電車が来ると放送がかかり、ホームに落ちた男は駅員に助け上げられ、駅員に突き飛ばされたと言っているようだが、時は遅く男を突き落とした派手な女はもうホームのどこにも居なかった。

 「あの子もいない」

 小さな少女の不吉な笑顔は気になるものの、その姿ももう視えなくなっていた。

 ひょっとしたらあの女に付いて行ったのかも知れない。

 「あれが水子ってやつなのかな…。

 でも、水子って赤ん坊の形してるんじゃなかったっけ?

 違うのかな、だったらあの子はいったい…」

 わからないな、と呟いて彼女はホームに着いた電車に乗った。

 後ろ髪を引かれるような、女と少女の霊の様子は既に記憶の彼方にあり、運よく席に座れるとカバンから文庫本を出して読み出す。




 閑静な住宅街、昼下がりの午後。

 小さな子供の声が母親の声と重なって風に乗る。

 「…もう、そんな時間」

 庭で洗濯物を干している女が呟く。

 ちょうど門の前を親子連れが通り過ぎようとしていく。

 顔見知りだったのか、互いに目が合うと会釈をし、通り過ぎて行く。

 下げた女の顔が少し寂しげだったのは、日影のせいだったのだろうか。

 洗濯物を手が握り締める。

 布に皺が出来て、それに気付くと布を伸ばして干していく。

 「まだちょっと辛いわね…、どうしても思い出してしまう…」

 寂しそうに呟いて、家の中に入って行く。


 名前を付けてあげることすら出来なかった、彼女の子供。

 抱いてあげることも、何も出来なかった。

 彼女も、彼女の夫も、夫の父母も、彼女の父母も、皆が待ち望んでいた子供。

 不幸な事故だった、と思い込むにはまだまだ時間がかかるだろう。

 犯人は見つからなかったし、彼女自身犯人の顔を知らなかった。

 その「事故」のせいで彼女は子供を亡くした。

 恨んでない、なんて。

 気にしてない、なんて。

 ──嘘でも言えなかった。

 まだ、傷は癒えない。

 夜中に泣き叫びながら起きて、朝まで眠れないこともあった。


 誰を恨んでいいのかすら、わからない


 それは、とても辛いこと。



 暗い、痛い、苦しい。


 かつてあたしの周りにあった


 あの優しいぬくもりはどこにいったの?


 誰が、あたしの、それを奪っていったの?


 あたしは知ってる。


 許さない、絶対に許さない。


 返して。


 返して。





 昔、私は人より少し変わった子供だった。

 視えないものが視える、変な子供と言われて育った。

 あれは、人には言ってはいけないものだと気づいてからは言わなくなった。


 そして、私が変わった子供だったのを周りが忘れていった。

 でも、本当は私は変わった子供のまま大きくなっていった。

 けど、私は何も出来ない。

 見ていることしか出来ない。

 それを見て、感じるだけ。

 けれど、それはとても辛いこと。

 私は、それに何も出来ない。

 ただ、見ているだけ。


 想いは伝わるのに、その悲しみも分るのに、私は、何も出来ない。

 傷ついたそれに手を差し伸べることすら。




 いつもと変らぬ風景の中、ため息をひとつ、つく。

 朝から曇りで気分が乗らない所にもって、電車が遅延して時間が無駄に過ぎていく。

 「あと何分かかるのかな…」

 時計を見ながら呟く。

 同じように腕時計を見てため息をついている人たちが多い中、ふと目についた人が居た。

 目についた、は間違いだろう、その人の声が気を引いた。

 ざわついた駅のホームで口論しているかのような騒がしい声、それが気を引いた。

 「何見てんのよ!」

 何人かが、その声のした方へと顔を向けて、すぐに背けていく。

 声は甲高く耳障りで、その声の主は髪を金髪に染めて、下着の見えそうなミニスカートを穿いていた。

 …何度目かのため息をついて私も目を背ける。

 関わりになぞなりたくないから、というのが本音。

 赤すぎる口紅に青いアイシャドーはどうみても会社に行くOLのものには見えない、風俗関係だろうかと思いつつ線路を眺める、そろそろ電車が来るかも知れない。

 「うわぁああ!」

 叫び声がして、鈍い音が続けてした。

 何人かの悲鳴がして、ホームに人が落ちた、いや突き落とされたのが見えた。

 突き落とされたのは中年のサラリーマンらしき人で、どこか打ち所が悪かったのか腰を手で押さえて立ち上がれないでいる。

 突き落としたと思われるのは、さっきの赤い口紅の金髪の女だった。

 思わず女に視線を向けてまじまじと見つめてしまうと、女はにやりと口角を上げてくるりと踵を返して立ち去ろうとしている。

 「あ」

 思わず声が出てしまった。

 女の行動に、ではなく、女の近くの空中に浮かんでいたそれに。


 小さな、少女のそれは女を見て、とても嬉しそうに見つけたと呟いた。

 だが、それはとても胸騒ぎのする不安を呼び起こした。

 女は呟きには気付かずに背中を向けて歩き去って行く。



哀しみの輪廻~無垢なる者


第一章 邂逅する魂