多様な信仰の諸相が花開いたものである。
春日大社を参拝する折に参道を取り囲む春日野の森に目を遣って、ふと、これらの地下に春日野地獄があり、今も春日三宮の神と同体である地蔵菩薩が救済を行っている様を想像するのも面白いかも知れない。