声が、聞こえたような気がした。

 嬉しそうで、楽しげな、不吉な言葉を綴る声を。

 止めないといけない、と思っても身体は動かない。

 ――ああ、そうか…。

 私は、夢を見ているんだ。

 だから、身体は動かないし、それを見ることも出来ないんだ。

 誰の声だろう――心当たりは、ない。

 でも、どこかで聞いたことがあるような、そんな気がして。

 また声がした。


「見つけたよ、見つけたの!これで――」


 あの、少女の声に似ていた。

 楽しげに笑いながら綴られた言葉は幼い少女のもの、あの駅で見た少女の霊の。


 ――ああ、ではあの子はあの女の子供ではなかったのだ。

 漠然と、では何故あんなにも嬉しそうなのかと疑問が湧いてくる。


「同じ目にあわせてやるんだよ、だって――私は生まれて来たかったんだもん。

 ママとずっと一緒にいたのに、ママと一緒にいたかったのに!」


 楽しげだった声が泣き声に混ざってどんどん大きくなって、最後には叫んでいるような声になって――そして私の意識は途切れた。


 少女の声が、思いが、私の心臓を握りつぶしそうに苦しかったから――。

 鞄に文庫本を入れて、教室から出ていく。

 頭の中にはさっき聞いた男子生徒の肝試しの結果と、何故という言葉が繰り返されていて、気づいたら玄関脇の靴ロッカーの前に立っていた。

「うっかり上履きのままで帰る所だったわ」

 靴を履き換えながら、もう帰宅時間のピークを過ぎたのか、帰宅しようとする生徒は自分だけなのに気付く。

 クラブ活動をしている声は遠くから聞こえて来たが、広い空間にたった一人きり。

「何を気にしてるのやら…私も」

 関わりたくないはずだったのに、気になって仕方がなかったのを自分自身に誤魔化すわけにもいかず苦笑する。


 かといっても、見ることしかできない自分に何ができるわけでもなく、過去にあった事柄を知るなどという能力なんかもない。

「つくづく…、あまり役に立たないんだよね…」

 こんな能力、要らないのにと思う事は何度もあった。

 傍観者にしかなれない、何も出来ない自分を再確認するだけの、悲しさしか齎さない力。

 ためいきをひとつついて、帰途につく。


 駅についてホームを、向かい側の逆方向のホームを見てしまう。

 今朝、少女を見たその場所を。

 少女は、もうそこには居ない。

 当然ながら、今朝の騒ぎを起こした女もそこには居なかった。


「あの子は何で嬉しそうにしてたんだろう」

 ぽつりと口に出てしまった疑問。

 女の子供だったんだろうか。

 でも、それにしては年齢が合わないような…などと思いながら、到着した電車に乗り込んだ。

 授業が終わるチャイムが鳴り、帰り支度をする生徒たちの中に彼女はいた。

 所在なげに彼女も机の中から文庫本を手に取り、帰り支度を始める。

 「間上、ちょっといいか?」

 彼女の名を呼び、振り返らせたのは同じクラスの清水幸だった。

 幸(みゆき)という名前の、短髪の男子生徒と見まがう、そんな女生徒は彼女、間上唯の数少ない友人だった。

 「幸、改まって何?」

 「いやーたいした事じゃないんだけど、今朝の騒ぎ知ってる?」

 今朝の、と言われて思い浮かぶのは駅の女と少女の、いや女とホームに落とされた男の事が浮かんだ。

 「駅の、かな?それなら…見たけど」

 「駅ぃ?駅で何かあった?

いや、駅じゃなくてさ…ここ、学校で朝あったらしいんだけど」


 清水幸が語った事によると、早朝だかに男子生徒が数人倒れてたらしいというものだった。

 「…私服で?」

 「そう、私服で。

なんかねぇ肝試しとかしてたらしいよ。
でね…デタらしいんよ」

 「…でた?」

 「この学校って七不思議なんてない新設校じゃない、だからかねぇ…夜中に安心して肝試しできるとかって感じでやったらしいんだけど…。

学生服の、ああブレザーじゃなく詰襟だったかセーラー服だったかを見たってさ」

 「で…その人たちは?

噂になってるくらいだし、それだけじゃないんでしょ?」

 「ああ、さすがだねぇ。

一人は怪我もしてないのに血っぽい赤い水溜りに倒れてたらしくってさ、病院に担がれてった」

 「それ、ほんとに血?」

 「さぁ?私らが来た時にはもうなかったからな、よくわからんよ」

 「幸たちって…陸上部朝練で早いんだっけ…じゃあ噂はどこから出たのかな…」

 「だから不思議なんだって。

私らより早く来るのなんて滅多に居ないんだよ?」

 陸上部より早い時間に来る生徒も教師もあまり聞いたことがない。

 なのに、血の後は残ってない。

 ならば、それは早朝ではなく深夜辺りに起きて片付けられたということだろうか。
 「でさ、私らは噂にしてないのに、もう噂になってんの。

それがよくわかんなくてさ…、どう思う?」

 「私に聞かれても分らないよ、そんな事」

 「いや、だからさ、ちょっと考えて…いや調べてみて欲しいなーなんてさ」

 「…新聞部でもない私が?」

 「無理?」

 「…そういうの、あまり関わりたくないんだけどな…私」

 「ちぇー、間上なら頭いいし何か分るかなと思ったんだけどな、残念」

 清水幸はそれじゃあと軽く手を振って席から離れて行った。

 残された間上唯は俯いて本のページを捲るが、内容は頭には入っては来なかった。

 頭の中はさっき清水幸から聞いた、誰が噂を流すことが出来たのか、という事だった。

 「教師が噂を流す訳が無い。

…だとしたら…流せるのは肝試しをした本人たちしか居ないじゃない…でもどうしてかな」

 腑に落ちない、そう呟いて本を閉じる。