神皇記考察〜表記が変化する場所と3個の諱〜 | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

昨日までは、神皇記をパラパラめくって、

最後の方にある地図に、興味が出ました。


そこで、最初から流し読みして、

時代を特定できるヒントが無いかと見ていました。


一点に違和感を感じました。


天之田原男神は、天之田原女神を娶り、

「高皇産霊尊」が誕生したとあります。


この箇所以降、「日本書紀」の表記が多く見られます。


突然、ここで変化するわけです。


現代において、もう、正誤について確認は出来ません。


ですが、何らかの異変があった事で、

「高皇産霊尊」という「日本書紀」の表記に変化したと解釈できます。


今後は、他の「古史古伝」と比較検証して、

時代の特定を出来るようにしたいと考えています。


ある程度の時代が分かれば、色々と比較検証する事も出来ます。


その、時代の特定まで行くのかは不明ですが、

「高皇産霊尊」の諱には下記のようにあります。


「諱農作比古神、諱天之神農氏神、後諱高皇産霊尊」


ただ、「天之神農氏神」にある「神農氏」の「神」の字が小さく、

手書きかも知れない可能性もあります。


ちなみに、父親と思われる人物の「諱」は、

「農眞比古神」だけなので、

「高皇産霊尊」の「諱」が2つあるのは異質です。


やはり、この時代に変化があったのだと思われます。


さて、重要視しているのは、「天之神農氏神」です。


「神農氏」は情報が少なく、存在確認が難しいと思われる一族です。


存在したと思われる時期は、「紀元前3000年頃」で、

「神農」が即位後、「炎帝神農」などがあったようです。


Wikiで見ただけなので、分かりませんが、

子孫が名乗っていたとしても、何も不思議は無いと思います。


後、「神農」の子孫は、後世に呂を姓としているようで、

「末裔に太公望(呂尚)や呂不韋(秦の丞相)がいるともされる。」

とWikiにはありますが、確実では無いと書いています。


「天之神農氏神」と書くということは、何らかの、

情報を持っていて、「諱」にしたと思いますが、

「天之」の部分も気になります。


「天之」と言う事は、

例えば、「地之神農氏神」というのがあっても、問題になりません。


たぶん、どこかの時点で「神農」もしくは「神農氏」の血が入り、

誇らしく思っていたから明記したと解釈出来ます。


他に気になるのが、なぜ、「後諱高皇産霊尊」と、

「諱」を改めたのか、不思議です。


1番最初の「諱」は、一族古来からの伝統でしょう。

2番目のは、両親の「諱」には無い事から、

作らなくても問題ないはずです。


しかし、2つ目を作った後、

「高皇産霊尊」という生前の表記に改めた事から、考察できます。


まず、単純に、「高皇産霊尊」の一族は、

理由は不明ですが、「天氏」の傘下に入ることになった。


問題でも起きたのか、「天氏」との関係を無くした。


この様にも解釈することが出来ますが、情報が少ないので、

信憑性には欠けるかなと思っています。


この辺りの、比較検証も徐々に行っていこうと思います。